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東日本大震災により、数々の悲劇が起きた宮城県石巻市。 その中でも、
約1,700世帯を超える住宅地が、津波で丸ごと消滅した門脇(かどのわき)
地区は、この地域だけで、死者数約3,000名を超える最大の被災地。
震災直後、この地区では生死が隣り合わせとなった惨劇が繰り広げられていた。

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被災直後の門脇小学校前 10日後に、瓦礫の下から、生存者が見つかったのもこの付近。

門脇小学校は、その焼け爛れた姿で、度々全国メディアでも取り上げられる
事があったが、その裏山である、日和山にある『日和幼稚園』の地獄絵図の
ような惨劇は、余りメディアには取り上げられなかった。



この時に、亡くなったのは、4~6歳の男児1人、女児4人。 3月11日の地震
発生直後、亡くなった5人を含む12人を乗せワゴン車が園を出発した。
門脇町や南浜町方面に住む7人を門脇小学校前で降ろした後、大津波警報に
気づき、園に引き返す途中、津波に巻き込まれた。
 
園児は14日、変わり果てた姿でワゴン車の周囲で見つかった。 保護者は、
焼け残った衣服などで子どもの身元を確認した。 男性運転手は一命を取り
留めた。 同乗していた女性職員は今も行方不明(実際は遺体の受取拒否
により、行方不明とされた)。 門脇小で降りた7人は無事が確認された。

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バスを運転していた運転手は、津波に飲まれた際に、車外に放り出され、
一旦は、園長のところへと戻り、園長と2人で、津波に飲まれたバスの様子を
見に来たが、余りの出来事に、気が動転して、その場を立ち去ったという。
その後、その付近からは、一晩中、子供達の助けを求める声が聞こえたと
周辺住民は話しているが、そのような惨状は、保護者達には、知らされ
なかった。 

犠牲になった5人は、日和山からは、若干離れた、大街道地区や蛇田地区に
住んでいた。 いつもは、津波が直撃した南浜町、門脇町を通らないルートで
送迎されていた。

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【送迎バスの最後】

上へ、上へ。 住民が安全な場所を求めて、日和山へ急ぐさなか、1台の
ワゴン車が、日和山から門脇町、南浜町地区へと降りて行った。 日和幼稚園の
園児12人を乗せた送迎バス。 地震直後に園を出発し、南浜町などを回り、
5人の子どもを降ろした後、避難者でごった返す門脇小校庭に停車した。
 
『バスを戻せ』。 当時の園長の指示を受け、幼稚園から教員2人が小学校脇の
階段を駆け下りた。 バスに追いついたが、園児を連れ戻す事はなかった。

バスは再び出発した。 途中、迎えに来た母親に園児2人を引き渡した。
日和山に通じる坂の上り口で、バスは津波に飲まれ、流された家に押し
つぶされた。 門脇町・南浜町地区一帯はすっかり炎に包まれ、13日午後6時頃
まで燃え続けた。

14日、バスに乗っていた5人の園児は変わり果てた姿で見つかった。



【訴訟】
園児5人が死亡した事故で、4遺族は10日、園側の対応に問題があったとして、
園を運営する学校法人『長谷川学院』と当時の園長に対し、計2億6,690万円の
損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。 被災地では、避難誘導などに
問題があったとして、学校側の責任を問う動きが広がっていた。

【和解】
2014年12月3日、提訴から3年4ヶ月を経て、園側と4遺族は、ようやく和解した
ものの、園側からの謝罪は、未だ行われていない。

【仙台高等裁判所からの和解条項】
『被災園児らの犠牲が、教訓として長く記憶にとどめられ、後世の防災対策に
生かされるべき』
 
続きはこちらへ

<津波訴訟和解1年>「心から」の思い見えず
<津波訴訟和解1年>わが子の命思い語る

言葉もありません。 ご冥福をお祈り致しますだけでは、決して済まされない、
後世に語り継ぐべき大きな教訓だと思います。

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場所:宮城県石巻市

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日和幼稚園遺族有志の会 子どもの安全を考える



>>愛梨 & 珠莉人形 世界旅行記

【日和幼稚園のその後が本になりました】


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