東日本大震災は、30年以内に99%の確立で起こるとかなり以前から、東北大学が
予想しており、その予測から、丁度30年目ぐらいで発生した災害。 よって、予想
されていた大地震、特に、津波に対する備えを怠った東電と福島県の責任は大きく、
明らかに人災による災害と言える。



女川原発付近は、世界有数の地震の群発地域であり、12年前に、『宮城県連続地震』
と呼ばれる震度6強連続3回の直下型地震をここから、約30キロ離れた場所で既に
経験しているのだが、その際にも、その周囲の建物は、ほぼ全て崩れ去ったが、
東北大学の話では、それは予想されている大地震ではなく、この先も大地震が起きる
可能性が高いと言っていた。 よって、『東日本大震災』が、予想されていた大災害で
ある事は、この周辺では、かなり常識の範囲内となる。

女川原発が完成したのは、約30年ほど前だが、その当時は、地域住民の反対が根強く、
その時の地域住民への説明は、『福島第一原発は、東電の施設で、東北電力とは
全く関係がないため、宮城県内に原発を建設して、福島にも電力を供給しなければ
ならない』という内容だった。 尚、当時は、福島第二原発は、まだなかった。

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女川の場合は、震源地からの最寄地点で、津波が比較的低かった福島とは異なり、
遡上高で最大43メートル(東日本大震災で最大の高さの津波を観測)、津波自体の
高さも約25メートルを超えていたが、それでも、女川原発が津波で破壊されなかったのは、
原発の位置が福島よりも15メートル程高かったのと、約30年を掛けて大地震に対する
準備をしていたため。 東北電力の事前予測では、この地に到達する津波の高さは、
最大で13.8メートルとされ、女川原発の防波堤の高さは、15.8メートルとする事が
決定された。 福島第一原発の場合は、元々は、山がちな地形だったのだが、
原発を建設するために、わざわざ山を切り崩して低い場所に原発を建設したもの。

女川の町の破壊度合いは、他の周辺地域よりも凄まじく、住民の10人に1人以上が津波で
死亡したため、住民の死亡者率で見ると、最大の被災地なのだが、この原発があるために、
テレビではそこの事を一切言わなかった。 町自体が津波で全て破壊されたため、
その後は、原発が地域住民の避難所となり、3ヶ月以上も最大で364名が原発内の
体育館に避難をしていたが、その後、4月7日に起きた余震により、非常用電源回路
5本の内、4本までが消失した事実は、大手メディアでは、公にされてはいない。



更に、女川原発の場合は、被災前まで避難区域が半径5キロ以内のみであったため、
例え、全ての電源が消失しようとも、5キロ圏外の地域には、避難の義務がなかった
のだが、被災後に、取って付けたように、避難区域が30キロ圏内にまで拡大された。

町の一部が女川原発から30キロ圏内に入る美里町は、町をあげて女川原発の再稼動に
反対をしているが、それに伴い、町の主要設備の電力購入先を女川原発を所有している
東北電力から他の電力供給会社に既に変更している。



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