東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    世界遺産の『モスタルの古い橋』では、ある一定の時間になると、
    橋の上から飛び降りて、見物客から小銭を稼ぐという見世物を行って
    いますが、なかなか飛び込まないのと、しょっちゅう小銭を集めに
    来るため、若干離れた場所から望遠を使って撮影するのが古い橋を
    撮影するコツ (^^)

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    こんな世界の果てとも言えるべき場所に、どうしてここまで観光客が集まって
    来るのかが非常に疑問ですが、モスタルの古い橋は、日中は激混みします。
    橋の袂でソフトクリームを購入する際に、日本語で『こんにちは』と言われ
    ましたが、こちらからすかさず、『ロシア語は喋れますか?』と聞いたところ、
    挨拶だけは出来ましたw 海外では、日本語では一切話し掛けて欲しくは
    ないのと、基本的に、ロシア語で喋っている方が楽なので、海外で日本語で
    話し掛けられた場合は、意味不明な場合が多いため、大概無視しますw
    ロシア語で話し掛けられた場合は、大体、話に乗りますw

    【モスタルの古い橋】
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    ここでは、イスラムのランプが欲しかったものの、かさばるため、断念しました。
    全く異なった文化に触れることは、好奇心を非常に掻き立てるため、ボケ防止にも
    良いと思いますw

    モスタルの古い橋の袂には、非常に多くのお土産屋が軒を連ねているため、
    いつまで見ていても飽きません。 モスタルでは、これ以外、特に見る物も
    ないため、朝からバスが出発する昼過ぎまでずっとこの場所に居ましたが、そ
    の後、大事件が起きました。

    【Hostel Lena】
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    モスタルからドゥブロヴニク行きの最終バスの時間は午後12時30分。
    準備万端でバスに乗り込み、出発を待っていた際に、念のためパスポートを
    チェックして見ると、ないことに気付きました(滝汗)。 大急ぎでバスを
    降りて、ホステルまで戻って見ると、朝から観光に行った際に、既にベット
    メイキングを終えていたため、毛布の下に隠していたパスポートと貴重品が、
    その毛布にくるまれて見えなくなっていたため、持って行くのを忘れて
    いました(涙)

    【モスタルの古い橋】
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    元々、このホステルに泊まる予定はなく、別のホステルに予約を入れて
    いましたが、宿の都合で、急遽3日間だけ閉鎖になっていました。 ホステルの
    係員は、何度呼び鈴を押しても、出て来ることすらなかったため、通りすがりの
    人に近所の安宿を紹介して貰い、このホステルに泊まることにしたのですが、
    何の予約もなしに急に訪れたのにも関わらず、英語でしっかりとした対応をして
    頂き、モスタルに行ったら、またこのホステルに宿泊しようと思っております。

    尚、同室の人は、イランからの初めての海外旅行でボスニアに来たと申して
    おりましたw 最終的には、このバスに乗り遅れたため、宿に帰って、もう一泊
    することとなりましたが、旅にハプニングは付き物なので、モスタルで焦らず
    ゆっくりとすることにしました。 尚、この影響により、計画していたコソボと
    マケドニアのには行けないこととが決定しました。

    画像では余り分からないものの、この日の気温は、9月中旬なのに32度(大汗)。
    外を歩いているだけでも非常に暑いため、カフェでほっと一息。 サラエボを
    含めて、3回目のボスニア風コーヒーを注文してみましたが、やはり、非常に
    濃くて苦い。 付け合せの水とスイーツがないと、ちょっと厳しい大人の
    ほろ苦さですw 尚、ボスニアは、イスラム教であるため、このような
    ファッションが普通です。

    【モスタルのお土産】
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    その後、モスタルで知り合いになった人と夕食(ボスニア風ケバブ)を食べに
    行きましたが、クロアチア語(ボスニア語)は、ロシア語と似ているため、
    こちらからはクロアチア語は大体理解出来るものの、ムスリム人のそのお方は、
    ロシア語が全く聞き取れない。 英語もドイツ語もダメとの事で、こちらからは
    ちゃんちゃってクロアチア語(ロシア語に適当なクロアチア語を混ぜるw)で
    何とか対応しました。

    そこでの話では、ボスニアの平均給与は約100ユーロ(約13万円)で、学校で
    選択出来る外国語は、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語とのことでした。

    【モスタル⇒ドゥブロヴニク】
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    前日に乗り遅れたドゥブロヴニク行きのバスに乗り、いざボスニアの国境越えへと
    挑みます。 クロアチアとの国境でパスポートチェックがありますが、何故か、
    パスポートをホテルに忘れたと言う人が続出。 特に、クロアチアはEUで
    あるため、ボスニア側からの入国が厳しく規制されており、このようなことは
    許されません。 よって、ここで数名バスから降ろされ、その後、別の場所に
    連れて行かれたため、恐らく、モスタルに強制的に連れ戻された模様。 前日に
    パスポートがないことをバスの中で気付いたが、もし、気付いていなければ、
    自分も危うく、こういう目に遭っていたと思うと、ドキドキワクワクしますw

    ようやく、クロアチアの国境を越えたかと思ったら、ほんの数キロ走ったところで、
    またまた、ボスニアへと入国。 ここは、ボスニアで唯一の港町であるネウム。
    ボスニアは、内陸国に見えるものの、実はほんの数キロ程、海があります。
    ドゥブロヴニクは、クロアチアの飛び地であるためボスニア→クロアチア→
    ボスニア→クロアチアと激しく国境を跨ぎまくりました。 トイレすらない場所で
    20分程度休憩の後、ネウムを離れて、更にドゥブロヴニクへ向けて出発しました。

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    ボスニアの首都であるサラエヴォからバスで約3時間強で、ヘルツェゴビナの
    中心都市であるモスタルに到着します。 宿は、バスターミナルから歩いて
    数分のところに予約をしていたため、安心していたところ、その宿が一切何の
    連絡もなしに、急に3日間も閉鎖となり、急遽、すぐそばの宿に泊まることに
    なったものの、こちらの奥さんが凄く親切なお方で英語も堪能であったため、
    むしろ、こちらの方が良かったと思いました。

    とりあえず、モスタルに到着したら、世界遺産である『古い橋』を見なければ
    何も始まらないため、バスターミナルから約1キロほど離れた世界遺産へと
    出掛けました。

    【夜のモスタル】
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    モスタルでは、モスクが乱立しており、完全にイスラムの世界。 もしろ、
    ヨーロッパ的な要素は何もありません。 強いて言えば、石造りの街並みが、
    若干ヨーロッパ的なだけで、街中から聞こえて来るのは、コーランばかり。
    1ヶ所だけカトリックの教会がありましたが、単なるお慰み程度の教会であるため、
    稀にしかないクロアチア人のためだけにある教会なのでしょう。 尚、
    Julius Meinl は、オーストリアでは、BILLAと並んで、非常にメジャーな
    スーパーですが、何故かモスタルにもありました。

    この日は実は、夜まで何も食べていなかったため、モスタルの雰囲気のある橋の
    たもとで食事を取ることにし、ボスニア風ケバブとボスニアのビールを注文
    しました。

    翌朝は、午後12時30分にドゥブロブニク行きの最終バスが出てしまうため、
    朝一番でバス乗り場に行き、切符を購入し、そのまま、街中の観光へと繰り出し
    ました。 と言っても、モスタルは、基本的に、『古い橋』以外、特に見る物が
    ない街であるため、今度は中心部を通って、『古い橋』へと向かう途中、銃弾の
    跡が、あちらこちらに残っていました。

    【モスタル中心部】
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    モスタル市中心部を流れる川を渡る途中、山頂にある十字架が見えましたが、
    カトリック教会は、ボスニアでは、存在感が極めて薄いため、至る所で、これ見よ
    がしに巨大な十字架が建っていました。 この十字架を見て、このすぐそばには、
    カトリック教会があるという風に分かるシステムの様です。

