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ユーゴスラビアは、南東ヨーロッパのバルカン半島地域にかつて存在した、南スラブ人を
主体とした国家。 かつては、東欧で最も進んだ開放路線を歩んでいた筈のユーゴスラビア
は、かつての支配国である、オーストリアとトルコの2大帝国の置き土産とも言うべき、宗教、
並びに、民族間の対立へと発展し、その後、各民族間で、血で血を洗う泥沼の内戦へと
突入。 進み過ぎていたがために、他の東欧諸国とは一切歩調を合わせる事無く、連邦は
あえなく崩壊した。 『ユーゴスラビア』の国名の由来は、南スラヴ人の独立と統一を求める
ユーゴスラヴ運動に由来しており、『南スラブ国』という意味。



かつて、ユーゴスラビア連邦をひとつにまとめるためのスローガンが実は存在して
いたが、それは、『7つの国境』『6つの共和国』『5つの民族』『4つの言葉』『3つの宗教』
『2つの文字』『1つの国家』というものであった。 現在は、その6つの構成共和国が
全て独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、
マケドニアとなっており、それぞれが独立国家となっている。 また、セルビアの自治州で
あったコソボは、2008年に独立を宣言したものの、コソボを承認している国は少数に
留まっており、セルビアをはじめとするコソボの独立を承認していない国々からは、依然、
コソボはセルビアの自治州とされている。

5つの民族の定義も現在では曖昧で、まず、イスラム教徒のムスリム人を別民族とし、
かつ、アルバニア系のコソボ人、ハンガリー系のボイボディナ人がセルビア内に混在
しているため、かつての連邦内での民族の数の定義は、あくまでも、プロパガンダ用に
過ぎなかった。

4つの言葉も、言語学的に、セルビア語とクロアチア語は、同一言語とされていた共産党
時代とは打って変わって、以前までは、同一言語であった、セルボ・クロアチア語は、
政治的、民族的な対立によって、現在では、セルビア語、クロアチア語、ボスニア語が
それぞれ別言語として独立しており、更に、セルビア内には、アルバニア語話者、並びに、
ハンガリー語話者も多いため、こちらもかなり懐疑的。 

yugoslavi

3つの宗教に関しては、現在でも、正教、カトリック、イスラム教で変わらず。 2つの
文字に関しては、以前までは、セルビア、並びに、ボスニアでは、ロシア語と同じキリル
文字が主に使用されていたものの、2000年以降は、順次ローマ字への移行が進め
られて、現在では、セルビアやボスニアでも、キリル文字ではなく、ローマ字が主に
使われるようになったため、2つの文字の定義も完全に崩壊した。

国名として『ユーゴスラビア』を名乗っていたのは、1929年から2003年までの間で、
実質的な枠組みとしては、1918年に建国されたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人
王国が始まり。 その後、1929年に『ユーゴスラビア王国』へと改名された。 1945年
からは、社会主義体勢が確立され、『ユーゴスラビア連邦人民共和国』と改称され、
1991年のユーゴスラビア紛争までは、この体制が維持されたが、スロベニアとクロアチアを
中心とする、工業先進地域が、連邦からの独立を要求し、セルビアを中心とする連邦政府と
対立、その後、泥沼の内戦へと陥ったものの、スロベニアとクロアチアは、内戦も最小限に
留める事に成功したため、そのまま連邦からは独立。 その後、多少遅れて、ボスニア・
ヘルツェゴビナとマケドニアも独立を宣言したため、特に、セルビア人とクロアチア人、
並びに、ムスリム人が混在していたボスニアでは、内戦が激しく、数年間に渡り激しい
戦いが繰り広げられた。

その後も連邦に留まったのは、同じセルビア人を中心とするセルビア共和国とモンテネグロ
共和国のみで、1992年にはこの2国間で『ユーゴスラビア連邦共和国』が結成された
ものの、2003年には緩やかな国家連合へと移行し、国名を『セルビア・モンテネグロ』と
改称したため、ユーゴスラビアの名を冠する国家は無くなった。 更に、2006年には、
モンテネグロが独立したため、国家連合自体も解消され、ユーゴスラビアは、完全消滅と
なった。
 
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ユーゴスラビアの首都は、終始一貫して、現在のセルビアの首都であるベオグラードで
あった。 よって、ユーゴスラビアは、セルビア人が中心の国家であった。 これに反発
したクロアチア人とスロベニア人も、同じ南スラブ人ではあるものの、宗教の違いは超え
られず、それが、怨念へと発展し、今でも、ボスニアでは、セルビア人共和国とクロアチア人
共和国の激しい対立へと繋がっている。

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