多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    先進国と呼ばれる国の中でも、アメリカ、韓国と並び、最も劣悪な部類の日本の
    労働環境。 日本人の働き方は、かなり異常であり、特に、アベノミクス以降は、
    企業側は労働者を安く休ませず『効率的』に使うことばかりを考えるようになり、
    まともな休みすら取れない長時間の劣悪な労働環境は、国連によっても指摘されて
    いる。 これら劣悪な日本の労働環境を他の経済協力開発機構(OECD)加盟国である
    オランダ、ドイツ、フランス等と良く比較して欲しい。

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    日本の労働環境は、長時間労働の上に有休取得日数も極端に少なく、政府が
    低賃金で安く雇える非正規労働者ばかりを増やし続けた結果、若者や女性の約半数
    以上が非正規雇用となった。 その結果、男女の賃金格差は急速に拡大した。

    但し、派遣労働者となれるのは、概ね女性ばかりとなっており、男性が
    派遣社員になるのは、至難の業となっている。 現在、非正規労働者である
    派遣社員の約7割が女性となっていることでも分かる通り、特に、男性の40代
    以降の派遣での就労は、極めて難しくなっている。 かと言って、正社員での
    雇用は年々減少をたどっているため、仕方なく、フリーターでの低収入な
    生活に甘んじている40代の男性も実はかなり多く、深刻な社会問題となっている。
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    先進諸国のほとんどの国の最低賃金は1,300〜1,500円程度だが、東京の2016年度の
    最低賃金は932円となっており、これが先進国なのかとみまごうばかりの劣悪で
    低賃金な労働環境下での労働にも関わらず、誰ひとりとして不平不満を漏らさず、
    暴動すら起きないこの国のこの状況は、政府や企業側による洗脳の賜物なのか? 

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    日本では、長時間労働も長年常習化しており、特に、正社員の場合は、折角手に
    入れた正規雇用での雇用の機会を逃したくないという理由により、無理に残業を
    したり、または、正規雇用と言えども、収入が余りにも少な過ぎるため、残業で
    その分を補う必要性が生じるため、無意味に仕事を作り出しては、残業を繰り返す
    社員がますます増え続けている。

    新聞等のメディアで良く目にする『完全失業率』や『有効求人倍率』は、今時
    誰も行かないハローワークからのデータを基にしており、ハローワークには登録を
    せずに、インターネットからの応募ばかりを繰り返している人間には、全くの
    無縁の情報と化している。

    20140112
    日本の労働環境が世界最低レベルなのは、正規・非正規労働者の賃金格差ばかり
    ではなく、パートタイムと正規労働者の間の賃金格差も先進国中最大となっている。
    上記の図は、正規労働者の賃金を100とした場合のパートタイム労働者の賃金平均と
    なっているのだが、日本でパートタイムとして働いている労働者は、正規労働者の
    半分以下の賃金で非常に安く働かされていることになる。

    但し、他の先進国では正社員の60%以上、高い水準の北欧諸国(スウェーデン)や
    スイスでは90%にも達しており、日本のパートタイム労働者はとてつもなく理不尽な
    報酬で働かされていることとなる。 日本は最低賃金においては、世界最低レベル
    どころか、文句なしのブッチギリの世界ワースト1となっている。

    これでは、労働者を雇う企業側は、笑いが止まらないのではないか。 文句が
    あるのであれば、経営者側になれということなのか。 そもそも、このような劣悪な
    労働環境は、国が積極的に介入をすべきなのだが、日本政府は、むしろ、その逆で、
    低賃金労働者ばかりを増やし続けているため、日本の『格差』は年々拡大し続けて
    いる。

    >>子供がいる世帯の貧困格差 日本は世界41カ国中、34位に沈む

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    在位73年間の後、1715年にルイ14世が亡くなると、曾孫ルイ15世がわずか5歳で
    即位した。 この時、フランスの勢力は絶頂期で、ヨーロッパ情勢を左右する
    程だった。 フランスは世界最大の殖民地帝国のひとつとなった。 帝国の支配を
    支えたのは、商船の大船団だった。 フランス語は、ビジネス、科学、外交の
    国際語になった。 フランスの作家は、平等と市民権という新思想でヨーロッパに
    知れ渡った。