    海外に行って、最も行く場所と言えば、マクドナルドw 基本的に、地元の料理
    なんぞは一切食べませんので、時間の掛からない、かつ、味が予想出来るマックで
    十分w 材料すら分からない得体の知れない食べ物は、非常に苦手。

    単に、橋の反対側を歩いて来ただけで、川のどちら側から来ても、『古い橋』
    までの距離は、余り変わりません。 ボスニアではカトリック教会は多少なりとも
    あるものの、セルビア正教の教会は見掛けなかったため、恐らく、内戦で破壊
    されたものと思われます。

    【モスタル市中心部】
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    それ以外は、100%イスラムの世界であるため、観光客もほぼ全員イスラム教徒
    ばかりでした。 その後に行った、ドゥブロヴニクとは、客層が全然違っています。
    正に、イスラムがイスラムを呼ぶという感じでした。 世界遺産である
    『モスタルの古い橋』は、内戦中に破壊されてしまったため、内戦が収まった後に
    再建されたため、よくよく見ると、修復後の境界線が分かります。 イスラム教徒に
    大人気の観光スポットであるため、昼間に行くと、満員電車並みの混雑に遭遇する
    こととなります。

    毎日、定時になると、川のほとりに複数あるモスクから、コーランの祈りが響き
    渡るため、ヨーロッパに居るとは思えない程の完璧なイスラムの世界です。 尚、
    ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴ内での民族浄化等により、ヨーロッパでも
    最貧国の部類に入りますが、月給にして2万円程度のウクライナと比較すると、
    平均月収は13万円程度あるそうなので、ウクライナと比較すると、相当ましです。
    物価も日本よりは若干安い程度なので、東京とさほど差はないと感じました。
    恐らく、東京での現在の平均給与は25万円程度で、横浜だと20万円程度しか
    ありません。

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    サラエヴォ駅前にそびえ立つAvaz Twist Towerは、入場料は1マルク(約135円)で、
    サラエヴォの街並みを高所から見下ろすことが出来ます。 このタワーからは、
    サラエヴォ・オリンピックスタジアムと共に、墓地も見えました。

    1984年に開催されたサラエヴォ・オリンピックのメインスタジアムでメイン
    テーマ曲を歌ったのが、旧ユーゴの国民的歌手であるヤドランカ・
    ストヤコヴィッチでした。 現在は、同じボスニア連邦とされるものの、
    未承認国家のスルプスカ共和国の首都、バーニャ・ルーカで眠っています。

    【サラエヴォ】

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    この墓地があった場所は、元々は、オリンピックのサブ競技場であった場所で、
    内戦により、余りにも死者が出てしまったため、仕方なくこの場に埋葬したもの。
    戦時中は、銃弾の飛び交わない早朝や深夜に遺体の埋葬が行われました。
    スタジアム内には、オリンピック博物館が併設されています。 サブ競技場は、
    全てお墓にされてしまったため、スタジアム周辺は、この様な風景になって
    います。 墓地の向こう側に見えているのが、オリンピックの塔。

    このお墓を見ていると、違う民族(実際は、殆んど同じ民族で宗教が違うだけ)
    と言う理由だけで、次々と殺された人達の無念さが伝わって来ます。 墓標を
    見ると、20代~30代で死亡した人達が多かったことが分かります。
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    ユーゴスラビアは、東欧の中では、最も進んだ国で、大昔から日本人にはビザが
    必要ない唯一の国でしたが、進み過ぎていたがために、周辺国と足並みが揃わず、
    そこをアメリカに付け入られたため、泥沼の戦争となりました。 ポーランドや
    チェコがもう少しだけ早くユーゴに追い付いていたら、また全く別の道を歩んで
    いたと思うと、残念でなりません。

    昔、そのことをヤドランカに話した時に、『ユーゴは昔は進んでいたのに、今では
    500年前まで戻ってしまった』と言っていたのを思い出しました。 父親が
    セルビア人で母親がクロアチア人のヤドランカは、最後まで自分は『ユーゴ人』だと
    言っていましたが、最後は、バーニャ・ルーカに行くことになったため、最終的
    には、この景色を見て、どう思ったのかについては、知る術がありません。
    もし、自分が同じ立場だったら、やはり、バーニャ・ルーカに行くと思います。

    【オリンピックスタジアム】

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    サラエボともこれでお別れ。 最後に、キオスクのおばさんとボスニア語で話して
    いたのですが、急に『あなた、ボスニア語が凄く上手いけど、ここで習ったの?』と
    聞かれたため、『ロシア語が分かるので、ボスニア語も大体分かる』と答えた
    ところ、『私もロシア語でちょっとだけ喋れる』と言い出したため、ロシア語で
    話したところ、元々、父親がタタール人で、子供の頃にロシアのカザンから、
    親族全員でサラエヴォに引っ越して来たとのこと。 ロシア連邦タタールスタン
    共和国も同じイスラム教ですが、完全にヨーロッパ化しているため、ボスニアの
    本格的なイスラム教とは、全く違うものの、やはり、イスラム教徒は、同じ
    イスラム教圏内が良いらしく、この後のモスタルでは、その現実をまざまざと
    見せ付けられることとなりました。 サラエヴォからモスタルへは、バスで
    3時間半弱。 尚、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国旗、スルプスカ共和国には、
    全くありませんでした。

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    サラエヴォの旧市街から3番トラムに乗車して、トンネル博物館へと向かいます。
    その道すがら、通称『スナイパー通り』を通りました。 この通りでは、内戦時、
    女子供老人を含む、動く者全ての人間が射殺されました。 ボスニア側の説明に
    よると、セルビア連邦軍が射殺したとの説明でありましたたが、セルビア連邦軍で
    なくとも、そこまでやる必要性があったのか、いくら戦争とは言え、他の民族を
    手当たり次第に殺戮しまくった旧ユーゴにおける内戦は、アメリカが介入して
    来なければ、『民族浄化』まではエスカレートすることはなかったと思います。

    【ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦】
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    【サラエヴォ包囲網】
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    上記の図は、サラエヴォ包囲の図と、肌色っぽい場所は、現在のスルプスカ
    共和国の国土を表しています。 旧ユーゴでの内戦中、サラエヴォは、セルビア
    連邦軍に完全に包囲されたため、サラエヴォ空港の真下にトンネルを掘り、物資を
    輸送して、皆何とか生き延びました。 そのため、別名『希望のトンネル』と
    呼ばれています。 このトンネルは、空港のすぐ隣にあるのではなく、空港
    滑走路の真下にあり、そのうち25mのみが一般公開されています。

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    元々、ユーゴスラヴィアでは、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人、
    スロヴェニア人、マケドニア人、アルバニア人、ハンガリー人が共存して
    いましたが、北部にある経済力のあるクロアチアとスロヴェニアが、南部にある
    マケドニアやボスニアとの経済格差に対して、不公平感の是正を求めて独立を
    宣言しましたがが、これが戦争の始まりでした。 その後、セルビア連邦軍が
    介入し、更に、アメリカを中心としたNATO軍が介入し、クロアチアと
    スロヴェニアでは、内戦はそこまでは泥沼化しなかったものの、ここ
    ボスニア・ヘルツェゴビナでは、宗教が全く異なる3民族が共存していたため、
    内戦が泥沼化し、最終的には、セルビア人の共和国であるスルプスカ共和国が
    ボスニア連邦からは完全に分離し、停戦となりました。 今でも、火種は
    あるものの、今のところは、3民族が完全に住み分けを行うことで、平和が
    保たれている状況です。

