横浜通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    横浜通詞】横浜、大阪、仙台にある多言語翻訳会社
    多言語を専門とした翻訳会社を運営しています。 日本語⇔英語の他にも、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、中国語、韓国語他、世界80言語以上に対応しています。 お気軽にお問い合わせください。

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    【セブ島へ】
    フィリピン中部の海に浮かぶ南国の島、セブ島へは成田空港から空路で4時間
    40分ほど。 マクタン・セブ国際空港は、セブ島のお隣のマクタン島にあるため、
    セブ・シティーまでは、タクシーで約1時間ほど掛かる。

    セブ空港からの公共交通機関は一切なく、タクシーを利用する以外の選択肢はない。
    空港を出て暫く歩くと、若干割高の黄色いホテルタクシーとかなり割高の白い
    タクシーの2種類しか選ぶことが出来ない。 セブ島内ではバスは殆んど走って
    おらず、庶民の足として利用されている、ジプニーやトライシクルも空港には
    乗り入れていない。

    現地のツアーガイドに聞いた話では、空港からセブ・シティーまでの平均的な
    タクシー料金は300ペソ程度だそうで、空港からの白のタクシーでは、大概500
    ペソを要求されるため、帰りのセブ・シティーから空港までのタクシーでは、
    行きは350ペソしか支払っていない旨を伝えたところ、400ペソになった。
    セブでは、何事でも一々値段交渉をしなければならないという、なかなか
    アジアチックなカオスな場所。

    【マクタン島】
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    空港を降り立ち、タクシーでまずは、最寄の観光地であるマゼラン記念碑へと
    向かったのだが、空港からこの場所までは300ペソであった。 バイクに荷台の
    ようなものを付けたトライシクルの方が安いため、トライシクルを探したところ、
    空港には乗り入れられないようだったため、仕方なく値段の高いタクシーに
    乗ることとなったのだが、通常のタクシーはどうせかなりボラれるため、
    最終的には、例え多少割高でも、黄色いホテルタクシーの方が安いと思う。

    この地には、マゼラン上陸記念碑とスペインからやって来たマゼラン一向に
    戦いを挑んでマザランを殺したこの地の領主であったラプラプの像があるため、
    それに因んで、マクタン島最大の都市の名前はラプラプ・シティーとなっている。
    マゼラン上陸記念碑周辺にあるお土産屋の値段は、日本人の感覚としては非常に
    安いものの、セブの平均的な月給は、1万2千円程度しかないため、それを考えると
    ここまでのタクシーの値段300ペソは、べら棒に高い。

    勇者ラプラプの像とその周辺は島であるため、綺麗な海が見えるのかと思いきや、
    セブ島も含めて、海は殆んど見えない。 南国リゾート地をイメージしてセブに
    来ると、完全に期待を裏切られるため、東南アジアの超ド貧乏な地域をイメージ
    して来る事をお勧めする。 リゾートホテルが乱立している極々一部の地域のみが
    リゾート地なのであり、マクタン島では、一歩外に出ると、観光客目当ての
    たかりが沢山集まって来る場所と心得えておいた方が良い。

    【マクタン島で何故か勝手に船に乗せられることに】
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    東南アジア名物、頼みもしないのに、あちこち連れ回されました。 ラプラプの像
    からは、海が全く見えなかったため、15分ぐらい歩けば、海が見えるだろうと思い、
    道路を歩いていたところ、現地の人たちから次々に声を掛けられたため、
    とりあえず、空港のそばにあるマリーナモールからセブ・シティー行きの格安の
    ワゴンタクシーが出ていることを思い出し、マリーナモールまで行きたいと伝えた
    ところ、100ペソ(約200円)と言われたため、とりあえずこのトライシクルに
    乗ることにした。 因みに、現地のトライシクルの初乗り運賃は8ペソ(約16円)。

    ここで、ついでに海が見たいと言ったのが運の尽き。 勝手に自分の船まで連れて
    行かれ、しかも、そのまま沖に出てしまった。。 その後、海上で料金を尋ねた
    ところ、5,000ペソ(約1万円=現地の月給並み)と言い出したため、とっとと岸に
    戻せと言うと、どんどん言い値が切り下がって来たものの、そもそも、空港では
    3,000円しか両替をしておらず、1,250ペソ程度しか持ち合わせていないにも
    関わらず、この船に乗っている間中、3人のお土産売りのおばさんらに囲まれて、
    お土産を買え!攻撃を延々とされた。。

    最後は、近所の別のショッピングモールまで乗せて貰う約束の筈が、何故か道端の
    タクシーが居るところで勝手に降ろされ、チップとして1,000ペソ(約2,000を)を
    要求されたが、日本円で1,000円しか支払わなかった。 当初は100ペソのみと
    言っていたくせに、5,000ペソまで勝手に切り上げるのは、東南アジア独特の風習と
    言って間違いない。 日本のおもてなしも、全く頼んでもいないのに、勝手に
    過剰サービスを強要されて多額のお金をふんだくられるため、システム的にかなり
    これに近く、アジアの国は基本的に嫌いだ。

    空港からの出だし早々、ボッタクリに遭遇してしまったため、気を取り直して、
    セブ・シティーへと向かった。 セブの人たちは、人間的には良い人たちが多い
    とは思うものの、要求して来る値段が日本円に換算しても高過ぎる。。 最後は、
    土産物売りのおばさんとさっきまで1個1,000ペソ(約2,000円)だと言われていた
    サメの歯の細工と、先日香港で35香港ドル(約500円)で買ったバッタ物の時計とを
    交換し、完全に元を取った(笑)

    【セント・ニーニョ教会とマゼランクロス】
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    タクシーでセブ・シティーに到着後は、セント・ニーニョ教会の前で降ろして
    貰ったため、そのまま目の前にあるセント・ニーニョ教会に入ったところ、
    フィリピン最古のカトリック教会だけあって、5,000名程度でミサを行っていた。
    フィリピンは敬虔なカトリックの国であるため、毎日午後3時と午後6時には、
    神のありがたいお言葉と共に、全ての業務が1分程度ストップする。 以前、
    オーストリアにも住んでいたが、同じカトリックの国でも、こうも違うものなのか
    と思ってしまった。 オーストリアには断食はあるのだが、こういうものは
    なかった。

    セント・ニーニョ教会では、皆ろうそくに火をともしていたので、周囲の真似を
    して5つぐらいのろうそくに火をともし、その場を立ち去った。 ミサは全て
    英語で行われており、フィリピン人の約75%が英語を喋れるという事を実感した
    ものの、フィリピンよりもハッキリ言って、香港の方が断然英語が通じる。
    フィリピン人の英語は、相当訛っているため、非常に聞き取り辛い。

