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【日本の通訳職の歴史と異文化コミュニケーションの現在の位置づけ】

通訳産業の創設期と考えられる第二次世界大戦前後の日本の通訳者は、一般的に
教養が高く、海外との接点を持つ機会に恵まれた特権的背景を持つ人々が多かった。
その頃、通訳業が一職業として確立される以前は、他の職業と兼業で営まれていた事が
ほとんどであった。 その後、日本で通訳職が確立された後は、通訳者は、基本的に
フリーランスとして仕事をして来た。

しかし、日本史を遡ると、通訳者が、職業人の集団として組織化され活躍した時代がある。
江戸時代(1603-1867)の唐通事(中国語の通訳官)や、オランダ通詞(オランダ人の
通訳に当たった役人)がそれである。 当時の需要は、政府が主導であった。 徳川
幕府は、ヨーロッパと通商を行い、知識を輸入するための手段として日本語とオランダ語の
間の通訳を必要とした。 当初は、語学が出来る役人が必要に応じてその任務に
当たっていたが、やがて通詞(通事)地役人として制度化された。 地役人とは、通訳・
外交・貿易の実務を担当する江戸幕府のいわば地方公務員であった。 オランダ通詞は、
長崎出島のオランダ商館で通訳や貿易事務等に従事した。 オランダ通詞は、平戸の
オランダ商館時代から置かれていたが、同商館の出島移転後、次第にその機構も
整備されて行った。 1641年に職業的通詞集団が成立し、以後、世襲制を取った。
この通詞達は、様々な文献の翻訳、言語研究、辞書編纂をした。 オランダ通詞の主な
職務としては、語学修学、入稿蘭船臨検、積荷目録の作成、貿易事務、出島勤務、
年番勤務、江戸番勤務、江戸参府随行等があった。 

職制、報酬、昇格等が存在し、かなり組織化が進んでいた事が分かる。 役人が通訳を
行っていたという点で、実務通訳が官僚職であった事は興味深い。 幕府の利害を
代表する立場にある官僚が通訳を行っていた訳であるから、中立的な通訳をするという
よりも、外交面でも通商面でも日本政府のスポークスマンであったと言える。 当時の
通訳職に繋がる第二次世界大戦後の日本の通訳産業の体制とは、正反対である。

現在の通訳産業は、市場原理が最も強力に働く産業のひとつであり、一切官僚的な
側面や役人のような働き方や統制のされ方はない。 もし仮に、オランダ通詞のような
体制が続いていれば、通訳者の職業団体が現在日本に出ていた事は容易に想像出来る。
しかし、オランダ通詞達はの組織化された公務員、世襲制度は、続かなかった。
通訳者を地方公務員とする事は、そう難しくはないだろうが、職業を世襲制とする事に
無理があったと想像出来る。 通訳をするには、語学能力だけではなく、性格的に向き
不向きもある。 親の職業をそのまま継いで行く制度は、通訳職においては、立ち行か
なかった。 通訳職は、組織された世襲制度、および、公務員制度として現代にまで
残る事はなかった。 通訳人組織も現代までは残らなかった。



現在、日本で異文化コミュニケーションと言うと、正確に、厳密に行い、職業技として
極めると言うよりは、同好会やボランティ的な意識が強いように見受けられる。 白黒
ハッキリされるために行うものではなく、人を調和させて合議を得るために行うものという
イメージもある。 しかし、今後は、日本でもヨーロッパと同様に、人々の間の『違い』を
更に際立たせ、違いをそのまま尊重するために行われて行くものとなって行く事も考え
られる。 そうなると、異文化コミュニケーションが、単に余暇で行うボランティア的なもの
であるとか、女性が主に行うという『柔らかい』イメージから、より白黒をハッキリとつける
ための厳密なものと言う『硬い』イメージになって行くかも知れない。 そのなると、
通訳職も女性がほとんど9割を占めるという現在の様相が変わり、男性の参入も活発に
なる事も考えられる。 また、一層職業としての規則や規律が求められるようになり、
資格化や業界団体設立の動きも始まるかも知れない。

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