    希望のトンネルとそこにある展示品は、実際に戦争で使われた物ばかり。
    希望のトンネルは、現在は埋め立てられており、この25mのみが一般公開されて
    います。 空港滑走路の真下を通っているため、恐らく、安全上の理由により、
    埋め立てられたのだと思いますが、緊急物資を運ぶためとは言え、短期間で
    この様なトンネルを掘るのは、至難の技だと思います。 しかも、天井が非常に
    低いため、相当屈まないと頭がぶつかります。

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    壁の銃弾は、当時のまま。 旧ユーゴの時代は、民族や宗教の違いを超えた
    理想郷の様に言われていたサラエボも、最終的には、こんな有様になりました。
    余りにも違い過ぎる場合は、諦めが付いて許せるものの、民族的に非常に似ていて、
    かつ、思考回路が全く違うため、血みどろの戦争へと突入しました。 アメリカが
    介入して来なければ、ここまで大規模な戦争にはならなかったと思います。
    アメリカを中心とするNATO軍に対して、セルビアを身を挺して守ったのは、同じ
    スラブの兄弟国家であるロシアだけでした。

    サラエヴォ・トンネル博物館は、サラエボ空港の真下にあるため、帰りは空港を
    見ながら、歩いて路面電車の駅へ行きました。 正確に言うと、ボスニア・
    マルカの手持ちがゼロになったため、バスに乗れませんでしたw よって、帰り道の
    ショッピングモールにあった、ロシアのズベルバンクでユーロからマルカへと
    両替をしました。 旧ユーゴ諸国で一番メジャーな銀行は、ズベルバンクだと
    思います。 尚、セルビア人のスルプスカ共和国は、サラエボに大きく食い込んで
    いるため、この山を越えた向こう側はもうスルプスカ共和国です。

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    再度、スナイパー通りを抜け、途中、西側報道陣が内戦時に最後の最後まで
    立て篭って報道を続けたという『いわく付き』のホテルでおトイレを借りましたw
    サラエボでは、セルビア連邦軍のことを余り良くは語られてはいませんでしたが、
    私の場合は、セルビアやスルプスカ共和国側の状況を先に見て来てからボスニアに
    やって来たため、一切その様には感じませんでした。 『真実はひとつだけ』と
    良く語られているものの、見方によっては、真実はひとつだけではないため、
    多角的に物事を見るべきです。 ムスリム人やクロアチア人から見た場合はそう
    なのかも知れませんが、セルビア人から見た場合は、全く違うと思います。

    この施設は、サラエヴォ市内からは、合計2時間近く掛かる施設ですが、
    サラエヴォを訪れた際には、1回は絶対に見ておくべき施設です。

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    旧ソ連構成国であった中央アジアのカザフスタン共和国が国際化を目指して、
    カザフ語のロシア(キリル)文字による表記を止めて、ローマ字に変更する
    ことを決定した。 若者は既に携帯電話のメールをローマ字で送るなど、かなり
    以前からロシア文字離れが加速していた。 2006年に『ローマ字は今日、
    情報通信分野を席巻している』と述べていたヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は
    2018年4月、国営紙に論文を発表し、この中で、文字表記変更の具体的な
    スケジュールを提示した上で、2025年にはローマ字に完全移行すると宣言した。

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    カザフスタンでは、カザフ語が国家語、ロシア語は公用語とされているが、多くの
    外国人観光客にとっては、キリル文字は読むことすら難しい。 カザフスタンは
    元々、イスラム教徒が多数派を占めており、旧ソ連からの独立直後は、アラビア
    文字へ変更する運動も行われたが、最終的には定着しなかった。

    カザフスタン国内には、100以上の民族が共存しており、カザフ語とロシア語の
    他にも、先住民族であるウズベク語、タジク語、ウイグル語が教育言語として
    認められている。 旧ソ連邦から独立した1990年代には、カザフ語を強化拡大する
    政策に重点が置かれた。 カザフスタンでは、1997年に『言語法』が定められ、
    高等教育まで一貫して受けられるのは、カザフ語とロシア語だけとなっているため、
    カザフ人とロシア人以外の少数民族は、カザフ語かロシア語でのバイリンガル教育に
    力を入れている。

    現在、カザフスタンでは、ロシア系住民が約2割を占めているが、この先、正式に
    ローマ字を使うことになるため、ロシア系住民の国外脱出の機運が更に高まると
    考えられている。 旧ソ連邦からの独立時、カザフスタンでは、約6割超がロシア系
    住民で占められており、カザフ人は、むしろ、少数派であった。 但し、独立後は、
    カザフ人中心の政策に切り替えられたため、多くのロシア人やウクライナ人たちは、
    カザフスタンから去って行った。

    【カザフ語とロシア語】
    現在、カザフスタンでは、カザフ語とロシア語の2つの言語が公用語となっている
    ものの、政府やビジネスの場面ではロシア語が使用される場面が多い。 しかし、
    カザフ語に対する敬意が高まる中で、近年ではカザフ語がロシア語より使用される
    ようになって来ている。 カザフスタン国内には、117もの異なる言語が共存して
    おり、その中でもロシア語がお互いの意思疎通を図るための共通言語として、最も
    主要な言語となっている。 2009年の調査では、人口の約85%がロシア語を完璧に
    使いこなせると答えたのに対し、カザフ語は人口の約62%に留まるという結果と
    なった。

    カザフ語は、カカザフスタンを中心に、中国新産ウイグル自治区、ロシア、モンゴル
    西部、中央アジア諸国などで使われるチュルク系の言語である。 チュルク諸語の
    中では、キプチヤク語群や北西語群などと分類され、クルグズ語やカラカルパク語、
    バシュコルト語などとよく似た特徴を持っている、 カザフ語は、他のチュルク
    諸語と同様に、人称や時制などを示す要素が名詞や動詞の後に付く膠着語である
    ことや、語順が主語+目的語+述語であること、母音調和や格助詞が存在するため、
    日本語との共通点が多く、日本語使用者にとつては、習得しやすい言語であると
    言える。

    カザフスタンには、1,000万人を超えるカザフ語話者がおり、カザフスタン国外では
    500万人以上のカザフ語話者が居る。 ソ連時代末期の1989年に、カザフ語が国家語
    となることが法的に定められ、独立後のカザフスタンにおける国家語として制定
    された。 カザフスタンでは、帝政ロシア時代やソ連時代を通じて、ロシア語が
    中心的言語として使われて来たが、独立後の現在でも、カザフスタンは、
    ウズベキスタンやトゥルクメニスタンなど、他の中央アジア諸国と比べて、
    ロシア語の使用頻度が非常に高い。 これは、カザフスタンにおけるロシア人の
    比率の高さにも寄るところがあるが、ロシア語は、ロシア人のみならず、この国に
    住むウクライナ人、タタール人、ドイツ人、朝鮮人他、非ロシア人らによっても
    日常的に使われる実質的な共通語となっている。

    カザフスタンでは、人口の約3分の1が非力ザフ人であるため、ロシア語が住民
    同士の重要なコミュニケーションの手段となっている。 都市部では、カザフ語
    よりもロシア語が流暢なカザフ人も少なくなく、カザフ人同士がロシア語で会話を
    する場面も珍しいことではない。 同じカザフ人であっても、カザフ語を母語と
    する者(あるいは、カザフ語を日常会話で使用する者)とロシア語を母語とする者
    との間には、メンタリティ上の違いがあると指摘されることもある。 また、
    自然科学を中心に、カザフスタンにおける科学・学術分野の発展にロシア語が
    大きく寄与し、諸外国の文化はロシア語を通じて紹介されることが多い。

    ロシア帝政期カザフの文学は、主にロシア語で書かれており、カザフ文学に
    おいても、ロシア語の存在は小さくない。 カザフ語は、1993年の最初の憲法で
    国家語と規定され、ロシア語は、1995年の憲法で、国家組織や行政機関において、
    『公式にカザフ語と同等に使用される言語』と定められている。 尚、カザフ
    スタン大統領の条件のひとつに国家語、すなわち、カザフ語に堪能である
    ことがある。 現在のカザフスタンでは、ロシア語の知識があれば、カザフ語を
    知らなくても、普通に日常生活をおくることが可能となっている。