    しかし、同時に、フランスの労働者は重税と農作物の不作で生活が苦しかった。
    腐敗した官吏は、職責を悪用して私腹を肥やした。 ルイ15世は、これらの問題に
    取り組もうとも、フランス経済を状況の変化に合わせようともしなかった。
    大きくなった中産階級は貴族たちと一緒になって、政府を改善し、王政へもっと
    自分たちの声を反映させることを要求した。

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    1774年に王位を継いだルイ16世は、いくらか改善を試みたが、行政官たちの反対に
    あった。 国王による政府の掌握力は、急いでしなければならない政治、財政の
    改革に失敗したために弱まった。 ヨーロッパの他の強国との貿易競争にも
    立ち遅れて、フランス帝国は弱くなった。 田舎では激しいデモが起き、民衆は
    代表議会を要求した。 このため、ルイ16世は1788年に三部会を招集した。

    三部会は、1615年以来、有名無実となっていた。 三部会は僧侶(第一身分)。
    貴族(第二身分)、中産階級(第三身分)の代表で構成されていた。 1789年に
    三部会の第1回会議が開かれた後、第3身分の代表たちは、国民議会を組織して、
    新憲法を制定した。 ルイ16世がこの新しい議会を解散しようとしたため、
    パリ市民は、7月14日にバスチーユ牢獄を襲って占領してしまった。 こうして
    フランス革命が始まった。 革命はパリで続き、地方にも広がった。 国王の
    軍隊はデモ隊の人数よりも少なく、圧倒されてばかりいた。

    一方、国民議会はフランスの政府と社会を全面的に変革する法律を制定した。
    議会は、貴族所有の土地を取り上げ、腐敗した地方の裁判官や徴税官を辞めさせた。
    議会はまた、ローマ・カトリック教会の所有地も取り上げた。 ローマ教皇は、
    この措置ににはもちろん、フランスでの他の変革にも腹を立てた。

    フランスは、国王に忠誠である王党派と国民議会の権限を守る共和派とに分裂した。
    フランスはまた、革命に反対するイギリスとハプスブルグ家のオーストリアの軍事
    干渉を受けた。

    ハプスブルグ軍は1792年春、フランスに侵略し、フランスを負かすと、国内では
    またも民衆が反乱を起こし、ルイ16世とブルボン王朝を倒した。 ルイ16世と
    オーストリア人の王妃マリー・アントワネットは1793年に処刑された。 こうして
    国民議会は第一共和制を打ち立てた。

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    アンリ4世は1610年に暗殺され、9歳のルイ13世が王になった。 幼い国王を
    助けたのは、強力な相談相手の大枢機卿リシュリューだった。 リシュリューは、
    国王に権力を集中するために、多くの城を破壊して土地を差し押さえた。

    国王は、裁判所を監視したり、徴税したりする代表を任命した。 フランスの
    船や商人による北アメリカとアフリカの港との貿易が定着すると、フランスの
    収入は増えた。 この地域との商業関係が、後に海外植民地をつくる基盤となった。

    リシュリューはまた、オーストリアのハプスブルグ王家が勢力を伸ばすのに
    対抗して、オランダ、スウェーデンと同盟を結んで、1618年から1648年まで続いた
    三十年戦争に勝つことが出来た。 戦後、フランスはライン川沿いに新しい領土を
    獲得し、国境地帯を強化した。

    しかし、フランス国王たちは、間もなく不評をかうようになった。 重税と農作物の
    不作で、農村地帯の生活は苦しくなっていた。 ルイ14世が即位した1643年には、
    反乱が広まっていた。 これはフロンドの反乱と呼ばれ、国王軍によってパリで
    鎮圧された。 ルイ14世は、貴族や台頭して来た中流階級が強力になり過ぎた
    ために反乱が起きたと知って、親政政治を始めた。

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    ルイ14世は、フランスを世界で最も豊かで強大な国家にしようとした。 保護貿易
    政策がとられているフランス経済は強くなった。 新しい道路と運河が地方同士を
    結び付けた。 1700年に、フランス軍は領土を拡張し、ルイ14世の孫をスペインの
    王位に就けるため、スペインとオランダに攻め入った。