    セント・ニーニョ教会の直ぐ隣には、マゼランが作ったとされているマゼラン・
    クロスがある。 マゼランがフィリピンを発見したのが1521年であるため、
    約500年前にマゼランによって作られた十字架がそのまま展示されていること
    になる。 マゼラン自体は、ラプラプ王によってマクタン島で殺された。
    マゼランはスペインからやって来たため、スペイン人なのかと思いきや、実は
    ポルトガル人。

    セント・ニーニョ教会、マゼランクロスのすぐそばにあるサン・ペドロ要塞は、
    スペイン統治時代に建設されたもので、現在その周辺はセブ港湾地区、独立広場
    となっている。 フィリピンは、スペイン統治時代が長かったため、そこかしこに
    スペイン時代の名残が残っている。 サン・ペドロ要塞は、フィリピン最古の
    要塞であり、初期のスペイン人入植者にとっての中心的な拠点であったもの。
    セブはフィリピンの歴史の始まりの地であるため、フィリピン最古のものが
    多数ある。 この影響で、セブ州で話されているビサヤ語の中には、時々
    スペイン語の単語が残っており、ビサヤ語は何となくスペイン語に響きが似ている。
    フィリピンは、日本支配時代とアメリカ統治時代を経て独立を果たしているため、
    英語に似た単語も多数含まれている。

    【サン・ペドロ要塞とカルボン・マーケット】
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    セブ港のそばにあるフィリピン最古の要塞、サン・ペドロ要塞。 夜は
    ライトアップされており、午後7時半まで中に入ることが出来る。 直ぐ隣には
    独立広場があり、共にセブ・シティーの中心部にある。 セブ・シティーは実は
    余り観光化されていないため、主な見るものとしては、サン・ペドロ要塞、
    セント・ニーニョ教会とマゼランクロスぐらいしかない。 この後は、
    ナイトマーケットへと繰り出したが、台湾や中国のような華やかなマーケットだと
    思っていたところ、大きな勘違いであったことに気付いた(笑)

    セブ・シティー市民の台所、カルボン・マーケットには、実は観光客は殆んど
    おらず、現地の人たちばかりなので非常に雑多。 アジア的なカオスな場所が
    好きな人以外は余りお勧め出来きない場所となっている。 カルボン・
    マーケットは、 人ごみが凄いため、スリに気をつけるようにとガイドブック
    には記されていたが、そこまでの危険性は感じなかったものの、基本的に非常に
    暗いため、何を売っているのか、良く分からない。 カルボン・マーケットは、
    実際のところ、道に物を広げただけの戦後の闇市と言った方が分かりやすい。
    雰囲気的に、正に70年ぐらい前といった感じ。

    カルボン・マーケットから滞在地であるフエンテ・オスメーニャまでは、約2キロ
    程度離れており、セブ・シティーではバスが一切走っていないため、フィリピン
    独自の乗り物、ジプニーで移動しようかとも考えたものの、さほど遠くないため、
    街をぶらぶらしながら、歩くことにした。

    【フエンテ・オスメーニャ】
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    セブ・シティーは、全体的に街が暗くて汚いため、夜の一人歩きは余りお勧め
    出来ないが、途中で何ヶ所かナイトマーケットを見つけたり、格安のマッサージ屋を
    見つけたりと、それなりの収穫があった。 滞在地としては、カルボン・マーケット
    周辺、あるいは、フエンテ・オスメーニャが最もお勧め。 どちらも24時間営業の
    店が多いため、夜遅く到着しても大丈夫。

    カルボン・マーケットから約2キロ離れたフエンテ・オスメーニャまでの途中では、
    かなりの数のジプニーとすれ違ったが、この乗り物にはバス停と言うものが存在
    せず、自分で降りる場所を運転手に伝えて降りる仕組みであるため、現地の人間
    以外は非常に使い辛い。 セブ島にはバス停が一切ないため、バスの乗り降りは
    全てこの仕組み。 しかも、定員オーバーで車体から人間がはみ出していることも
    日常茶飯事。 普通に車の荷台に人間が山盛り乗っているため、ある意味危険だが、
    ある意味見ていて面白い(笑)

    最後は、滞在地のフエンテ・オスメーニャにあるショッピングセンター内の
    Joliebee(フィリピンで人気のハンバーガーショップ)で遅い夕食を食べた。
    この後、午後9時からは、寝る間を惜しんで、3時間のオイルマッサージに行った。
    ここでは、3時間で600ペソ(約1,200円)のマッサージのフルコースを選択し、
    色々なマッサージの中から自分で選択出来るため、1時間フットマッサージ、
    1時間背中のマッサージ、1時間スウェーデン式マッサージをして貰った。
    日本では逆にオイル式のリンパマッサージがなかなかない(あったとしても女性
    限定が殆んど)のと、3時間もマッサージをやって貰うと最低でも2万円は取られる
    ため、かなりの破格値☆ 翌日の集合時間は午前4時50分だったのだが、午前0時
    30分、セブ島の滞在初日がようやく終わった。

    【お勧めの一冊】


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    都民ファーストの会が立ち上がる以前から小池百合子都知事を支えてきた都議の
    音喜多駿議員、上田令子議員がそれぞれ都民ファーストから離脱するという
    話が入って来た。

    まだ小池百合子都知事が都知事に当選したばかりで文字通り都議会での「少数与党」
    時代から小池女史を支えてきた3名のうち、八王子選出の両角穣都議を除く2名が
    都民ファーストの会から去ることとなり、党としての根底が揺るがされる
    こととなる。

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    これといった都政での実績もない小池百合子都知事だが、豊洲や2号線建設で失政を
    繰り返しており、更に、ここに来て『希望の党』を立ち上げて、国政にばかり
    前のめりになっている都知事では、これ以上はもたないとの噂も持ち上がって
    来ている中での離反劇であるため、『都民ファーストの会』、『希望の党』共に
    失速は避けられず、今回の騒動で、更に離反者が増える模様となっている。

    民進党リベラル議員への締め付けや選別を行ったお陰で、枝野議員らを中心とする
    『立憲民主党』が旗揚げされ、民進党内のレベラル派が大量に離れて行っている
    ため、『希望の党』を取り巻く環境は、更に厳しさを増したと言える。 そもそも、
    あからさまに『〇〇ファースト』や『思想の転換』を強要する裸の女王様に従う
    人間にまともな人間はいない。

