東日本大震災における被災地には、今後の復興事業を円滑に行うための国費が
投入されていますが、その被災地における『恩恵』の多くは、今でも手付かずのまま、
そのまま眠っています。 被災地には、この『恩恵』以外にも、義捐金がまともには
届きませんでした。 石巻市内で、運良く義捐金を貰えたのは、沿岸部の極一部の
人たちだけ。 私の母親の実家は、石巻市中心部(沿岸部)から約10キロ離れた
石巻市内にありますが、義捐金の支給対象地域からは、外されました。 私の実家が
ある美里町自体も、石巻市中心部からは、15キロ程度しか離れておりませんが、
状況は完全に同じです。

11年前の『宮城県連続地震』の際には、震源地から、わずか3キロしか離れていなかった
私の実家付近が最大の被災地だったのですが、激しい地震による揺れで、周辺一帯
全ての家屋が、全半壊し、地面は液状化現象を起こしていたのにも関わらず、人口が
少ないという安易な理由により、『被災地指定』すら外され、義捐金以前に、一切何の
補償金すら貰えませんでした。 最大の被災地と言えども、被災地指定を外されたため、
地震で倒壊した瓦礫の処理は、当然全て自腹でした。 東北の家屋は、比較的大きい
家屋が多いため、瓦礫の処理には、1軒に付き、最低でも、60~200万円程度掛りました。

すぐ近所にある小学校の校庭には、2年間だけ、仮設住宅がありましたが、丸2年を
経過した時点で、全員そこからは出されました。 その後、私の実家付近からは、
約2,000人の人たちが行くあてもない状態で出て行きました。 今でも皆どこに行った
のかすら分かりません。 自腹で瓦礫を処理するだけで、預金を使い果たし、家を新築
するだけの資金的な余裕がなかった人たちは、11年経過した今でも、戻って来ては
おりません。 それでも、見た目上は、崩れた家屋もなくなり、新築の家が増えましたが、
空き地だらけで、復興したのかすら分からない状態です。 震度6強前後の地震が
立て続けに3回も襲ったため、付近には、瓦屋根やブロック塀は、ほぼありません。
すぐ隣にある石巻でも、約2万人前後の人たちが、東日本大震災での震災後、町から
出て行ったと言われています。
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東電による原発事故の補償対象となった福島県の場合は、補償金の対象となりましたが、
福島を除いて、最も福島第一原発から至近距離にある宮城県の場合は、県最南端の
丸森町だけが、福島県の半額の補償金を貰えただけで、それ以外は、一切何の補償
すらされておりません。 尚、丸森町の場合は、最南端部分が、原発からは、45キロしか
離れておらず、約60キロ離れた福島市よりも、至近距離となっています。 私の友人は、
原発から、約60キロ離れた宮城県側に住んでいますが、特に何の補償も貰ってはおりません。

義捐金を取り巻く環境は、殆ど全てが任意で管理されているため、その流通経路の途中で、
実は、かなりの金額が消え失せています。 とあるNPO法人の話では、義捐金の約1割だけ
寄付すれば、特にお咎めはないとの話でした。 この義捐金の問題は、阪神淡路大震災の
時にも問題になりましたが、その後、特に変更される事もなく、現在に至っています。
一部の都市伝説などでは、被災地には、略奪や犯罪などなかった事になっておりますが、
それは、ウソで、このように、何をしても何もかも『きれいごと』で済まされる社会を変えない
限り、今後も被災地を食い物にした、このような状況は、一向に改善せず、『明日は我が身』
という問題意識を常に持って生きていないと、何もかもなかった事として、闇に葬り去られて
しまいます。

被災住民に届かぬ3兆円の恩恵




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