    ルイ14世の軍事作戦は成功したが、戦費のためにフランス王国の財源は乏しく
    なった。 更にルイ14世は、ユグノーの権利を奪い、結局は信仰の自由の保障を
    止めてしまった。 その結果、商人や貿易商という重要な階級を形作っていた
    数十万のユグノーたちは、ヨーロッパの他の土地や北アメリカに移住して行った。
    このため、フランス経済は更に弱くなった。

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    2017年7月2日、東京都議選挙は、過去に類を見ない程の自民党の大敗に
    終わったが、安倍首相は7月1日、秋葉原で都議選初の街頭演説に立った。
    支持者に交じって反安倍派の『安倍辞めろコール』が飛びかい、一時演説が
    聞こえない程の怒号となったが、安倍首相は、反安倍派の国民らに向かって、
    『こんな人たちに負けるわけにはいかない!』と応酬した。



    一国の首相たるもの、例え、反対されようとも一般市民に向かって『こんな人たち』
    などという悪態は言葉は吐くべきではない。 これが、長年一党独裁を続けて来た
    自民党の体質であり、国民からの支持を得られていない根本的な原因なのだが、
    その事実を全く認めようともせずに、むしろ、国民の側を批判する政治家にこの国を
    任せて良いものなのだろうか。

    自浄能力のない政治家には、己の問題点が全く見えてはおらず、国民のためでは
    なく、自分たちのためだけに政治を行っていると言っても間違いではない。
    民主主義国家とは、国民が常に主権を持ち、政治家を常に監視し、正しい方向に
    導かなければならないのだが、日本の場合は、政治をタブー視している人間が
    余りにも多く、民主主義国家として全く機能していない。

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    ヨーロッパでは、中学や高校の授業で、選挙について必ず学ぶため、当然、政治に
    対する国民の関心も高い。 日本でも国民が政治に関心を持てるような学校教育を
    構築して行かなければならないのだが、自ら『愚民政策』を推し進めている自民党に
    そのような期待は出来る筈がない。

    世の中には、発する言葉は上品だけれど志が低い人もいれば、表現は下品だけれど、
    志は高いという人もいる。 そんな中で救いようがないのは、言葉も表現も下品で
    志も低い人。 社会批判や政治批判をする場合は、多少の言葉の汚さは仕方がない
    と思うが、最も可愛そうなのは、他者からの批判を恐れる余り、上品な言葉で
    一切中身のない話題しか提供出来ない人間なのではないか。

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    2017年2月25日以降、順次公開されている『宇宙戦艦大和』の続編。 全7章を
    劇場で公開予定となっているが、それぞれ、1,200円やら1,600円やら掛かるため、
    全て見終わった暁には、1万円を超えるため、結構な商売なのでは? 4カ月おき
    位の間隔での公開となるため、前回の内容を思い出すのが一苦労w

    【横浜ブルグ13に展示されていたアンドロメダ】
    godkarti017

    別に7回にも分けて公開する必要性を感じないのだが、制作が遅れているのか、
    それとも金儲けのため、わざと別々で公開しているのかは定かではないが、
    劇場公開直後に、2,700円程度でDVDを販売しているため、わざわざ時間を指定
    してまで、映画館に観に行く価値を余り感じない。

    godkarti017

    第一章「嚆矢篇」は、ものの1時間であっという間に終わってしまったが、今回の
    第二章「発進篇」は、およそ1時間半の長丁場。 内容的には、地球防衛軍の静止を
    振り切って、大和が宇宙へと旅立ち、ワープの途中で、太陽系第11番惑星に立ち寄る
    ところで終わるのだが、細切れで出されるのは、余り好きではないため、最後まで
    観るかは、今のところ未定。 後でDVDを買って済ませるかも知れません。

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    カナダでは毎年7月1日が『カナダの日』(建国記念日)となっているが、2017年
    7月1日、カナダは建国から150周年の節目を迎える。 毎年、カナダの日では、
    首都オタワの国会議事堂前での式典をはじめ、カナダ各地でイベントやパレードが
    行われ、街中にカナダ国旗や楓をペイントした人々が溢れ、盛大に記念日を
    祝います。