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    今回、いきなりの離反者が発生したことで、都民ファーストの会も慰留に走った
    ものの、むしろ都議の支援者から「都民ファーストはまったく都民のことを考えて
    いないのではないか」と突き上げを食らうなど、国政へ軸足を移し、日本初の
    女性首相と政権交代を目論む小池都知事の足元が揺らぐ方向となっている。

    都知事に対する不信任案は、地方自治法により、都議会本会議で都議127議席の
    3分の2以上(83名)が出席し、4分の3以上(最低63名)が賛成すれば可決される。
    この場合、小池都知事は10日以内に辞職か、議会解散の選択を迫られることとなり、
    都議会を解散しない場合は、知事は自動的に失職する。

    【希望の党政策協定書】
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    都民ファーストの会や希望の党は、民進党議員の受け入れで持参金(事実上の
    公認料)や思想の転換を強く求める割には、立候補予定者に選挙資金を供出
    しないという党の方針の問題や、元都民ファーストの会代表の野田数さんの資金
    横領問題で東京地検特捜部に動きがあるとされるなど、小池氏の問題は多岐に
    渡っている。

    更に過去には、極右的な発言を度々繰り返しており、平気で過去の発言を覆すなど、
    以前から周囲から胡散臭さが消えなかった小池都知事に対して、都民からの突き
    上げは避けられず、前都知事である枡添氏のように、このまま東京都知事からも
    国政からも綺麗さっぱり消え去る日も実は近いのかも知れない。

    政治家が暴走を始めた際にこそ、国民ひとりひとりの声が大事となるため、今後
    とも小池都知事の言動には注視して行かなければならない。

    【お勧め出来ない一冊w】


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    考古学者たちは、大昔の人々の野営の跡や石器類をルソン島のカガヤン渓谷で
    発見した。 これらの品々は25万年前に遡り、当時この地域は、まだアジアと
    陸続きだった。

    アジア大陸の色々な方面から、様々な民族が陸路、フィリピンにやって来た。
    約25万年前には、弓矢を使う狩猟民族のアエタと呼ばれる人々がやって来た。
    これら新しい人々は、狩猟の他に、食料を確保するために植物を植え、耕作も
    行った。 およそ1万2000年前、地球の広大な地域の表面を覆っていた氷が
    溶け出した。

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    溶け出した大量の水により、フィリピンと他のアジアを繋げていた陸路は水没し、
    この時からフィリピンは島々になった。

    1500年から紀元前500年の間に掛けて、マレー人や現在の中国人、ベトナムから
    人々が太平洋をカヌーでやって来た。 彼らは沿岸に住み着き、先住民たちは、
    島の内陸部へと移動した。 新しい人々は洗練された石の武器や道具を用い、
    村に集団で住んだ。

    マレーからの新しい移住者たちは、労働用にカラバオ(水牛)を取り入れた。
    マレー人とその子孫たちは、ルソン島北部の山々を切り開いて段々畑を作り上げ、
    米作を行った、 こうして何世紀にも渡って、沢山のマレー人がフィリピン諸島に
    やって来た。

    【お勧めの一冊】


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    第二次世界大戦中、カナダはイギリスに協力して反独同盟に加わったが、直ちに
    徴兵したり、海外に兵を出したりはしなかった。 1941年の末、カナダはイギリス
    及びアメリカ合衆国と同盟し、日本に対して宣戦を布告した。 やがて、100万人
    以上のカナダ人の男女が従軍し、アジアやヨーロッパの戦闘に加わった。 死傷者は
    9万人を超えた。

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    1945年に終戦を迎えると、カナダは国内の改革に関心を向けた。 戦争で荒れ
    果てたヨーロッパやアジアの国々から、大量の移民がやって来た。 都市の
    人口は増大して、郊外が広がって行った。 住宅の需要が高まり建設業が繁栄した。

    キング牧師が目指したのは、全カナダ人の福祉を確立することだった。 同政府は
    失業保険、復員軍人恩給の充実、老齢年金の増額、医療制度の改善などをはじめ、
    広い範囲に渡る社会保障制度を立法化した。 この制度が一助となって、一般の
    人々の生活水準は上がった。

    他の分野においても、カナダの努力は目覚しい発展をもたらした。 アルバータ州で
    新しい油田が発見され、ケベックとオンタリオ両州では大量の鉱物資源が見つ
    かった。 交通が発達し、水力発電も増えた。 製造業は消費者の需要の増大に
    合わせて、生産を向上させた。 アメリカ合衆国を筆頭に諸外国がカナダの新しい
    工業に莫大な資本を投下するようになった。

    1949年、ニューファウンドランドは住民投票によりカナダ第10番目の州になる
    ことを決定した。 これはニューファウンドランドが始めてカナダの繁栄を認めた
    ことを物語っている。

    【お勧めの一冊】


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    【ベルリン】
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    ドイツ北東の平原にある人口346万人のベルリンは、1200年代にベルリンとケルン
    (ライン川沿いにあるケルンとは無関係)という2つの街に分かれていた。
    これらはシュプレー川の両岸に位置し、それぞれが商業の中心地であったが、
    1397年に合併し、1701年にはプロイセン王国の行政上の中心地となる。 1871年に
    ドイツ帝国が建設されて以来1945年まで、ベルリンはドイツの首都であった。

    第二次世界大戦でドイツが敗北した後、戦勝国のアメリカ、イギリス、フランス、
    ソ連がベルリンを占領する。 後にベルリンは東西に分断され、東ベルリンは
    共産主義である東ドイツの首都となり、西ベルリンは本土から切り離されはしたが、
    西ドイツの一部として残った。

    東ドイツの共産党政権は、国民が西ドイツに逃亡するのを防ぐため、1961年に
    西ベルリンの周りに強固な壁を造った。 1989年に東ドイツ政府が国境を開くと、
    ベルリンの壁は壊され、ほどなく2つのドイツは再統合、連邦政府を西ドイツの
    ボンからベルリンに戻す計画が始まった。

    第二次世界大戦の爆撃でベルリンは大被害を被ったものの、いくつかの建物は戦災を
    免れた。 例えば、国立オペラ劇場や国立図書館は18世紀にまで遡ることが出来、
    帝国議会は19世紀後半にドイツの議会場として建築された。 西ベルリンのメイン
    ストリート、クーアフェルテンダム通りの近くには、ヴィルヘルム皇帝記念教会が
    たっている。 爆撃で一部破壊されたこの教会の残骸は、戦争をいつまでも忘れない
    ようにとそのまま残された。