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    【表記文字の歴史】
    1930年代、カザフスタンでは、チュルク系のルーン文字からラテン文字へ、
    ラテン文字からキリル文字へと、2度文字が変更された。 カザフ人は独自の文字を
    持たない遊牧民族であり、カザフ語はチュルク系言語に属しているが、イスラム
    文化の流入と共に、アラビア文字で表記されるようになった。 その後、1917年の
    ロシア革命後には、ソヴィエト政権により、ローマ字の使用が奨励された。
    しかし、1938年から1940年の間に、ソヴィエト政権によるロシア文化推進の一環
    として、カザフ語はキリル文字で全て表記することが決定された。 キリル文字に
    転換された結果、カザフスタン国内のカザフ人と国外のカザフ人とが文字の上で
    分断された。

    キリル文字は全部で42文字あり、この中には、カザフ語では発音しない文字も
    含まれているが、今後、新たに導入されるローマ字では、全26文字に加えて、
    カザフ語をより正確に表現するために、アポストロフィとローマ字の組み合わせ
    による9文字が追加される予定となっている。 この文字の変更は、デジタル
    時代に備えるためには必須とも言われており、現在のカザフ語の表記方法では、
    PCのキーボードの数字部分まで使用しなければ文字が足りないが、キリル文字
    からローマ字に移行すると、この問題が解決すると言われている。 また、2000年
    から始まった急速な経済成長に伴い、西洋諸国とのコミュニケーションの必要性が
    高まり、英語を学んでアルファベットを受け入れることが求められるようになった
    という経済的な背景がある。

    ソ連邦崩壊後、近隣国であるウズベキスタンとトルクメニスタンでは、直ちに
    キリル文字からローマ字へと表記方法が変更されたが、カザフスタンはこれらの
    国々とは異なり、1991年の独立以来、政治的な繋がりが強いロシアとの関係を
    最重視して来た。 しかし、その一方で、ナザルバエフ大統領は、ロシア、
    ヨーロッパ諸国や中国との関係を視野に入れつつ、長期に渡る国の近代化を推し
    進める『カザフ化』によって、カザフ語やカザフスタンの伝統文化を強化し、
    国民のアイデンティティを取り戻すための計画を複数実施している。 カザフ
    スタンは、ソ連邦が崩壊した後も、ロシアの強大な影響下にあるが、表記文字を
    変更することにより、石油の輸出のみに頼り切った国内経済から、ソ連邦時代の
    暗い過去を捨て去り、より強力な経済力を持つ国へと成長するための施策的な
    政策として、文字の変更を行う計画となっている。

    kazaf-map2

    【政治的な影響力】
    カザフスタンは、これまでも、ロシアの文化や政治的な影響力からは一定の距離を
    保って来たが、まず、教育現場や政府内で使用される言語が、ロシア語から
    カザフ語へと変更され、外国語教育の現場では、ロシア語と英語が同等の地位
    として扱われるようになった。 カザフ語の映画やテレビ番組が多く制作され、
    自国の文化がより多く取り上げられて来た。

    カザフスタンは、未だ中央アジアに多大な影響を及ぼしているロシアとは徐々では
    あるが、距離を置いているが、近隣諸国と比較して、これまでロシアに配慮した
    政策を採って来たカザフスタンが、何故、今になって表記方法を変更するのか、
    その理由の裏には、近年のロシアの動きを指摘する声もある。 ロシアは近年対外
    関係において、ウクライナやジョージア、シリアへの介入など、積極的に他国に
    干渉する動きを見せている。 このロシアの国際的な動向に対し、カザフスタンを
    含む旧ソ連下にあった中央アジア諸国は、ロシアの影響が再び強まるのではないか
    と懸念しており、今回の表記変更の裏にもこのような懸念が関係しているのでは
    ないかとも言われている。

    カザフ語の表記方法が変わること自体には、国内から概ね支持が得られている
    ようだが、この変更によって困る人たちも当然存在する。 カザフスタン国内には、
    ロシア系の人々が多数住んでおり、国内ではカザフ系の人々に次いで2番目に大きな
    割合を占めるが、ロシア系住民たちは、カザフ語の表記変更に対して、反対の声を
    上げている。 ウズベキスタンやトルクメニスタン等では、カザフスタンより先に
    自国の言語をローマ字表記に変更したが、国内には同様にロシア系住民を多く
    抱えている。 カザフスタンは、この2ヶ国とは比較にならないぐらいの多くの
    ロシア系住民が住んいるため、今後のカザフスタンの動向が注目される。

    カザフ政府筋は『カザフ語のローマ字化後もロシア語は残る』と反論しており、
    『中高年がローマ字に慣れるのは難しいかも知れない』としている。 文字の
    変更後は、自分の名前すらどう表記すれば良いのか分からなくなってしまう
    といった声や、これまで、ロシア語で書かれて来た過去の文書が廃れて行って
    しまうのではないかという懸念の声もある。

    これに対し、ナザルバエフ大統領は、ローマ字表記に変わるのはカザフ語であり、
    カザフスタンからキリル文字やロシア語が消える訳ではない。 色々な不安の
    声もあるが、自分たちはロシア語で世界の文化について学び、その記憶は消える
    ことはなく、また、近隣国とは常に協力して行くつもりであると述べ、不安の
    声を鎮めようとしているが、今後の先行きは、全く不透明となっている。

    Nazarbayev

    【ローマ字表記による弊害】
    ローマ字でカザフ語の発音表記を行う場合、様々な問題が考えられるが、この
    問題に対して、ナザルバエフ大統領は、ローマ字に組み合わせてアポストロフィを
    多用することで解決しようとしている。 しかし、これに対しては、言語学者等が、
    アポストロフィを多用すると、ややこしくて読み辛くなると指摘している。
    また、アポストロフィを多用すると、ウェブ上で検索出来なくなり、SNS上で
    ハッシュタグが使えなくなるといった問題が生じる。

    アポストロフィには、このような問題点があげられるため、アポストロフィを多用
    する代わりに、トルコ語を真似た表記方法にすれば良いのではないかという言語
    学者もおり、実際に2017年8月に言語学者たちから、トルコ語をモデルとした
    発音記号の作成が提案された。 しかし、ナザルバエフ大統領は、この提案を採用
    しなかった。 ソヴィエト政権からの独立以来、26年間以上も大統領であり続ける
    ナザルバエフが考える政策には、誰も異論を唱えられる状況になく、
    アポストロフィの多用が今後推し進められであろう。 但し、ナザルバエフ
    大統領自身も、自分の考えが固まっていないらしく、カザフ語を表記するために
    アポストロフィを多用するか否かは、まだ最終的な決定に至っていないと近しい
    人物に述べており 、今度、アポストロフィ以外のローマ字を補助する形での表記
    方法が検討されて行く可能性は十分あり得る。

    尚、これまでにロシア文字を捨てて、ローマ字へ移行した国には、ルーマニア、
    モルドバがあり、現在、セルビアがローマ字へ移行中となっているが、今後、
    カザフスタンがどの様な道を模索するのかは、全くの未知数となっている。

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    第一次世界大戦勃発の地である『ラテン橋』。 この橋のたもとで、
    オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が
    始まりました。 第一次世界大戦での敗北により、オーストリア=ハンガリー
    二重帝国は崩壊、それと共に、ハプスブルグ家の支配が終わり、オーストリアは、
    ドイツ民族以外の土地を全て失い、共和制へと生まれ変わりました。