    イギリスのヴィクトリア女王がイギリス系とフランス系住民の融和を目指して新たに
    建設されたのが、現在の首都のオタワであり、英語とフランス語の境界線上にある。
    カナダの公用語は、英語とフランス語となっており、バイリンガル教育も盛んに
    行われているが、ケベックでは、現在でもフランス語のみが公用語となっている。
    英語話者はフランス語を、フランス語話者は英語を学校で習わなければならない。
    海外から年間約25万人の移民を受け入れ続けているカナダは、世界一の移民超大国で
    あり、カナダに居ない民族はないとまで言われている。

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    【カナダの略歴】
    1497年、イギリスの探検家ジョン・カボットがニューファンドランド島のセント・
    ジョンズに上陸。 そして1534年、フランスの探検家ジャック・カルティエが
    ガスペ半島に到達し、ヌーヴェル・フランスを宣言。 1864年にシャーロット
    タウンで最初の建国会議が開催されてから3年後の1867年、ついにカナダ連邦が
    誕生した。

    16世紀にフランスがセント・ローレンス川中流域にフランス植民地ヌーベル・
    フランスを建設したが、アメリカに植民地を広げていたイギリスが次第に
    カナダへと領土を拡大する動きが広まりフランスと対立を深めて行った。
    最終的には1763年のパリ条約により、カナダはイギリスの植民地と定められた。
    それ以降、カナダはイギリス領となり約100年間イギリスの支配下にあった。

    カナダ建国の切っ掛けとなったのは1812年の米英戦争である。 カナダ併合を
    狙っていたアメリカに対抗するため、1867年7月1日英国議会は、当時イギリスの
    自治領であったカナダをカナダ連邦と定めたことが独立への一歩となった。
    当初はオンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州、ノバスコシア州の
    4州から成り立っていた。

    その後、マニトバ州、ブリティッシュ・コロンビア州、プリンス・エドワード・
    アイランド州と徐々に領土を広げ、1885年の大陸横断鉄道の完成により現在の
    カナダが誕生したのである。 アルバータ州とサスカチワン州も連邦に加わり、
    第一次世界大戦の後にカナダは外交権を与えられ法的にイギリスから独立を
    果たした。 その後、先住民族を中心とするユーコン準州、北西準州、ヌナブト
    準州が新設された。



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    フランスの人口ち経済は15世紀の後半になって、長年の疫病、飢え、戦争の
    痛手から回復した。 シャルル7世の後継者ルイ11世は、フランス貴族の力を奪い、
    租税を徴収し、王領を広げ、常備軍をつくった。

    平和と国王たちの経済政策によって、16世紀初頭には既に、商人や銀行家の中産
    階級が育っていた。 ルネサンス(文芸復興運動)がイタリアで起こり、フランソワ
    1世がフランス人の芸術家を奨励したので、フランスにも広まった。

    カトリック教に対する新教徒(プロテスタント)の宗教改革も、16世紀初頭に、
    スイスの神学者ジャン・カルヴァンの教えを通してフランスにもたらされた。
    フランスのカルヴァン派新教徒ユグノーは、多くの追随者を獲得した。

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    フランスの国王とカトリック教徒は、ユグノーを王権への脅威とみなした。 国王は
    ユグノーを滅ぼそうと企て、16世紀後半には、宗教をめぐる内戦が始まり、沢山の
    死者が出た。 ローマ・カトリック教会は1572年、パリで新教徒の群集を攻撃し、
    2,000人も殺した。

    フランソワ1世の3人の孫は、母親であるアンリ2世王妃カトリーヌ・ド・メディシス
    の強い指示で次々と王位に就いた。 最年少の孫が1589年、直径の継承者を残さ
    ないで暗殺されると、聖王ルイ9世の子孫でユグノーの指導者のアンリ・ド・
    ナヴァールが王位を継ぐ。

    これが、ブルボン朝第1代国王のアンリ4世で、新教徒の王を嫌うカトリック教徒を
    なだめるために1593年、カトリックに改宗し、1598年には信仰の自由を認めた。