    ベルリンは製造業の中心地でもある。 エレクトロニクス、機械、化学製品、
    鋼鉄、衣類、繊維、ゴム製品などが作られており、シュプレー川の工業港は北海、
    バルト海と運河で結ばれている。 ベルリンは重要な民間空港、軍事空港を備え、
    また、北ヨーロッパにおける鉄道網の中枢を成している。

    【その他の都市】

     1800年代に新しい産業が始まると、地方から仕事を求めてやって来る人々に
    よって、ドイツの都市は急速に発展した。 第二次世界大戦中には、多くの都市の
    中心部が損害を被ったが、戦後の復興によって大都市は再建された。 現在8,057
    万人の人口のうち、85%が都市に住んでいる。 これはヨーロッパでも随一の都市
    集中率である。

    【ハンブルグ】
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    人口170万人のハンブルグは、エルベ川のほとりに位置する北西ドイツの都市
    である。 810年にカール大帝により建設された時には『ハマブルグ』と呼ばれて
    いた。 12世紀には、北ヨーロッパの貿易共同体であるハンザ同盟に加盟し、
    これが解散した後も、ドイツの主要港として、『自由ハンザ都市ハンブルグ』
    という歴史的名称を名乗り続けている。

    ハンブルグの工業地帯では船舶、鉄製品、鉄鋼品、化学製品、光学機器、材木などが
    製造されている。 工業地域が広範囲に及び、また、大規模な港の設備があるにも
    関わらず、年の半分以上は緑で覆われ、公園も多い。

    【ミュンヘン】
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    バイエルン州の州都であるミュンヘンは、人口123万人で、芸術的な活気であふれた
    都市で、コンサートホール、劇場、美術館などは市の後援を受けている。 また、
    ドイツの巨大なビール産業の中心地であり、年に1度のビール祭り『オクトーバー・
    フェスト』は、世界各地からやって来る人々で賑わう。 この他、ミュンヘンでは
    自動車、飛行機、電子機器などが製造されている。

    【ケルン】
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    ドイツ最古の都市のひとつである人口100万人のケルンにまず移り住んだのは、
    古代ゲルマン民族のウビィー人であった。 現在ケルンで最も有名な建造物は、
    完成までに600年もの年月を要したケルン大聖堂である。 主な産業は化学製品、
    繊維、自動車、チョコレートであり、有名な香水『オーデコロン(ケルンの水)』は
    18世紀にこの地で初めてお目見えした。

    【フランクフルト】
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    ハプスブルグ家出身の多くは、フランクフルトの大聖堂で戴冠式をあげた。
    また、マイン川沿いのこの街は、ドイツで始めて選挙によって議員が選出された
    地でもある。 商工業の中心地であるフランクフルトには、皮革製品、薬剤、
    化学製品の工場があり、金融の中枢として、ドイツの中央銀行や証券取引所の
    本部が置かれている。 また、毎年開かれる国際書籍市には、多くの作家、
    編集者、出版業者が訪れている。

    【ドレスデン】

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    10世紀に開発が始まった人口50万人のドレスデンは、後にドイツの強力な国家
    ザクセン王国の首都となる。 美しい教会や人目を引く宮殿があるこの都市は、
    1800年代後半に製造業の中心地となった。 しかし、1945年の空襲により、
    建物のほとんどが瓦礫と化してしまい、現在建築家たちが教会や記念碑の再建に
    務めている。 また、近くにある街マイセンでは、1713年にヨーロッパ初の
    白色硬質磁器が作られた。

    【ライプツィヒ】
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    ドレスデンから北東およそ100km行ったところには、人口50万人のライプツィヒが
    ある。 河川や鉄道で巧みに連携されているこの街は、かつてはドイツの出版業の
    中心地であった。 現在は、多くの見本市が開催され、世界中の製造業者が訪れて
    いる。 ライプツィヒの工業には鉄鋼、化学製品、プラスチック、繊維、衣類など
    がある。

    【お勧めの一冊】


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    フィリピンの人口のおよそ41%は都市部に住んでいる。 マニラは首都であり、
    フィリピン最大の都市でもある。 更に、商業、金融の中心、国内一の港でもある。

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    【マニラ】
    マニラはルソン島の南西に位置し、マニラ湾に沿って集まる多数の小さな市と町
    から成っている。 マニラ市は160万人の人口を抱える一方、マニラ首都圏一帯で
    は800万人を超す人々が暮らしている。

    マニラはパシグ川によって2つに分けられている。 川の南にはスペイン植民地
    時代に建てられた古い城壁都市、イントラムロスがある。 更に南には、リサール
    公園(ルネタ公園としても知られている)があり、広大なオープン・スペースは
    市民の憩いの場や集会の場に使われている。 パシグ川の北はトンドで、人口が
    密集し、バラックの立ち並ぶスラムがある。 マニラにはまた、大統領官邸である
    マラカニアン宮殿がある。

    【ケソン】

    マニラの北東で接しているのはケソン市で、1948年から1976年までは首都で
    あった。 現在はマニラが首都だが、政府の多くの省庁は今もケソン市にある。
    フィリピン国立大学の中央キャンパスもケソン市にある。

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    【セブ】
    セブ島の東海岸にあるセブ市では、港が活気がある。 ビサヤ諸島の輸出品の
    大半はセブ市の港を経由している。 人口は50万人以上あり、フィリピンの
    大都市のひとつとなっている。

    フィリピン諸島最初のスペイン植民地の名残として、セブ市には沢山のスペイン
    様式の教会と共に、16世紀に建てられたサンペドロ要塞を残している。 また、
    1950年創立のサウスウェスタン大学を含めていくつかの大学が市内にある。

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    【イロイロ】
    もうひとつの主な港町は、パナイ島の南東部にあるイロイロ市で、1700年と
    1800年代に海賊たちがしばしば植民地を襲ったため、住民は石の望楼や、防衛の
    ための要塞を設けた。 イロイロ市は25万人越す人口を抱えた農産物交易センター
    であり、急成長する島の織物工業の商業センターでもある。

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    【ダバオ】
    ダバオ市はミンダナオ島の南東岸にある最も急成長中の市のひとつである。
    人口は80万人を超え、他の島からの住民も多い。 彼らは農業労働を求めて
    やって来る。 ココナツはダバオ港から世界に輸出されている。

    【お勧めの一冊】


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    フィリピンの国土は3つの主要な地域に分けられ、それぞれ、フィリピンの国旗に
    ある星によって代表されている。 ルソン島は、その中でも最も大きな島で、
    北の端に位置している。