    元々、ドイツ民族の中心国家は、オーストリアであり、このため、現在の
    ドイツの国歌は、オーストリアのお古w よって、オーストリア人は、今でも
    頻繁に、『帝国時代は良かった』と言います。

    【ラテン橋】
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    ラテン橋は、『ヨーロッパ側』にあるものの、ものの数分も歩くと、また
    イスラムの景色に戻ります。 数百メートルおきに、モスクが大量に乱立して
    いるため、歩いている間に見飽きて来ました。 以前、タタールスタンの
    ニジェネカムスクで、ヨーロッパ化したモスクに入った際には、1時間ほど、
    ロシア語でコーランの説明を受けたため、今回は、モスクには入らないことに
    しましたw

    基本的に、食べ物には関心がないため、旅先では、余り食事と言う物を取り
    ませんが、この日は朝ごはんを食べずに歩き回ったため、お昼は、ボスニア名物の
    ケバブとトルコ・コーヒーにしました。 正確に言うと、ボスニア風ケバブと
    ボスニア風コーヒーらしい。

    バシチャルシアの水飲み場付近
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    モンテネグロの現在の首都の名前は、ポドゴリツァですが、旧名は、チトー
    大統領に因んで、『チトーグラード』と言う名前でした。 ベオグラードに
    埋葬されているのも知っていたものの、そこまでチトーが好きな訳でもないので、
    次回ベオグラードに行く時に持ち越しました(←既に行く気満々♪)。

    ひとつひとつが手作りのトルコ・コーヒーのカップ。 このコーヒーセットが
    結構欲しかったのですが、予想外に高かったたのと、リュック1つしか持参して
    いないため購入を断念。 次回は、しっかりとトランクを持参して、コーヒー
    セットとイスラムランプを購入したいと思います。 こういう自分の常識に
    囚われないエキゾチックな場所が大好きなので、サラエヴォには、また来たいと
    思いました。

    【ムスリム人居住区】
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    サラエヴォのムスリム人居住区。 内戦時、サラエヴォはセルビア軍に包囲された
    ため、完全に孤立し、これらの建物の多くが破壊されました。 セルビア人、
    クロアチア人、ムスリム人による血で血を洗う戦争は、民族浄化まで引き起こし、
    最終的には、国連の指導の下、3民族が分かれて住み分けを行うことで最終的に
    合意しました。 セルビア人、クロアチア人、ムスリム人は、元々は同じ
    南スラヴ人で、同じセルボ・クロアチア語を話す民族ですが、支配されていた国が、
    オスマン・トルコとオーストリアに分かれていたため、一部の人たちがイスラム化
    してムスリム人に、セルビア正教を受け入れた人達がセルビア人に、カトリックを
    受け入れた人達がクロアチア人へと完全に分化しました。 この3民族を分けて
    いるのは宗教だけ。 セルボ・クロアチア語は、ブルガリア語と非常に似て
    いますが、イントネーションが完全にイタリア語寄りのため、ロシア語からは、
    非常に聞き取りづらいのが特徴。

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    名目上は、ボスニア連邦第二の都市であるバーニャ・ルーカから、ボスニア
    連邦の首都サラエボまでは、バスで約3時間半の道のり。 途中、スルプスカ
    共和国からボスニア連邦に入った途単に、風景が一気にイスラム化し、キリル
    文字からローマ字に切り替わりました。 ボスニア連邦の中心民族は、
    ムスリム人でクロアチア人は、余り多くはありませんでした。

    と言っても、元々は同じ民族であるため、見た目は同じであるものの、イスラム教徒
    独特の風貌をしているため、見てどちらかが分かります。 ムスリム人の見た目の
    主な特徴は、男性はひげを生やし、女性はスカーフを巻いています。 一部、
    ブルカを着ている人もいましたが、恐らく、別のイスラムの世界からやって来た
    観光客だと思われます。 余り敬虔ではないイスラム教徒は、ここまではして
    いませんが、話し方がやはり独特であるため、やはり、ムスリム人だと分かります。

    【バーニャ・ルーカ⇒サラエヴォ】
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    サラエヴォで宿泊したのは、市中心部で、鉄道駅と高速バスターミナルからは、
    歩いて20分程度の場所にあり、むしろ、駅とバスターミナルの方が街の外れに
    あるため、こちらが本当の中心地。 旧ユーゴでの内戦で死亡した人達の魂を
    鎮めるためなのか、『永遠の炎』が宿のすぐそばにありました。 これが歩行者
    天国への入り口で、こちらはヨーロッパ側。

    歩行者天国を入って、10分程度は、ヨーロッパ的な石造りの街並みが続きますが、
    『ここが境界線』という場所で、目に見えて景色が一変します。 サラエヴォには、
    基本的に、カトリック教会もありますが、数百メートルおきに、イスラム教の
    モスクが乱立しているため、カトリックは圧倒的に少数派。

    セルビア正教会もお慰み程度にはありますが、内戦後、セルビア人の多くは、
    サラエヴォからは出て行き、ここから見て、山を越えたスルプスカ共和国側に
    住んでいるため、サラエヴォにはセルビア人は余り残っていません。

    サラエヴォ】
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    この通りから先が、ムスリム人居住区。 景色が一気にイスラム化し、ヨーロッパ
    ではなくなります。 サラエヴォには、イスラム教の他にも、カトリック教会、
    セルビア教会、ユダヤ教が共存していますが、圧倒的多数なのは、イスラム教。
    ユダヤ人はここでは、かなりの少数派だと思います。 尚、現在イスラエルに
    住んでいるユダヤ人の多くが、旧ソ連邦からの移民であるため、イスラエルでは、
    実は、多くの人達が、ロシア語で話しています。 ユダヤ人は、見た目が非常に
    特徴的であるため、見てすぐに分かります。

    ロシア連邦のタタールスタン共和国や、カザフスタン等の中央アジアも、完全に
    イスラム教の世界なのですが、完全にヨーロッパ化しているため、同じイスラム
    教徒でも、サラエヴォは趣が全然違いました。 ここは、完全なるイスラムの世界。
    街を歩いていても、あちらこちらからコーランが普通に聞こえて来ます。

    ユーゴスラヴィアは、『民族のモザイク』、特に、複数の宗教が混在している
    サラエヴォは、『コスモポリタン』とも呼ばれていましたが、むしろ、ここまで
    思想が異なる同じ民族をひとつにまとめていたチトー元大統領が物凄いのだと
    改めて気付きました。 旧ユーゴ内戦後に、それぞれの民族ごとに『住み分け』が
    実施たことでも分かるように、宗教が異なり、思想が異なると、やはり、共存は
    無理だと思います。

    ムスリム人居住区内にあるサラエヴォ市庁舎。 内戦でボロボロになりましたが、
    修復を終えて、美しい姿に戻りました。 露店に並ぶお土産は、トルココーヒーの
    セット。 結構欲しかったのですが、意外に高いのと、かさばるため、購入は
    我慢しました。 尚、今回の旅は、リュックサック1つのみで出掛けております。

    【ムスリム人居住地区】
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    川のある場所から、山が見えますが、その山を越えた場所が、セルビア人居住区の
    スルプスカ共和国。 よって、サラエヴォからセルビア人が出て行ったと言う
    よりは、山を越えた向こう側に引っ越したが一番正しい表現だと思います。 尚、
    ボスニア連邦⇔スルプスカ共和国間には、国境があるものの、同じ国内であるため、
    パスポートチェックはなく、通貨も同じ。 但し、見た目的にも、思想的にも、
    全く別の国。

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    スルプスカ(セルビア人)共和国の首都バーニャ・ルーカの中心部。
    スルプスカ共和国は、ボスニア連邦政府の支配は受けていないため、
    ボスニアの国旗はひとつもなく、セルビア国旗しかありません。 中心部は、
    こじんまりとしており、歩行者天国を中心に、商店街が軒を連ねています。

