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【ヨーロッパでの通訳職の歴史と異文化コミュニケーションの現在の位置づけ】

ヨーロッパでの、組織的な会議通訳の初期需要と称されるのは、第一次世界大戦の
戦後処理の通訳需要である。 この頃の通訳者は、母国語と外国語に堪能である
だけではなく、教養も高く、学者としての地位も確立している人物が多かった。
初期の国際交流における通訳者は、歴史家や言語学者、外交官等、専業の通訳者
だけではなく、通訳以外の国際交流における職業を持っていた。 通訳者として
通訳を専業で行っていた人は少なかったため、通訳産業はその頃は、まだ確立
していなかったと言える。

ヨーロッパでは、特に20世紀になってから、通訳者の真価とそれ相応の地位を
認識するようになった。 戦後のニュールンべルグ戦犯裁判では、英仏独ソ間で、
同時通訳が行われ、公の重要場面における通訳者の活躍があった。 この
ニュールンベルグ裁判が、公式に組織された初の会議通訳の活用場面であった
とも言われている。 第一次世界大戦後1919年に行われたパリの講和条約の
通訳者は、ロンドン大学の歴史学者ポール・マントゥであった。 また、東洋哲学の
教授で、ジュネーヴ大学、フランスのソルボンヌ大学等で、教鞭を取ったジャン・
エルベールは、1917年に、若くして英仏財務交渉の会議通訳者として登場した。
後に、国連主席通官となり、在職中も退職後も通訳者の社会的地位と技術の向上に
大きく貢献した。



ヨーロッパでは、このような重要場面で活躍した通訳者達の間で、自らの職業を
社会的にも規定して行く願望があったと考えられる。 その取り組みの結果として、
AIIC のような職業団体が生まれた。 AIIC が設立された理由のひとつには、
ニュールンベルグ裁判と国連で同時通訳がはじめて使われるようになってから、
通訳者側においても、それを取り巻く社会においても、通訳者の国際組織が
必要だと認識された事が挙げられる。

興味深いのは、ヨーロッパでは、多くの教養ある人々や、普通の人々が、自国語
以外にも他言語を話すにも関わらず、会議通訳者の存在を重要視しており、かつ、
需要も高い事である。 それは、多国間の交渉や、各種の会議の絶対量が多い事と、
正確な通訳ゆえに生まれる本質的な意思疎通の重要性が、より強く実感されている
からだと思われる。



現在でも、EU代表部の本部においては、通訳者が職員として550名働いている。
それに、フリーランスの通訳者も合わせて、毎日約700名が日常的に行われる
会議の通訳を行っている。 その殆どが、同時通訳である。 翻訳者も合わせると、
EU代表部には、語学コミュニケーションのプロが、4,000人従事している。
通訳言語の組み合わせは、142通りあると言われている。 それだけ様々な言語間の
意思疎通が重要視されているという事である。 そもそもの前提として、様々な
文化と言語の存在がヨーロッパでは重要視されているという事も意味している。
異文化コミュニケーションは、社会で異なった背景や言語を持った人々が、
共同社会で生きて行くために必要なものという位置づけである。

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