    一番南の方にあるのはミンダナオ島で、ルソン島に次いで2番目に大きい。
    ルソン島とミンダナオ島の2つの島の間に挟まるように、沢山集まっているのが
    ビサヤ諸島と呼ばれる島々である。

    これら3つの主要な島の他にも、例えば、フィリピン諸島の西の主な地域には、
    山の多い細長いパラワン島がある。 パラワン島とルソン島の間には卵型の
    ミンドロ島があり、同島は中央は山地だが、東側沿岸は広い平野部が広がっている。
    この他にも、沢山の小さな島々がある。

    フィリピン諸島は山岳部が多く、火山活動や地球の地殻変動で造られた山々の
    およそ20%は活火山である。 港や漁業に適した長い海岸線もまたフィリピンの
    特徴となっている。
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    【ルソン島】
    最大の島ルソン島にはいくつかの山脈が走っている。 北東沿岸に沿い、およそ
    320kmに渡って伸びているのはシェラマドレ山脈で高さは1,000mから1,500mある。

    シェラマドレ山脈とコルディリエラ・セントラル山脈の間に横たわるのは、カガヤン
    渓谷がつくる起伏のある平原で、コルディリエラ山脈の最高峰は、プログ山で
    2,929mある。 プログ山ルソン島中部で突き当たるのが、カラバリョ山脈と
    なっている。 中央の平坦な平野は、カラバリョ山脈からサンバレス山脈へと
    西方に伸び、サンバレスの一部は南のバターン半島に押し出している。

    首都のマニアがあるマニラ湾は、ルソン島の西岸、南シナ海の入り江で、およそ
    2,000kmある。 入り江の口をふさぐのがコレヒドール島で、マニラの南およそ
    160kmにある。

    タール火山は18世紀以来、9回も爆発をして来た。 一番最近では1968年に
    爆発した。 もうひとつの活火山はマヨン山(2,421m)で、ルソン島の南東に
    あり、この火口丘は噴火口から水蒸気でしばしば隠れてしまう。

    【ビサヤ諸島】
    フィリピンは7,000以上の島々から成り立っているが、ビサヤ諸島は、そのうちの
    主要な7つの島がある。 最も東にあるのがサマール島で、うっそうとした
    熱帯雨林に覆われ、ゴツゴツした低い山々が多い。 例年、台風のために
    サマール島は豪雨に見舞われる。 その西にあるのがレイテ島で、島の中央を山脈が
    走り、高さはおよそ1,200mになる。 サマール島より広い沿岸地域に恵まれている
    ため、ココナツ、とうもろこし、米、アバカ(麻の一種)などを生産している。

    ビサヤ諸島の真ん中に位置しているのがセブ島で、フィリピンの島々の中では最も
    人口の多い島のひとつ。 細長い地形で中央に山脈が走り、最高地点は海抜1,013m
    になる。 セブ島では平坦な地は極めて狭く、農地は限られている。 その南に
    あるボホール島は広大な低地があり、山地の高さは800mと低い。 ボホール島は
    平坦な海岸線のため、船の寄港に適した場所は少ない。

    セブ島の西にはネグロス島があり、北の沿岸平野を除くと大部分が山の多い地形
    である。 島の最高峰は、2,459mの活火山のカンラオン山となっている。 何世紀
    にも渡る爆発の間に島全体に広がった火山の溶岩のお陰で、ネグロス島の土壌は
    肥沃になった。 ネグロス島の隣のパナイ島は、ビサヤ諸島の西端に位置する。
    パナイ島の山々は西海岸に平行して走り、最高峰は2,049mのナングタド山。
    パナイ島の特徴は島中央の広大な低地であり、それは南東にあるイロイロ平原に
    連なる。 マスバテ島は、低い山地で覆われている。 また、フィリピンは主要な
    近の産地でもある。

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    【ミンダナオ島】
    フィリピン第2の島、ミンダナオ島は、不規則な三角形のような形をしている。
    海岸線は多くの湾や入り江に恵まれている。 東岸の先にあるフィリピン海溝は、
    フィリピン海の広大なくぼみで、一番深いところでは海面からおよそ1万539mにも
    達する。

    ミンダナオ島の東岸はディウアタ山脈が走り、1,800mにもなる。 アグサン川
    渓谷はその西、およそ80kmに渡る。 ミンダナオ島中部では、カタングラド山脈が
    ほぼ海抜2,700mに達する。 ダバオ市の近くにある2,954mのアポ山は、活火山で
    あり、フィリピンの最高峰でもある。

    コタバト渓谷は島の中央から西方へ広がり、サンボアンガ山脈はスールー海へ
    突き出す半島に位置している。

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    香港の中心部である中環には、全長800mを合計23基のエスカレーターで
    約23分を掛けて乗り継げる世界一の長さのエスカレーターがある。 1基の
    長さは約30秒程度で終わるのだが、行けども行けどもエスカレーターが
    続くため、なかなか頂上が見えない。 途中で力尽きてあきらめる観光客も
    多いらしく、頂上に近づくに従って、人気が減って行く。

    元々、香港島は急な坂道の多い地形で、その傾斜もきついことから、昔から
    富裕層が多かったこのエリア周辺の人たちの日常生活は決して便利とは言えず、
    地域住民の足として1993年に『ヒルサイド・エスカレーター』が建設された。

    この施設の建設者および管理者は、香港政府運輸署(日本の国土交通省に当たる)
    であり、法的には、交通機関という位置づけになっている。

    【ヒルサイド エスカレーター】
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    映画『恋する惑星』『ポリス・ストーリー/香港国際警察』などの舞台として
    このエスカレーターが映画に登場すると、観光名所として脚光を浴びるようになり、
    このエスカレーターそのものが旅行ガイドに掲載されるようになっただけでなく、
    中途にソーホーなどの観光資源があることから、観光客の利用が多くなっている。

    このエスカレーター沿いは、所狭しと商店や住宅が密集し、中国に返還されて
    からも西洋風の町並みが広がり、独特の景観を見せている。 メキシコ風の店、
    インド料理店、足つぼマッサージの店、レコード店などが軒を連ねている。”
     
    【利用時間】 6:00~10:00:下り 10:00~0:00:上り
    エスカレーター自体は24時間利用可能で、運行時間は決まっており、また時間に
    よって運行方向が異なる。 逆方方向のエスカレーターはないため、
    エスカレーター横にある階段を利用して中環へと帰るしかない。