    【セルビア正教会】
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    バーニャ・ルーカ中心部にあるセルビア正教会。 ボスニア・ヘルツェゴビナ
    には、3つの宗教がありますが、そのうちの教会の1つ。 基本的に、正教国家は、
    キリル文字を使用しています。 セルビア正教会には、ろうそく立てがなく、
    この教会には、ろうそく自体もありませんでした。

    歩行者天国を中心としたバーニャ・ルーカの中心部。 『未承認国家』と聞くと、
    暗いイメージがありますが、全く逆で、かなり明るい雰囲気です。 未承認国家
    とは、単にアメリカに認められるか否かの違いだと思います。 ボスニア・
    ヘルツェゴビナでは、旧ユーゴ内での内戦の後、各民族間による住み分けが進み、
    多くのセルビア人がサラエボからこのバーニャ・ルーカへと移り住んだそうです。
    雰囲気的には、同じボスニアでも、ムスリム人とクロアチア人が中心のボスニア側
    とは、全く雰囲気が異なります。

    【市中心部】
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    バーニャ・ルーカの中心部には、恐らく、内戦で死亡したであろう、英雄を祀る
    場所があります。 スルプスカ共和国は、ほぼセルビアと同じであるため、現地で
    最大の銀行は、ロシアのズベルバンクです。 ロシアとセルビアは、非常に仲が良い
    国であるため、この他にも、ガスプロム、ラーダ等のロシア企業もところどころに
    ありました。

    スルプスカ共和国博物館。 過去の歴史を一同に展示していますが、途中からは、
    戦争の展示に変わります。 スラブ人は、大きく分けると、ロシア人等の
    東スラブ人、ポーランド人等の西スラブ人、セルビア人等の南スラブ人に大別
    出来ますが、他のゲルマン民族やラテン民族とは異なり、分化したのが遅かった
    ため、スラブ語は、それぞれの言語で喋っても、大体理解出来る程似ています。

    【スルプスカ共和国博物館】
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    スルプスカ共和国の展示物。 民族衣装の展示ですが、南スラブ人は、オスマン・
    トルコの影響を強く受けているため、かなりアジアっぽい雰囲気が入っています。
    セルビアは、長らくオスマン・トルコの支配を受けていましたが、イスラム化
    せずに、セルビア正教を貫きました。逆に、イスラム化したのが、ムスリム人
    ですが、元々は、セルビア人とクロアチア人がイスラム化した人達。 ヤドランカが
    弾いていたサズの展示もありましたが、元々は、シルクロードを通って、ペルシャ
    から伝来した物。 日本にもシルクロードを通って、ほぼ同じ物が伝来し、琵琶に
    なりました。

    何故かキリル文字とローマ字が混在しているプレートを発見。 どちらも同じ
    アルファベットなので、文字変換は以外に簡単。 ロシア語をローマ字で書くと、
    ほぼチェコ語になりますw 最後の一枚は、バーニャ・ルーカの平均的な家屋。
    内戦後にリフォームされているため、外観的に新しい家が多いです。

    バーニャ・ルーカを後にして、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都サラエボを
    目指します。 バーニャ・ルーカからサラエボまでは、約3時間半の道のり。
    ボスニアは山がちの国であるため、途中はほぼ全て山脈で、厳しい山越えが待ち
    受けていました。 途中でボスニア側に入りますが、国境を越えた途端に雰囲気が
    一気にイスラム化するため、見た目で分かりました。

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    未承認国家のスルプスカ共和国の首都、バーニャ・ルーカを訪れることに
    したのは、旧ユーゴの国民的歌手であるヤドランカ・ストヤコヴィッチの
    お墓がこの街の郊外にあるため。

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    現地に到着してから思い立ち、急遽、そのヤドランカが死ぬまで入院をしていた
    高齢者介護施設を訪れることにしました。 たまたま、前日宿泊していた宿の
    すぐそばにあり、歩いて15分程度の場所にあったため、ホームセンター
    (この建物がこの施設への目印)で、ヤドランカにお供えする造花のバラを
    購入しました。 最後、この施設を撮影していたところ、施設係員の方から、
    怒られたのですが、『ここはヤドランカ・ストヤコヴィッチが死んだ場所ですか?』
    と尋ねたところ、『そうだ』という答えが返って来ました。

    ヤドランカが死亡した施設のすぐ隣りで、エスプレッソを飲みました。
    ヤドランカもここに来たのかな?などと考えてしまいましたが、その後、
    その斜め後ろにある教会へ移動。 カトリック教会なので、ヤドランカには
    関係がないかも?とも思いましたが、すぐ隣りにある教会なので、とりあえず、
    お祈りをしておきました。

    【ヤドランカが入院していた施設】
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    その間、宿泊先のセルビア人の管理人にメールを送り、中心部からかなり
    離れたヤドランカのお墓に車で連れて行って貰えることになりました。 実は、
    ヤドランカが眠る共同墓地は、中心部からは、8.5キロも離れており、歩くと
    2時間強の道のり。 管理人の話では、新しく造った市営墓地なので、郊外に
    あるそうす。

    ヤドランカが入院したのは、東日本大震災直後の2011年のことで、その後、
    2016年まで5年間もこの施設に入院していました。 不治の病のALSで、現代の
    医学では、治療をすることすら出来ませんでした。 バーニャ・ルーカに
    行きたいと思ってから、この地に来るまでに、7年半もの歳月が掛かってしまい
    ましたが、この7年間、東京は、地獄のどん底で、ヨーロッパ旅行など、出来る
    ような経済状態ではありませんでした。。 遅れてもバーニャ・ルーカに来れた
    ので、ヤドランカはきっと許してくれると思います。

    Gradsko groblje Vrbanja
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    【Gradsko groblje Vrbanja】


    造花のバラをお墓の上にお供えして、30分ほど、このお墓の前で色々お話しした後、
    ヤドランカのお墓を後にしました。 サラエボで生まれ育ったヤドランカですが、
    最後、どうして、バーニャ・ルーカを終の棲家にしたのかは、謎のまま。 管理人の
    話では、恐らく、サラエボが完全にイスラム化したためだと言っていました。。

    その管理人とは、次回、バーニャ・ルーカを訪れる際には、絶対にセルビア語で
    喋れるようになってここに戻って来ると約束しました。



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    旧ベオグラード中央駅のすぐ隣にあるバスターミナルからバスに乗り、未承認
    国家であるスルプスカ共和国の首都、バーニャ・ルーカを目指します。
    ベオグラードからバーニャ・ルーカまでは、片道約7時間半の道のり。

    セルビアとボニア・ヘルツェゴビナ(スルプスカ共和国)の国境にはサヴァ川が
    流れていますが、すぐ横を通る鉄道は、何故か廃止されており、橋だけが残って
    いました。 恐らく、内戦時に何者かによって破壊されたのが原因だと思います。
    セルビアでの出国手続きに続き、スルプスカ共和国(名目上はボニア・
    ヘルツェゴビナ)側での入国手続きもバスを降りずに、簡単に終わりました。

    【セルビア ⇒ スルプスカ共和国】
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    実は、セルビアからスルプスカ共和国へは、クロアチアを通って、そのまま
    高速道で行くのが一番早いのだが、戦争の影響で、クロアチアとの国境ぎりぎりの
    場所は何度も通るものの、クロアチアへは一度も入らずに、そのまま首都
    (ボスニア第二の都市)のバーニャ・ルーカを目指します。

    ベオグラードからのバスは、高速バスではないため、途中、様々なバスターミナル
    へと立ち寄りました。 その度に20分程度の休憩を挟むため、かなり時間が
    掛かります。 休憩の際には、運転手が特に何か言う訳でもないため、
    『何分間の休憩?』とその度に、セルビア語で質問しました。 下手をすると、
    置いて行かれる可能性があるため、この手のバスの旅では、一々時間を聞くか、
    じっとバスの中で待っているかの何れかが無難。

