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西ヨーロッパに行くと、必ず1度は体験するであろうもの、それは、『差別』。
欧米社会では、あくまでも、自分たちが正しい事が大前提となっているため、
それ以外のものは、全て差別の対象となります。 それを生み出す最大の
要因は、自分と異なる人間を認めない、『心の狭さ』と『無知』です。
欧米では、この『差別』的な心理が、常に、社会の根底にある事を忘れては
なりません。

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全ては許される

日本でも、最近では、『ヘイトスピーチ』が問題となっていますが、今回
事件が起きたフランスの『表現の自由』と比較すると、まだ相当可愛い
部類に入ります。 そもそも、『言論の自由』とは、何でも無責任に吐き
捨てて良い権利などではなく、社会批判等を行う際に、自分の意思表示や、
異なる意見の人たちに対して、異を唱える権利の事である筈が、どこで
間違ったのか、『誹謗中傷を助長する権利』、または、『無責任に何でも
言える権利』にまで成り下がっています。

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東日本大震災が起きた際にも、欧米系のメディアは、一切に大袈裟な報道を
しましたが、それは、自分達からは遠く離れた話であり、特に自分達には、
そのしっぺ返しが返って来ない事が大前提となっており、今回のフランスのみ
ならず、ドイツや、アメリカの報道にも、未確認な情報が多々見受けられました。

『美味しんぼ』騒動の際にも、『表現の自由』云々の騒動が起こりましたが、
不確定要素を大袈裟、または、それをさも事実のように述べるのは、
『表現の自由』などでは、決してなく、単なる『デマ』です。

『表現の自由』が何でもまかり通るのであれば、今度は、それを受け取る側が、
自分の頭を使って、それらの情報を正しく選別すべきです。 そもそも、
感情的にものを述べている人のところには、同じレベルの人間しか集まりません。
よって、『同属嫌悪』同士での応酬合戦となり、いつまで経とうが、話が先に
進まなくなります。

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異なる意見や文化の人たちに対して、敬意のない『言論の自由』は、単に
差別でしかありません。 まず、相手に対して、敬意を示さない限り、
自分も完全に同じ扱いを受けます。 これを因果応報と言います。 自分の
権利だけを主張する人は、まず、相手を認めない限り、自分の権利も当然
認められません。

『表現の自由』は、弾圧や、いじめ等々を受けている側が保障されるべき
ものであり、逆に弾圧や、いじめを行っている側に、そのようなものが堂々と
保障されてしまうと、ますます勢いに乗るため、むしろ、ある程度、規制を
入れてしかるべきもの。

その明確は判断は、やはり、ひとりひとりの意識に寄るところが大きいの
ですが、道徳力の欠如と、差別の助長は、必ず比例します。 そもそも、
自分以外の人間は、全員異なるという意識がない人の場合は、他人を受け入れる
事すら困難なため、それを政治家に利用されると、歪んだ『愛国主義』へと
容易に発展するため、ますます扱いづらいものへと変貌します。

Charlie


自由には、責任が伴うという事を忘れてしまうと、このような事態になると
言う事を、まざまざと見せ付けられたのが、今回のフランスでの事件だと
思います。 テロ行為や、殺人行為は、もちろん、非難されるべきですが、
その原因を作ったのは、逸脱した過激な『表現の自由』であるため、それを
保障しろと言われても、お門違いも甚だしいと思います。 

ヨーロッパでは、『エゴイスト』が多く、東ヨーロッパでは、『ファシスト』が
多いので、個人主義と全体主義が過剰反応したものが、フランスとウクライナの
事件であるとも言えます。

むしろ、日本の場合は、『事なかれ主義』が花盛りであるため、一切何も言わない、
言わせない、監視社会へと変貌を遂げております。 よって、フランスよりも、
日本の方が、『表現の自由』が保障されてしかるべき。 中央メディアに至っては、
既に、『表現の自由』すら一切ありません。 日本の情報公開度は、既に地に
落ちています。

日本とフランスとでは、完全に両端を行っているため、どちらに傾き過ぎても、
問題だらけです。 このような状況を防ぐためには、何でも情報を鵜呑みには
せずに、自分の頭で考え、何が正しくて、何が間違っているのか、正しい情報を
元に、正確な判断を下す事が非常に重要になってくると思います。

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