    行けども行けども、終点にはなかなかたどり着かず、終点付近に特に何かがある
    訳でもない。 あくまでも、地域住民の足である。 その終点からヴィクトリア・
    ピークス行きのケーブルカー乗り場までは、徒歩で約20分掛かるため、途中で
    引き返すのもあり。 因みに、ヴィクトリア・ピークスは、ケーブルカーで
    行くよりも、路線バスで行った方が遥かに安い。

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    香港では、朝から外食をするのが普通であるため、皆朝は早い。 名古屋で
    朝っぱらからモーニングをするのと同じなのだが、個人的には、朝はギリギリまで
    寝ていたい派なので、朝から外食という風習に慣れるのは容易ではないものの、
    折角朝早く起きたので、思い切って、重慶マンションで噂のインド料理を食べて
    みることにしたのだが、20香港ドル(約300円)と格安な割には、本格的な
    カレーを味わうことが出来た。

    【朝の尖沙咀】
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    この重慶マンションは、インド人が多いのと、薄汚い雰囲気が相まって、非常に
    怪しい雰囲気を醸し出しているのだが、単にインド人街と思えば、特に恐れる
    場所ではなく、この重慶マンションの中には、かなりの数の格安の宿と、香港の
    中でも指折りのレートの良い両替所があるため、利用価値大の香港の穴場。
    但し、女性一人で中に入るのには、かなりの勇気が要るため、せめて2人連れ
    ぐらいでなければ、中には入れないかも。

    この建物の前を通るだけでも、『偽物の時計あるよ~』と怪しげな日本語で話し掛け
    られるため、その時点で尻込みする人も多い。 某映画では、麻薬取引の巣窟として
    描かれたため、そのイメージが強いせいか、奥までたどり着くのには、かなりの
    勇気が必要。

    尖沙咀と中環を結ぶスターフェリー】
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     尖沙咀と中環を結ぶスターフェリーは、24時間営業で、平日は2.4香港ドル
    (約36円)で九龍半島と香港島を結んでいるため、ちょっとした観光にも最適。
    ものの10分程度で対岸へと到着してしまうが、気軽に船旅を楽しめ、昼と夜とでは、
    景色がまるで異なるため、どちらに乗っても、周囲の景色を楽しみながらの小旅行
    気分を味わうことが出来る。 この場所では、毎日夜8時からシンフォニー・オブ・
    ライツが開催されており、ちょうどその時間帯に乗車をすると、九龍半島、香港島、
    何れのシンフォニー・オブ・ライツも楽しむことが出来る。 徐々に迫り来る高層
    ビルを見ながら、中環へと到着する様は、正に圧巻。

    中環
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    香港島を代表する繁華街、並びに、オフィス街と言えば中環。 英語名は
    セントラルとなっており、香港島の心臓部。 香港国際空港から到着する香港駅も
    中環にある。 日本で言うと、銀座のような場所。 中環付近は、近代的なビルと
    レトロなビルが入り混じっており、ちょっと裏の路地へと入り込むと、一気に
    景色が豹変する。

    中環からは長いエスカレーターが香港島の中腹まで延びており、地域住民の通勤の
    足となっている。 このエスカレーターは、多くの観光客も利用するため、香港の
    観光地のひとつとなっている。 尚、香港のエスカレーターは、日本のように極端に
    遅くないため、早いエスカレーターに乗ったことがない人の場合は、多少準備が
    必要。

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    中国第四の都市である深圳は、経済特区にしていされており、香港に隣接している
    ため、中国の中でも、最も活気がある街のひとつ。 1980年代に経済特区に指定
    されて依頼、ものの数十年の間に爆発的な人口増加が起こり、農村から一気に
    大都市へと変貌を遂げたため、広東省にある街にしては珍しく、普通話(北京語)が
    使われている珍しい都市。 そぐ隣の香港では、100%広東語が使われているが、
    川を越えて深圳へ入った途端、広東語の繁体字から北京語の簡体字へと言語表記が
    一気に変わる。

    深圳駅から地下鉄に乗り2つ目の駅である老街は、その名前とは裏腹に、若者の街と
    なっており、夜でも非常に人通りが多い。 物価は、香港に比べると断然安く、
    治安もそこそこ良いため、日本人には非常に住みやすい街だと思う。 香港ドルも
    使用可能な場所が多いが、一部ではやはり、中国元しか使えないため、香港から
    日帰りで行くにしても、両替は必須。 中国の両替場では、1回に付き800円前後の
    手数料が必ず必要なため、中国でのこまめな両替はお勧め出来ない。

    【深圳中心街の老街】
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    深圳駅から老街までは、地下鉄で2駅であるため、歩けないことはないのだが、
    中国の地下鉄の料金は、1区間2元(36円)であるため、特に歩く必要性がない。
    但し、深圳駅から老街までは、繁華街が概ね続いているため、腹ごなしに2駅
    程度であれば、歩いても良いかも知れない。

    深圳駅自体は、国境駅であるため、特に何がある訳ではなく、高速列車の多くは、
    深圳駅から更に30分程度行った深圳北駅から出ている場合が多いため、注意が必要。
    そのため、深圳駅前は、中国第四の都市にしては意外とひっそりとしている。
    地下鉄に乗ると余り分からないが、深圳は、至るところで建設ラッシュで、
    そこかしこに高層ビルが出現しつつある、現在進行形の街。

    住民票が確認出来ない住民を含めた周囲の推定人口は、1,200万人を超えており、
    概ね東京都と同じ人口規模となっている。 隣の香港を人口でも抜いてしまった
    ため、むしろ、深圳の方が勢いがあり、後10年もすれば、香港が北京語に飲み
    込まれてしまう可能性がある。

    【深圳から国境を越えて香港へ】
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    深圳駅には、巨大なショッピングモールがあり、そこで半日程度時間を潰すことも
    出来る。 特にお勧めなのが、『足浴』と書かれたフットマッサージで、60分間で
    25元(約450円)と香港と比較すると、4分の1程度と、非常に安い。

    深圳は、香港に隣接しているため、英語がある程度通じる。 通じない場合でも、
    その周囲の人が通訳を買って出てくれる場合があるため、中国が話せないからと
    言って、ものおじする必要性はない。 香港からはMTRで約45分ほどで行くことが
    出来るのと、街の看板やメニューも漢字で書かれているため、日本人には比較的
    行きやすい場所なのかも知れない。 尚、香港と中国の国境を通過する際には、
    パスポートが必ず必要で、国境自体は歩いて渡る。

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    中国広東省省都にある広州駅と同じく広東省の深圳駅とを結んでいる広深線。
    この路線の営業距離は、全長146kmとなっており、中国では最初に最高運転の
    速度が220km/hに到達した路線となっている。 但し、現在の営業運転での
    最高速度は200km/hとなっている。