    フランスは、アンリ4世時代に、再び力を盛り返した。 国王は道路と運河を建設、
    平民の税金を軽くし、貴族の土地所有を減らした。

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    1328年にフィリップ4世の後継者、シャルル4世は、後継ぎが居ないままに
    死去した。 シャルル4世のいとこ、ヴァロフ家のフィリップが王位に就き、
    フィリップ6世としてヴァロワ朝の第1代となる。 ところが、イギリス王
    エドワード3世は、フランスのカペー朝フィリップ4世の直系だから、イギリスと
    フランスの両方を統治する資格があるとフィリップ6世の王位継承に意義を
    申し立てて、実力行使に出た。 エドワード3世は1337年、ノルマンディーに
    侵攻し、100年以上続く戦争に火がついた。

    百年戦争が始まると、イギリスの勝利が続いた。 1348年にマルセイユで発生
    した黒死病(ペスト)のため、フランスの戦力は低下した。 港に入る船に
    住むねずみが、ヨーロッパ中に疫病を伝染させていたのだ。 数年間でフランスの
    住民の3分の1近くが疫病で死んだ。

    14世紀後半は、不安、病気、戦争の時代だった。 物価は高騰し、兵士たちは、
    群れを成してフランス国内で略奪を働いた。 フランス国王ジャン2世は、
    イギリスに捕らえられ、フランスはその釈放のため巨額の身代金を支払った。
    もうひとりの国王シャルル6世は、精神異常をきたしながら、42年間も王位に
    就いていた。

    1415年に、イギリス国王ヘンリー5世が、カレー港近くのアザンクールで
    フランス軍を破った後、フランスの大半はイギリスの手に落ちた。 1422年に
    シャルル6世を継いだシャルル7世は、領土を持たない国王だった。 イギリス軍が
    田舎を占領している間、都市から都市へ移動ばかりしていた。

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    フランスが悲惨のどん底に落ちていた1420年に、ロレーヌ地方の農家の娘、
    ジャンヌ・ダルクが現れる。 天使の教えに従ったと主張して、シャルル7世の
    宮廷に来たジャンヌは、百年戦争の行方を変えた。 カトリック教会と王に
    対するジャンヌの献身的な愛情は、フランス兵を奮い立たせ、ジャンヌ自身も
    軍隊を率いて、1429年に、オルレアンを包囲していたイギリス軍を粉砕した。

    オルレアンの戦いの後、イギリスの侵略軍は次々に破れ、海岸まで押し戻された。
    だが、ジャンヌは、イギリス軍に捕らえられて処刑されたが、フランスの抵抗を
    表すひとつの象徴となった。

    最後にシャルル7世は、イギリス軍を殆んどフランスから追い払い、百年戦争は
    1453年に終わった。

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    2017年6月27日、欧米やロシアなど、世界各地で『ランサムウエア』と呼ばれる
    コンピューターウイルスを使ったサイバー攻撃発生の報告が相次いだ。
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    ランサムウェア(英語: Ransomware)とは、マルウェアの一種であり、これに
    感染した コンピュータは、利用者のシステムへのアクセスを制限する。 この
    制限を解除するため、 被害者がマルウェアの作者に身代金(ransom)を支払う
    よう要求するもの。

    世界規模のランサムウェア攻撃は、この2カ月間で2度目で、前回は『WannaCry』
    が猛威をふるい、20万台を超えるコンピュータが感染し、病院、銀行、大学などが
    被害を受けた。

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    被害が最も大きかったウクライナでは、政府のコンピューターネットワークが
    麻痺した。 チェルノブイリ原発の放射線測定システムも攻撃を受け、手動作業
    への切り替えに追い込まれるなど、各地で混乱が広がった。

    ランサムウェアは、米国家安全保障局(NSA)から盗み出されたと見られて
    いるが、欧州警察機関(ユーロポール)によれば、150カ国以上で20万件を
    超える被害が出た。 今回はこれに続く世界規模のサイバー攻撃の恐れがある。

    ウクライナでは政府や銀行の他、キエフ郊外の空港や国営航空企業アントノフ、
    電力会社などで大規模な被害が相次いだ。 グロイスマン首相は『ウクライナ史上、
    前例のない攻撃だ』と表明した。 政府のネットワークの復旧には数日掛かる
    見通し。

    ウクライナの他にも、ロシアの国営石油会社ロスネフチや米製薬大手メルク、
    英広告大手WPP、仏建材・ガラス大手サンゴバンの他、オランダやデンマークの
    企業なども攻撃を受けた。

