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ロシア帝国支配以前のクリミア半島は、『モンゴル・タタールのくびき』と呼ばれる約300年
にも及ぶタタール人が支配する国、クリミア・ハン国があり、多数のイスラム教徒と少数の
ギリシャ正教徒、アルメニア正教徒、ユダヤ教徒が混住していた。 タタール人は、元々は、
モンゴル人で、1223年、チンギス・ハンの時代から始まったルーシ侵攻により、1240年
には、ルーシ諸国の首都であったキエフ大公国は、名実ともに滅亡した。 その後南進を
続けたモンゴル軍は、混血を繰り返して、タタール人となり、クリミア半島に留まり、その後
約300年間に渡ってルーシを支配し続けた。

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この際、南方のルーシ諸国は、モンゴル軍によって、徹底的に破壊されたため、その
状態から立ち直る事が出来なかったが、逆に、北方のモスクワ大公国が力を付けて、
『モンゴル・タタールのくびき』からいち早く抜け出した。 その後、モスクワ大公国は、
ルーシの正当な末裔である現在のウクライナの地を併合すると、『ルーシ国』と言う
意味のロシアを名乗り、それまで長きに渡って支配者であったタタール人を逆に血祭りに
あげた。

ロシア帝国は、クリミア・ハン国を18世紀末に併合して以来、国策としてスラヴ人
(ロシア人とウクライナ人)キリスト教徒のクリミア移住を進めて来た。 この政策の結果、
クリミアはロシア帝国の末期には、既にウクライナ周辺の中でも、特にロシア人の占める
割合が多い地域となった。

1921年、ソビエト連邦は、クリミア自治ソビエト社会主義共和国を置いたが、既に人口的に
少数派になっていたクリミア・タタール人には十分な自治権は与えられず、第二次世界
大戦中には、クリミア・タタール人追放が行われ、自治共和国は廃止された。 自治
共和国の廃止により、クリミアは、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクリミア州と
なったが、1954年、フルシチョフによって、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管
された。 この移管は、ソ連の解体が想定されていなかったため当時は問題とはなら
なかったが、40年後のソ連崩壊により、クリミアのロシア人達は再びロシアへの帰属を
求めるようになった。

2013年から2014年に掛けて、ウクライナ経済の低迷を切っ掛けに、ウクライナ国内で
親露派と親欧米派の対立が激化し、2014年2月24日、ヴィクトル・ヤヌコヴィチ政権が
崩壊し、暫定政権が発足するが、クリミア自治共和国では、暫定政権への移行に反対
する親ロシア派のデモが拡大し、反ロシア派住民との間に衝突が発生した。

3月11日に自治共和国議会とセヴァストポリ市議会は、クリミア独立宣言を採択した上で、
3月16日には、ウクライナ内の自治共和国に留まって自治権を拡大するか、ロシアに編入
されるかを決める住民投票を実施した。 その結果、ロシアへの編入が賛成多数となり、
翌17日にはクリミア共和国としてセヴァストポリと共に独立し、主権国家として、ロシア
連邦と権限分割条約を結び、ロシアの連邦構成主体として編入される事を求める
決議を採択した。

ロシアの・プーチン大統領は同日中にクリミアの主権を承認する大統領令に署名し、
翌3月18日、クリミアのアクショーノフ首相と編入に関する条約に調印した。 プーチン
大統領、および『クリミア共和国』は条約署名をもってクリミア共和国、および、セヴァス
トポリ市はロシアに編入され、ロシア連邦の構成主体になったとの見解を示しており、
一方でクリミアの独立とロシアへの編入を認めないウクライナとの間で論争が続いて
いる状態となっている。

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