日本では、仕事をする際に、徹底して『ホウレンソウ』が刷り込まれているのだが、
これを世界レベルに水平展開出来るのかと言えば、まず無理と言える。 その
理由は、国民のそれぞれの常識水準がバラバラであるため、Aと言われたことに
対する反応が、1にも2にも3にもなり得る、つまり、答えは一つではないという事が、
裏目に出てしまう事が多くなるため、このような事を未然に防ぐために、アメリカでは
マニュアル文化が非常に発達した。

アメリカでは、技術のぶれがないように機械化を進め、どこでも同じ味の
スターバックスが味わえるが、それは、労働者個々のブレが極力少なくなるための
秘策とも言える。 更に、従業員に対しては、マニュアルを用いて徹底的に社員
教育を行い、一定の質のサービスを維持している。

日本では、『ホウレンソウ』が骨の髄まで染み渡っているため、極論すれば、社員
教育等がなくても学校教育や日常生活を通じて基本が出来ているため、
『習うよりも慣れろ』の精神に則り、多少強引ではあるが、即戦力にはなりやすい。
 
20081225

では、マニュアルに書いていない『意地悪』を日本と北米でするとどうなるのか?
北米の場合は、従業員がアドリブを効かせて、気の利いたことをしてくれることが
往々にあるのだが、それは個人の判断に寄るところが大きく、常日頃から自分の
意見を口に出しているがゆえの判断力の賜物とも言える。

一方の日本は、ある一定レベルまでは完璧なものの、そこから一歩でも外れると、
途端に訳が分からなくなり、対応出来なくなる事が実は多い。 敷かれているレールの
上では、能力以上の仕事ぶりを発揮するものの、それ以外では、むしろマイナス。
これは、応用力等一切問われない学校での『詰め込み教育』の賜物とも言える。 

そもそも、日本の協調性とは、高いところに合わせるのではなく、低いところに全て
合わせるため、やる気のない人間には打って付け、やる気のある人間には、地獄と
なっている。 この国の一番ダメなところは、上のレベルの人たちを寄ってたかって
引き釣り下ろしているため、単に足の引っ張り合いになっているところ。

最近では、この『協調性』が余りにも勢力を増したため、既に『全体主義』の域にまで
達しているのだが、 あくまでも、他者と違う事を極端に嫌う民族性であるが故、
更には、それを他人にまで無理やりゴリ押しし、自分を常にその中心に置いて、
安心するという妙な空気すら漂っているため、一言で分かりやすく日本社会を説明
すると、『物の豊かな北朝鮮』とも言えるのかも知れない。

元々、ひとりひとりの考えや行動が異なるのは、むしろ、自然な事であるため、
それを無理やり他者にまで押し付けるのは、やはり、全体主義と言わざるをえない。

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