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    2017年6月26日、NHKはテレビがない世帯を対象とした『ネット受信料』の
    原案をまとめた。 その結果、今後はテレビの有無に関わらず、受信料の
    支払いが発生するという。

    受信料については総務省から、地上波よりも安くすべきとの声があり、NHK内部
    でも検討されたが、『地上波よりも安くすると、テレビよりもネットでの視聴が
    増える』との理由により、テレビ受信料と同額に落ち着く見通しだ。 現行の
    地上放送契約が、2カ月払いで2,520円となっている。

    これにより、スマホを持っているだけで、1ヶ月でプラス1,260円の支払いが発生
    することとなるが、『スマートフォンなどでネット受信アプリのダウンロード
    などの手続きを済ませた者を対象とする』との方針も盛り込まれたため、アプリ
    さえダウンロードしていなければ受信料は発生しないとも受け取れるため、
    今後の続報に注視したい。

    今回まとめられた原案には、『支払いは世帯単位』『地上放送の受信料を既に
    支払っている世帯は、ネット同時配信を利用しても無料』などの要素が盛り
    込まれたため、ネット同時配信の単体利用者のみが支払い対象となる。
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    【NHK職員の年収】
    2015年
    NHK職員平均年収
    1,150万3,893円
    35歳平均年収: 685万円
    30歳平均年収: 547万円
    【NHKの受信料支払い率】
    NHKの原資は国民からの受信料収入となっており、徴収した受信料の
    総額は例年6,000億円~6,500億円程度で、NHKの堅調な根幹収入
    となっている。
    NHKは、これまでにも、政府寄りな偏向報道が度々指摘されているが、国民
    からは、テレビがあるという理由だけで、無理やり『みかじめ料』を徴収して
    来たが、更なる収入増を目指して、今度はスマホにまで受信料を掛けるのは、
    横暴極まりない。

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    曲がりなりにも国営放送を名乗っている以上、中立性を維持すべきところなのだが、
    極端な偏向報道、かつ、ウソ、間違いだらけの放送内容、しかも、スマホを所持
    しているだけで、強制的に受信料まで取り立てられるようでは、国営放送とは
    呼べず、単なるヤクザ企業とでも言うべきか。

    それほどまでに料金を徴収したいのであれば、WOWOWのように有料スクランブル
    放送にすれば良いだけの話なのではないだろうか。 日本国内からNHKが消えて
    なくなったとしても、困る人間は少ないと思うが、あくまでも国民の上に君臨し
    続けている企業であるため、国民の側からハッキリとNOの意思表示をしない限り、
    今後も似たようなことが繰り返されるばかり。

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    カロリング朝は、領主たちがユーグ・カペーを国王に選出した987年で終わる。
    カペーは強大な公爵で、その領地は、パリ周辺から南のオルレアンにまで広がって
    いた。 領主たちは、思いのままになる人物を国王に選んだと信じたが、カペは
    996年に、フランスの王位に自分の息子であるロベール2世に継がせ、カペー朝が
    始まる。 カペー朝時代は、領主たちは領地の支配を続けたが、戦時には国王に
    尽くすことを求められた。

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    12世紀までに、カペー朝の領土は、広がり始めていた。 ルイ7世(在位1137~
    1180年)は、1137年にアリエノール・ダキテーヌというアキテーヌの相続者と
    結婚して、王領を増やした。 しかし、国王夫婦の間には娘しか生まれなかった
    ので、アリエノールを離婚し、王位を継ぐ男子を産んでくれそうな女性と再婚した。

    しかし、アリエノールはアキテーヌの広い土地を所有したまま、ノルマンディー
    王アンリと再婚した。 アンリが1154年にイギリス国王となると、アリエノールの
    所有地もイギリスの土地になった。 アキテーヌの領有問題は、イギリスと
    フランスの数世紀に渡る紛争の原因になった。

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    ルイ7世の息子であるフィリップ2世が、1180年にフランス国王になると、政略
    結婚と征服によって王権を強めた。 北フランスのノルマンディーとアンジューも
    手に入れた。