    途中、セルビアとの国境に近い、ビイェリナで休憩したため、10分程度、
    付近を散策しました。 7時間半の旅の途中で、最終的には寝てしまったものの、
    運転手に起こされて、目覚めた場所がバーニャ・ルーカでした。

    【バーニャ・ルーカ】
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    スルプスカ共和国では、政治に非常に関心が集まっているため、政治的な
    ポスターを道端のあちらこちらで見掛けました。 セルビアでは、ローマ字への
    切り替えが進んでいましたが、こちら、スルプスカ共和国では、道路標識以外は、
    基本的にローマ字は全くありませんでした。 セルビアよりもセルビアらしいのが、
    未承認国家のスルプスカ共和国と言えます。

    スルプスカ共和国は、同じボスニア・ヘルツェゴビナ連邦には括られているものの、
    通貨は両方共同じものを使っているものの、ボスニア連邦とスルプスカ共和国側
    とでは、デザインが異なります。

    バーニャ・ルーカは、人口約20万人程度の小さな街で、元々、見るべき物は余り
    ないものの、今回の旅の最大の目的地は、このバーニャ・ルーカでした。
    バーニャ・ルーカに来るために、全ての日程を合わせて、旧ユーゴを周る事にした
    というのが、今回の旅の計画です。

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    モスクワからベオグラードまでは、約3時間半のフライト。 ベラルーシ、
    カルパチア山脈、パンノニア平原を越えて、いよいよ、セルビアの首都である
    ベオグラードに到着です。

    空路でドナウ川を越えると、ベオグラードの街が見えて来ます。ベオグラードは、
    セルビアの中でも、最北端に位置しており、すぐ隣りには、ハンガリー系住民が
    多いヴォイヴォディナ自治州が広がっています。 ニコラ・テルサ空港も、
    そのヴォイヴォディナのすぐそばにあるため、コソヴォのみならず、
    ヴォイヴォディナまでもが独立宣言をすると、セルビアはますます窮地に
    立たされます。

    【モスクワ ⇒ ベオグラード】
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    ベオグラードの町の中心部を流れているのは、サヴァ川で、ドナウ川の支流。
    旧ユーゴ内では、泥沼の内戦後に、各民族ごとに完全に住み分けが進められて
    おり、他の民族の領地に入ると、雰囲気が一変するため、一目で分かります。

    セルビアは、東方正教の国で、文字はロシアと同じキリル文字を使っていましたが、
    近年、ローマ字への完全移行を行っているため、古い看板はキリル文字、新しい
    看板は、全てローマ字で書かれていました。

    アメリカを中心とするNATO軍に空爆された跡が生々しいベオグラード中心部は、
    表面的には、かなり復興が進み、街も明るくなりましたが、前回ベオグラードに
    来たのは、1997年のため、内戦終了間際。 ベオグラードが空爆されたのは
    1999年で、その命令を下したのは、元アメリカ大統領のビル・クリントン。

    【ベオグラード】
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    旧ユーゴの内戦終了から20数年程度既に経過していますが、今でも、その残骸が
    まま残されています。 やった方はすっかりと忘れ去っているのに、やられた方は
    いつまでも覚えているとは、正にこのこと。 数年前のトランプの大統領選の際に、
    クリントンが出馬していましたが、クリントン夫婦は、2人揃って世界各地で殺戮を
    繰り返している人間のクズです。

    数ヶ月前に閉鎖された旧ベオグラード中央駅は、一応中には入れるが、両替屋以外、
    特に何もありません。 但し、空港行きのバスは、今でもここから出ているため、
    閉鎖の意味が分かりません。

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    モスクワ観光のハイライトと言えば、赤の広場。 ほんの10数年前までは、
    夜に出歩くのは自殺行為とまで言われたモスクワも今ではすっかりと平和を
    取り戻し、夜にひとりで出歩いても大丈夫。 元々、ソ連の時代のモスクワは
    非常に安全な街でした。 この画像に写っている建物は、全てソ連の時代から
    全く変わってはいないものの、ライトアップだけは、ソ連の時代には全くなかった。
    グム百貨店もソ連時代からあるが、当時は、物不足で、品薄な店であったが、
    今では、三越もビックリの超高級百貨店。

    この日は、赤の広場で『モスクワ生誕祭』が開催されていたため、赤の広場の
    手前で1回、グム百貨店内へ入る手前で再度セキュリティーチェックが行われて
    いました。 最近のロシアは、テロがなくなったが、ほんの数年前までは、
    大規模爆弾テロが頻発していた時代があったことを忘れてはならない。

    【モスクワのカプセルホテル】
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    尚、この日は、モスクワでは数少ないカプセルホテルに宿泊。 受付の人が
    非常に親切なお方だったため、1月にモスクワに行く際にも、ここに泊まります。
    駅からは近いものの、そこからの行き方が非常に分かり辛いため、周囲の人に
    聞かないとたどり着けないと思いますが、物価が非常に高いモスクワにおいて、
    コストパフォーマンスが非常に良いので、利用価値は非常に高いと思います。
    行き方は、この『61』と書いてあるところから、更に奥に入った突き当たりのため、
    これを目印にすると、何とかたどり着けます。

    モスクワにある地下鉄雀が丘駅。 直線で行くと、雀が丘展望台までは、
    徒歩で数分程度行けるものの、階段がないため、かなり大回りして、15分以上も
    掛かります。 昔の駅名は、展望台の名前と共々『レーニンが丘』駅。
    その後、約29年振りにユーゴ・ザーパドナヤ駅へ。 この付近には、大学や
    研究所が集中しており、モスクワの学術的な中心地となっています。 モスクワ
    大学も、この場所からは、地下鉄で1本で行くことが出来ます。 29年振り
    ともなると、懐かしいを通り越して、覚えてないw  尚、この駅は、ブヌコヴォ
    空港までのシャトルバスが出ている駅なのだが、ブヌコヴォ空港へは、ハッキリ
    言って、キエフ駅からアエロエクスプレスに乗って行った方が早いため、
    用途によって、使い分けが必要。

    【雀が丘】
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    早朝6時(日本時間午後12時)からのモスクワ半日観光も終わり、シェレメチェヴォ
    空港へと帰ります。シェレメチェヴォ空港へ行くためには、まずは、ベラルーシ駅
    まで地下鉄で行きます。 尚、鉄道駅がベラルーシ駅、地下鉄駅がベラルースカヤ駅
    なので、要注意。 これは、日本語の『駅』がロシア語では別単語であり、しかも、
    それぞれ、男性名詞と女性名詞であるため、こうなっています。

    モスクワで最初で最後のロシア料理♪ 注文した物は、ブリヌゥイー、ボルシチ、
    ブリン、クワスと非常に分かりやすい典型的なロシア料理。 日本のロシア料理は、
    戦後の引揚者らが見よう見まねで始めた店ばかりであるため、本場の味とは、
    かなり異なりますw 特に、味が違うのが、ボルシチで、新鮮なビーツを日本では
    調達出来ないためか、味が全く異なります。

    【ユーゴ・ザーパドナヤ駅付近】
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    いよいよ、アエロフロートの共同運航便であるエア・セルビアでベオグラードへと
    飛び立ちます。 機内での放送は、英語とセルビア語のみであったため、主に
    英語の方を聞きました。 共同運航なのに、ロシア語での放送はありませんでした。

