東北はどこも同じと思われている方たちも大勢いると思うのですが、東北は、
太平洋側と日本海側、また、南と北で、ほぼ共通点がないほど異なります。
まず、大きく異なるのは、気候、方言、県民性。 特に、一番異なるのは方言。
同じ県内と言えども、各地で非常に異なるそれぞれの方言で話した場合、
ハッキリ言って、全く意思の疎通が出来ません。 

宮城県の場合は、太平洋側に面しているため、気候が温暖で、雪が余り降りません。
夏は、太平洋側に開けた平野にあるため、さほど暑くはなりません。 よって、
仙台は、日本全国の都道府県庁所在地の中でも、最も寒暖の差がない都市。
そこそこ田舎で、そこそこ都会、これが宮城県です。 海も山も車で30分程度
あれば、十分行ける距離にあります。 冬は晴れの日が多く、『伊達62万石』と
外面的には名乗っていたものの、実際の石高は、その後の大規模干拓により、
その4倍程度あったため、食料難には直面した事がなく、他の東北では、飢餓やら
飢饉やらに悩まされておりましたが、そんものは、他国でのお話。 食べ物に
関して、みみっちい事は一切申しません。 よって、お客様が来られた際には、
両手に溢れるばかりの農産物を持たせてやるのが、しきたりとなっております。

一般的に、寡黙で真面目、かつ、雪が多く、暗いイメージが常に付きまとう
東北ですが、宮城県の場合は、この条件は、ひとつも当てはまりません。 よって、
そこに住む人たちも、陽気でおしゃべり、かつ、ありえないぐらいのお笑い好きw
普段喋っている内容を分析すると、その約40%程度は、ボケに費やされており、
しかも、相当な早口。 黙っていると、相手がボケまくって来るため、こちらも、
負けじとボケてやらねばなりませんw ここで関西とは決定的に異なる点としては、
ボケに対して、ツッコミを入れると、ドンビキされるため、まずは、様子を
見ながら、適度にボケてみましょう。 そこから、徐々に調子の波に乗って、
人前で、平気で大ボケをかませるようになったら、あなたは、もう立派な
宮城県民ですw

宮城県と一番感覚が似ているのは、福島県なのですが、福島の人たちは、ボケ方が
足りません。 言っている内容は、ほぼ理解出来ますが、アクセントが平板で
あるため、東北の中では、最後の最後まで、訛りが抜けません。 宮城県の南側は、
この福島とほぼ同じ方言です。 山形県の人に至っては、宮城県とは、性格が
完全に間逆です。 よって、宮城県民が、たった30キロ程度しか離れていない
山形県に赴くと、異国の地に立たされたような気分になります。 しかも、山形県の
場合は、気候も全くの間逆。 『トンネルを抜けると、そこは雪国だった』を地で
行っているのが、山形県。 岩手県の場合は、しゃべり方が、全体的におっとりと
しているため、個人的な見解としては、東北の中で一番親切な人が多いと思います。
朝ドラでも有名になった、『あまちゃん』そのものの人たちが多いと思います。
tohoku
宮城、福島、山形、岩手、いわゆる、東北4県の場合は、お互いの方言で喋った
としても、かなりの割合で理解可能ですが、問題は、秋田と青森。 既に日本語の
域を相当逸脱しているため、全くの理解不能レベル。 良々聞くと、何となく
理解出来るのですが、基本的に、標準語で喋らないと、後で泣きを見ます。

ステレオタイプな人の場合は、仙台は断然青森に近いと思っておりますが、実は、
仙台は、東京と青森どちらへも350キロ程度の完全中間地点にあります。
最近では、都市化が進み過ぎて、方言すら全く使わなくなりましたが、余りにも
度が過ぎて、今度は、方言が理解出来なくなりました。 30代~60代に掛けては、
100%標準語と仙台弁のバイリンガルが多いのですが、そこまで言葉に拘って
いない人の場合は、どちらか一方だけしか喋れません。

現在、仙台弁のネイティブは、宮城県民全体の3分の1程度にまで減少しています。
昔は、方言の事を恥ずかしいとしか思いませんでしたが、最近では、自分たちの
本来の言葉を次の世代に正確に残さなければならないと考えています。 言葉とは、
単なるツールではなく、心や伝統を伝えるものです。 伝統文化を守るように、
方言も後世に語り継いで行かなければなりません。 日本の中でも、一番消滅の
可能性が高い仙台弁の場合は、尚更です。

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