    南部のプロバンスでは、宗教をめぐって異端者たちの反乱が起きた。 怒った
    ローマ教皇は十字軍(宗教戦争)を提唱した。 フィリップ2世と息子のルイ8世は、
    教皇に味方し、プロヴァンスをフランス国王の治下におさめた。

    ルイ8世の息子、ルイ9世は、現実的な統治者であると同時に、信心深かった。
    各地に宗教裁判所を不満を聞き入れ、紛争を解決した。 また、公正な行政制度で
    フランス国民の信頼を得た。 ルイ9世は、教会に対する強い愛着のしるしとして、
    多くの都市に新しい大寺院や宗教上の記念碑を建てることを命じた。 ルイ9世は、
    中東とアフリカへの十字軍を指揮して遠征中の1270年に没した。 死後、ローマ・
    カトリック教会から聖人に列せられた。

    フィリップ4世(在位1285~1314年)は、教会を王権の支配下に置いた。 また、
    地方の行政官、裁判官、税吏に対する王の権限を強めて行った。 フィリップ4世
    は1302年に、全国三都会という討議集会を開いた。 フィリップ4世の改革を
    支持した土地貴族たちによるこの全国三都会が、後のフランス議会の基礎と
    なった。

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    2017年6月23日、沖縄では『沖縄全戦没者追悼式』が開催されたが、そこでの
    スピーチに登壇した安倍晋三首相が、会場で『帰れ!』などと住民らから多くの
    罵声を受けたことを海外メディアが大きく報じている。 AFP通信とロイターは、
    以下のように報じた。
    沖縄の式典が最高潮に達した時、安倍首相は『亜熱帯の島にはアメリカの存在が
    大き過ぎる』と怒る地元の人々からヤジを受けた。 彼が演台に立った時、
    数々の『帰れ!』という叫びが聞こえた。 日本の首相は、公衆の場で嘲笑
    されることは、あまりない。

    『沖縄戦70周年で緊張が表面化』AFP通信 2015/06/24 13:02
    安倍首相は、黒い沖縄のシャツを着て、『鉄の暴風』作戦として知られている
    ほぼ3ヶ月の戦いで命を失った人々を追悼する献花をした。 数人が『帰れ!』
    と叫び、黒いベレー帽の老人は立ち上がって安倍首相を指さした。

    琉球新報がYouTubeで公開している動画でも48分25秒ごろ、登壇した安倍首相に
    対する激しい罵声を確認出来る。



    NHKはこれまでにも、数々の安倍政権への不利な情報を隠蔽しており、NHK前
    では、数々の抗議団体が連日抗議を行っているが、そのような情報ですら
    一切報道をしていないため、情報的に非常に偏った放送局と言う事が出来る。

    出典:Haffpost

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    以前から経営の悪化が指摘されていたバレーボール女子V・チャレンジリーグ1の
    仙台ベルフィーユの廃部が2017年6月23日、確実となった。 6月21日に行われた
    日本バレーボール(Vリーグ)機構の臨時理事会で、同チームを退会に相当する
    退社の勧告にすることを最終決定した。 6月23日にはVリーグのHPにも掲示
    された。 これにより仙台ベルフィーユは今後、Vリーグ主催試合への出場が
    出来なくなった。

    5 月24日のVリーグ機構理事会でリーグ参加資格を審査された際に、1度『退社』の
    勧告を受け、運営会社『トゥエルヴ』が事業を停止していた。 チーム保有団体の
    NPO法人『仙台ベルフィーユ』が存続を望み、スポンサーが40社に増えること
    などを盛り込んだ、追加の経営改善計画の資料を6月20日に提出していた。 運営
    会社の負債もスポンサーが補う話でまとまっていたが、Vリーグ機構が『不明瞭』と
    認めなかったという。

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    2011年に創設した仙台ベルフィーユは、2005年香川・高松市で発足した
    『四国Eighty 8 Queen』の経営悪化、並びに、活動停止を引き継ぎ、2011年に
    仙台市に誕生した地域密着のクラブチームで、企業母体を持っていないため、
    経営が非常に厳しかった。 2014年4月に元全日本監督の葛和伸元監督が就任
    したが、プレミアリーグの1つ下のチャレンジリーグで2年連続4位が最高位だった。