    現在は、ドイツのボンバルディア・トランスポーテーション社(カナダに本拠を置く
    ボンバルディア・グループの鉄道部門)
    と提携して導入されたCRH1型車両が使用
    されており、
    最高速度200km/hの複線の旅客線、並びに、最高速度120km/hの
    単線の客貨両用線で構成されている。

    【広州東駅】
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    現在、広州駅から深圳駅までのノンストップの列車の所要時間52分となっており、
    深圳駅から先、香港との境界線からは、東鉄線とも路線共用している。 尚、
    広深線の約3分の2近くが、広州駅ではなく、広州東駅が始発終着となって
    いるため、乗車前には注意が必要。 実際に和諧号に乗車してみた感想としては、
    平均時速180km/h程度しか出さないため、さほど早いとは感じなかった。 最高
    時速170km/hの京成スカイライナーと同程度のスピードと思えば分かりやすい。
    広州駅から深圳駅までの料金は、2等車で89元(約1,600円)。

    深圳駅
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    深圳駅は、香港との国境に接しているため、ここから先は香港となっている。
    地下鉄駅の名前は、深圳駅ではなく、香港側と同じ羅湖駅。 ここから地下鉄に
    乗って約30分の華僑城駅(6元)まで移動し、巨大テーマパークである『錦綉中華』
    まで移動しました。 地球の歩き方には、深圳の治安に注意と書かれていますが、
    深圳は夜に出歩いても、特に問題はないぐらいに平和だった。 日本と中国、
    香港の地下鉄の違いは、皆IPhoneを手に持ち、電話を掛けている人も普通に
    居るため、マナーが悪いのではなく、大らかな人が多いのが特徴。

    錦綉中華】
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    中国をテーマとするミニチュアパーク。 中国にある歴史・文化などに関する
    建造物や遺跡などが15分の1のミニチュア版として造られている。 万里の長城、
    故宮、石窟寺院、石林、ポタラ宮など、広大な中国内に点在する有名観光地を
    半日程度で巡ることが出来る。 園内は30万平方メートルという広大な広さと
    なっており、中国民族文化村も併設している。 こちらは、中国の民族と文化に
    テーマを絞ったテーマパークとなっている。 園内には24の民俗村が作られており、
    各民族の生活の様子や風俗を見学することが出来る。夕方以降は舞踏、雑技、
    マジック、武術などのショーやパレードがあり、これだけでも見応え十分。
    入場料は、両園合わせて180元だが、午後7時以降の入園料は65元となっている。

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    第一次世界大戦中(1914~1918年)、保守党の新党首ロバートLボーデンが
    政権を握ったカナダは、イギリスと同盟を結び、ドイツと戦った。 60万人
    以上のカナダ人がカナダ軍に入隊し、約6万3,000人の戦死者が出た。

    ボーデンの政府は、はじめ徴兵制はとらないと公約していたが、やがて志願兵
    制度では兵員を確保出来なくなり、1917年には徴兵を始めた。 その結果、
    徴兵制を支持するイギリス系カナダ人と、反対するフランス系カナダ人とが
    反目するようになった。 ボーデンは保守党と自由党の連合政権を実現し、
    国論の分裂を避けようとした。

    canadaday

    戦時中、カナダは軍艦と兵器を生産し、ヨーロッパの戦場に食料を補給して、
    多大な富を築いた。 世界大戦に軍事面で協力したことを理由に、カナダは
    イギリスに握られていた外交・防衛政策の決定権を要求した。 イギリスと
    しても、カナダの労働力と資源に頼らなければならないため、より大きな
    自治の権限を求めるカナダの意向を受け入れたが、独立を完全に認めた訳では
    なかった。

    1921年に、自由党の党首ウィリアム・ライオア・マッケンジー・キングが首相に
    なった。 彼の目標の1つは、カナダの独立を勝ち取ることだった。 1926年と
    1930年の2度に渡って、キングはイギリスの指導者たちと会見し、独立国としての
    カナダの地位を確認して、ウエストミンスター条例を作成した。 1931年に、
    この条例はイギリス議会を通過し、カ.0
    ナダは内政と外交の両面で実質的に独立
    したことになった。 イギリス王国はその後も、カナダの象徴的な国家元首の
    地位に留まった。

    1930年代に全世界を襲った大恐慌は、カナダの繁栄に大きな影響を与えた。
    特に、輸出に頼る度合いの大きい大平原の諸州は、酷い打撃を受けた。 カナダの
    外国貿易は非常に衰え、穀物の価格が下がって、失業者の数が著しく増加した。
    しかし、1939年に第二次世界大戦が起こると、カナダの経済不況は大幅に緩和
    された。 織物、鉄鋼、食料の需要が増した。 大恐慌の間は閉鎖されていた
    工場が操業を始め、失業者を雇い入れて軍需に応じた。

    【お勧めの一冊】


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    広州は、中華人民共和国広東省省都であり、広東省だけでなく華南地域の経済、
    文化、教育の中心となっている。 中国では北京および上海に次ぐ、第3の
    大都市でもあります。『食は広州にあり』に表れている通り、広州の食文化は
    豊かで、飲茶点心やフカヒレ、アワビといった高級海鮮食材から、ヘビ、カエル、
    ツバメの巣までもが食材として市場で売られている。

    【陳氏書院】
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    木、レンガ、石等、敷地内の至るところに見事な彫刻が施され、大量の陶器、
    彩色上絵、鋳物などの並ぶ、清代広東の民間建築芸術の粋を集めた芸術館の
    ような館。 無名な工匠たちが残した芸術作品は、120年以上の時間を経て
    尚も輝きを放ち続けている。 後院の通路の上は『三顧の礼』、『赤壁の戦い』
    など、日本でも馴染みの深い三国志や水滸伝などの物語にちなんだ彫刻で飾られ、
    さながら歴史彫刻の回廊』となっている。 歴史文化的な価値が高い史跡として
    『広州八景』に選ばれている。

    【中山記念堂】
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    越秀公園内にある中山記念堂は、辛亥革命の指導者、孫文を記念して1931年に
    柱を一本も使われずに建てられたもの。 清の皇帝の帽子を模ったという8角形の
    ホールは天井まで58メートルと高く、5,000人近くが収容可能。 孫文は日本亡命
    時代に東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期があり、公園の界隈に『中山』
    という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を孫中山と
    号すようになった。 日本滞在中は『中山 樵(なかやま きこり)』を名乗って
    いた。 孫文の故郷は現在は中山市(ちゅんざんし)となっており、香港や
    台湾等にも同名の記念館がある。