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    モスクワ・シェレメーチェヴォ空港を後にして、モスクワ中心部を目指します。
    空港からは、アエロエクスプレスで約40分ほどで、モスクワの中心地へと
    到着します。SVOとは、シェレメーチェヴォ空港のこと。 アエロエクスプレスは、
    片道500ルーブル(約850円)で、座席指定はなく、自動改札にバーコードを
    かざして中へ入り、好きな席に座ります。 切符は窓口でも購入出来る物と、
    自販機でも販売しているため、英語を選択すれば、ロシア語が出来なくとも、
    誰でも簡単に切符を購入出来ます。 翌日乗る帰りの切符を買うのが面倒だった
    ため、1000ルーブルの往復券を購入しましたが、30日間有効なだけで、往復割引
    というものは、一切ありません。

    尚、シェレメーチェヴォ空港は、モスクワ市内よりもゼロが1個ぐらい物価が高い
    ため、この空港で両替をするのは、絶対に止めた方が良いです。フリーWiFiの電波も
    入りますが、かなり電波が弱いため、自前でWiFiを持って行くのが無難。

    【モスクワ】
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    アエロエクスプレスで約45分後、モスクワ市中心部にあるベラルーシ駅に到着。
    尚、ロシアの駅名は、フランスと同じく『目的地』が駅名のため、モスクワ市内
    には『モスクワ駅』はありません。 よって、『ベラルーシ駅』は、その名の通り、
    ベラルーシやドイツ方面への国際列車が発着する駅。 ウクライナ方面は、
    『キエフ駅』なのに、ベラルーシ方面は、『ミンスク駅』ではありませんので、
    要注意w

    尚、モスクワの鉄道と地下鉄には、大体、WiFiが付いているため、WiFiマークが
    ある場所付近では電波が入ります。 東京では、新幹線ですらWiFiが付いていない
    ため、日本が世界からどれ程遅れをとった後進国なのかが良く分かります。
    モスクワの物価は、収入に対する物価の高さ世界一であるため、モスクワの物価は
    東京よりも遥かにお高め。 『ロシア語が喋れない場合』のホテルの相場は、
    1泊3万円以上でなければ、殆んどありませんw ロシアでの常識は、『搾り取れる
    ところから根こそぎ搾り取る』であるため、値段交渉が出来ない場合は、そのままの
    値段となりますが、モスクワでは、言い値の半額位まで値切るのが常識。

    【モスクワ生誕の日
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    2018年9月10日のモスクワは、モスクワ誕生871周年際であったため、市中心部
    では、至る所でお祭りを開催していました。今年は、『ロシアにおける日本年』で
    あるため、クレムリン付近では、和太鼓の演奏が行われていました。

    社会主義建国の父、カール・マルクス(ドイツ人)の銅像の下には、『万国の
    労働者達よ団結せよ!』とロシア語で記されていますが、ソ連時代は、この
    フレーズが連邦共和国15言語でそれぞれの国旗に記されていました。 尚、この通り
    には、ボリショイ劇場があり、現在の通りの名前は、『劇場通り』となっているが、
    ソ連時代までは、『カール・マルクス通り』と言う名前であった。 この日は、
    ロシア歴史博物館やグム百貨店もライトアップされ、お祭り気分を盛り上げて
    いました。

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    2018年9月8日~9月17日まで、旧ユーゴスラヴィア縦断の旅に行きました♪

    旅の始まりは、両替からw ものの18年ほど前までは、ロシアの通貨である
    ルーブルは、ロシア国外には一切持ち出し禁止だったのだが、最近では、
    日本国内でも普通にルーブルの両替が出来るようになたったため、1997年の
    経済危機の時から考えると、隔世の感が否めない。

    アエロフロートに限らず、ロシアの飛行機は、基本的に奇跡が起きない限り、
    時間通りには絶対に飛ばないのだが、この日も1時間半遅れで成田空港第一
    ターミナルを出発。 モスクワ・チェレメーチェヴォ空港までのフライト時間は、
    約10時間あるため、この間、ロシア映画を4本見た♪

    【成田空港】
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    成田空港を飛び立ち、ようやくモスクワ・シェレメーチェヴォ空港に到着したが、
    その間、機内食と飲み物は、それぞれ2回づつ出たのだが、この日の機内食は、
    鶏肉以外はもうないと言われた。

    ロシア国内には、基本的にローマ字による表記はないが、空港内だけは、
    英語と中国語による併記があるため、ロシア語が読めない人でも比較的楽に
    移動出来る。

    【モスクワ・シェレメーチェヴォ空港】
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    まずは、矢印の通りに進み、入国審査を経て、モスクワの街へ出ます。 今年は、
    ロシアでFIFAワールドカップサッカーを開催したため、ファンID所持者は、
    今年度中はロシアのビザが免除されています。 念のため、ロシア大使館にも
    問い合わせ、入国審査時には、更に念のため、口頭で入国審査官に対して、
    「ファンID所持者は、ビザが免除されていますよね?」と確かめたところ、
    「はい」との回答が返って来た。

    ロシアの入国審査は、結構面倒で、昔は色々と質問やら、スーツケースを開けろは
    当たり前で、財布の中身を見せろも当たり前でした。

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    ウクライナでは、ペトロ・ポロシェンコ大統領によるスポーツ奨学金
    用意されているが、毎年、以下の選手らに対して、奨学金が毎月
    定期的に支払われている。 名前は省略

    2018年11月29日現在、ウクライナの1グリブナは、約4 JPY
     
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    ● 世界選手権2017 水泳 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 自転車 金メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銀メダル 5,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダル 5,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 バスケットボール 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 バスケットボール 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 バスケットボール 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 飛込み 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 バスケットボール 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 飛込み 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 射撃 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フェンシング 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 陸上 銀メダル 9,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 バスケットボール 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 バスケットボール 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダル 5,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 体操 銀メダル 9,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 水泳 銀メダル 9,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダル 5,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 バスケット 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フリースタイル・レスリング 銀メダル 9,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダル 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 バスケットボール 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フェンシング 12,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダル 5,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 ボクシング 12,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フリースタイル・レスリング 銅メダル 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダルトレーナー 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銀メダルトレーナー 5,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 自転車 銀メダルトレーナー 3,500グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダルトレーナー 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フリースタイル・レスリング
     銅メダルトレーナー 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銅メダルトレーナー 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込みトレーナー 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込みトレーナー 7,000グリブナ
    ● シンクロ・ウクライナ代表シニアトレーナー 世界選手権2017
     銅メダルコーチ 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダルトレーナー 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダルトレーナー 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 射撃トレーナー 3,500グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダルコーチ 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 自転車コーチ 3,500グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダルコーチ 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 射撃トレーナー 3,500グリブナ
    ● 世界選手権2017 体操 銀メダルコーチ 9,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシングコーチ 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダルコーチ 2,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダルトレーナー 5,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フェンシングトレーナー 12,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ銅メダルコーチ 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 水泳 銀メダルコーチ 9,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダルコーチ 5,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 飛込み 銅メダルコーチ 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダルコーチ 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 カヤック・カヌー 銅メダルコーチ 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込み 銅メダリストコーチ 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダルコーチ 5,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 バスケットボール 銅メダルコーチ 5,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フェンシング 銅メダルコーチ 7,000グリブナ
    ● シンクロ・ウクライナ代表監督 7,000グリブナ
    ● カヤック・カヌー・ウクライナ代表監督 4,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 フェンシング 銀メダルコーチ 5,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダルコーチ 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銅メダルコーチ 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 フリースタイル・レスリング
     銀メダルコーチ 9,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込みコーチ 7,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 ボクシング 銅メダルコーチ 4,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダルトレーナー 7,000ブリブナ
    ● 世界選手権2017 ボクシングコーチ 12,000グリブナ
    ● 欧州選手権2017 飛込みコーチ 7,000グリブナ
    ● 世界選手権2017 シンクロ 銅メダルコーチ 7,000グリブナ

    上記の金額が対象者に対して定期的に支払われる。

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