    【道教寺院本山 三元宮】
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    三元宮は三元大帝を祀る道教寺院で中国各地にある寺院。 場所は地下鉄2号線
    紀念堂駅から解放北路を北上し、応元路を東に入ってすぐ。 越秀公園の南端と
    隣接しており、また応元路をさらに東へ進めば中山紀念堂がある。 拝観料は
    1元。 中へ入ると、様々な像が並んでおり、地元の人達が熱心に祈りを
    捧げる場所となっている。

    【西漢南越王博物館】
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    今から2100年前に建てられた、西漢初期の南越国君主であった文帝趙昧の墓。
    1983年に発掘調査が始まり、中から15人の殉死者と、玉器、青銅器を中心とする
    1000件以上の埋葬品が発見され、10年を掛けた遺跡の保存と共に博物館が建設
    された。 西漢南越王博物館は、2000年以上の歴史を持つ古都広州のシンボル的な
    存在となっており、総合展示館、王墓遺跡、本館の3つの部分から形成されてる。
    入館料は12元。

    【お勧めの一冊】


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    香港2日目は、国際列車に乗って、広東省の省都広州へ。 香港側で出国
    手続きを済ませており、中国側の入国手続きをしていないため、この列車に
    乗っている2時間は、どこの国にも属さない無国籍状態(笑) 中国側の列車で
    あるため、列車は撮影禁止だらけで、思うように写真が撮れませんでした。
    但し、WiFiは無料で入るという、矛盾だらけ。 日本の列車でWiFiが入るような
    列車はないので、日本は中国よりも遅れているということになります。

    香港側の出発駅は、紅磡駅、広東側の終着駅は、広州東駅で、料金は210香港ドル
    (約3,150円)、所要時間は2時間丁度ですが、途中の深圳駅(国境駅)で乗り
    換えた方が、広州→深圳間の料金が2等車で89人民元(約1,600円)、所要時間
    40分+深圳→紅磡間が43香港ドル(約645円)、所要時間45分でした。
    この国際列車は、結局は、西鉄のMTR線上を走るため、前を走行しているMTRを
    抜けず、香港内は、かなりのノロノロ運転をします。

    九廣鉄道
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    広州は、中国第三の都市、広東省の省都だけあって、広州はなかなかの大都会。
    直ぐ隣の深圳が第四の都市であるため、広東省だけでも、かなりの人口があります。
    気候は、亜熱帯であるため、突然雨が降り出し直ぐに止みました。 広州東駅から
    広東駅までは、地下鉄で20分程度掛かります。 深圳方面からの3分の2程度が、
    この広州東駅発着で、残りの一部が広州駅まで乗り入れています。

    人民元の持ち合わせがなかったため、とりあえず、4,000円だけ両替。 レート
    以前に手数料で800円程度も取られているため、たった130元にしかなりません
    でした。 よって、中国でこまめに両替するのは止めた方が無難。 上海空港の
    自動両替機で試しに1,000円を両替した際に、たった6元(約110円)しか出て
    来なかったのには、かなり衝撃を受けました(笑) ここから先は香港ドルは
    一切使えません。

    九広鉄道の終着駅は、広州東駅の方が多いため、広州駅に行くためには、
    広州東駅で地下鉄に乗り換える必要性があります。広州駅は人ごみが凄いため、
    通常は、駅構内に入る際にセキュリティーチェックをしますが、広州駅の場合は、
    この広場に入る際にセキュリティーチェックを受けます。 駅構内自体には、
    切符を持っていないと入れないようになっていました。 広州の主な方面の
    ターミナル駅は、深圳(香港)方面からが広州東駅、珠海方面からが広州南駅と
    それぞれ分かれているため、注意が必要です。

    【お勧めの一冊】


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    スイスの作家ヨハンナ・シュピリ原作の『ハイジ』を実写版で忠実に再現。
    日本では『アルプスの少女ハイジ』以来、約40年振りとなる。 『ハイジ』が
    書かれたのは1880年で、今から約135年も前の話で、今も変わらぬ人を
    思い遣る心は、子供に読ませたい古典童話ナンバーワンとなっている。

     

    【ストーリー】
    アルプスの山の大自然に囲まれ、ガンコだけれど優しい祖父や、麓に住む
    ヤギ飼いのペーターと楽しく暮らしていたハイジ。ところがある日突然、
    大富豪のお嬢様のクララの話し相手として、フランクフルトの都会へ連れて
    行かれることになります。 足が悪く車いす生活を送っていたクララは、
    明るく素直なハイジに励まされ、元気を取り戻して行きます。

    やがてハイジとクララは固い友情で結ばれますが、ハイジは日に日に山へ
    帰りたいという想いが強くなって行くのでした。 そんな時、お屋敷では
    幽霊騒動が持ち上がります。 夢遊病と診断されたハイジは、山へと帰って
    行きますが、その後、ハイジを追って、クララも山へやって来ます。
    アルプスの山々や雄大な自然に囲まれて、次第に元気を取り戻すクララは、
    遂に立つことが出来るようになります。

    【アルムおんじの暗い過去】


    原作にしか書かれていないアルムおんじの暗い過去とは、殺人だった。。
    広大な土地を持つ裕福な家に生まれたアルムおんじは、若い頃から気性が
    荒く、飲んだくれた挙句の果てに、賭け事で身を滅ぼしてしまう。 全ての
    土地と家を取り上げられて、おんじの両親は、悲しみの余り、相次いで
    亡くなります。 泣く泣く故郷を離れる事となったおんじは、ナポリで
    外国人の傭兵に就きます。 そこで些細な事が切っ掛けとなり、人を
    殴り殺してしまいます。 そのまま軍隊を逃げ出し、人知れず身を隠して
    15年ほど生活をし、ようやく結婚もしたところ、すぐに奥さんを亡くして
    しまいます。 ハイジの父親である息子も事故で亡くしてしまい、
    その後、その事故が原因で、ハイジの母親のアーデルハイドもすっかりと
    体調を崩してしまい、やがて亡くなってしまいます。 こうして、
    アルムおんじは、人里離れて山奥で1人暮らす事となったのです。 

    【マイエンフェルト】

    実際にスイスにあるハイジの山小屋は、この映画とは似てはおらず、日本の
    アニメと全く同じなのだが、丸太をくり抜いた窓は、今では、サッシに
    なっているものの、それ以外は、アニメそのまま。 ハイジの山小屋は、
    スイスのマイエンフェルトに実際にあります。

    【お勧めの一品】



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