    今後、国体などへの出場は可能だが、今期のVリーグに出場出来ないとなれば、
    所属する13選手の大量移籍は必至となり、チームの存続事態が非常に危うくなる。

    一昔前までは、非常に人気の高かったバレーボールだが、70年代~80年代前半の
    全盛期にトップに君臨した、日立やヤシカ、ユニチカなどの名門チームが90年代
    までに次々に廃部へと追い込まれ、イトーヨーカドー、小田急、ダイエー、東洋紡、
    武富士などの新興勢力も次々と廃部、仙台ベルフィーユ同様、企業母体を持たない
    現在の岡山シーガルズの前身であった東芝シーガルズも90年代の後半に廃部を余儀
    なくされた歴史がある。 Vリーグ女子チームで、まともに残っているのは、
    NECレッドロケッツ、日立リヴァーレ、久光製薬スプリングスのみとなる。

    尚、仙台ベルフィーユは、かつて最強を誇った『日立べルフィーユ』とは直接的な
    関係はなく、元日立監督であった米田氏が立ち上げたチームが『四国Eighty 8
    Queen』であったため、その名前にちなんでいる。 また、『日立リヴァーレ
    (日立佐和)』もかつての『日立べルフィーユ(日立武蔵)』とは全くの別チーム
    となっている。

    90年代以降、バレーボールの実業団チームは、入れ替わりが激しく、Vリーグ自体に
    人気がないため、非常に低迷しているのだが、バレー界の抜本的な解決策もない
    まま、企業に頼り切っているため、今後も同様のケースが増えて来るものと
    思われる。 バレーボール界は、女子のみならず、男子の方も暗黒時代が続いて
    おり、このまま何の手立ても考えない状態で、次々とVリーグ機構がチームを
    潰して行くのであれば、バレーボールのプロ化など、夢のまた夢で終わるで
    あろう。

    90年代には、アイドル並の人気を誇った大人気スポーツのバレーボールだが、
    Jリーグサッカーに完全に遅れを取ってしまったため、その後、リーグ経営自体が
    ガタガタとなり、建て直しが非常に厳しい状態となっている。

    【お勧めの一球】


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    アッティラが敗退すると、フランク族はライン川からロワール川にまたがる
    ガリア地帯を数十年支配した。 486年、フランク族の国王クローヴィスは、
    北フランスのソワッソンでローマ軍を破ってガリア北部を征服し、この地を
    フランキアと呼んだ。

    冷酷でずる賢いクローヴィス王は、フランク族を終結し、メロヴィング朝の基礎を
    築いた。 496年にフランク族の宗教を捨ててキリスト教に改宗し、フランク帝国も
    キリスト教国となった。 キリスト教の中心はローマであり、ローマ・カトリック
    教会は信徒を支配した。

    クローヴィスの死後、帝国は4人の息子に分割された。 遺産の分割はその頃の
    慣習だったが、相続者たちは、自分の領土を広げるために戦争し続けた。
    フランキアは南部と東部の土地を併合して大きくなったが、分裂状態のメロヴィング
    朝の勢力は衰えて行った。

    国王の行政権は、メロヴィング朝の王たちの最高顧問であった大宰相に移って
    行った。 こうした大宰相の中でも最も力のあったエリスターベルのペピン
    (ペパン)は、優れた指揮官だった。 ペピンが714年に死んだ時、既に強力に
    なっていた王国を継いだのは、息子のシャルル(カール)だった。

    シャルルは、『つち(槌)』を意味するマルテルというあだ名の通り、戦争では
    負け知らずだった。 北イタリアのロンバルディア人がローマを攻略するのを
    防いだので、フランク王たちとローマ・カトリック教会との関係は密接になって
    行った。

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    【シャルルマーニュ(カール大帝)】
    シャルル・マルテルの息子が、フランキアの新しい王朝のカロリング朝を打ち
    立てた。 シャルルと同じ名前の孫シャルルは、ライン川の東側に住んでいた
    ザクセン人、バイエルン人、アヴァール人を征服した。 若いシャルルはまた、
    北アフリカからスペインとポルトガルに侵攻して来たムーア人を、フランス南部で
    食い止めた。 シャルルは武将であり、精力的な統治者だった。 ドイツ、
    北イタリア、現在のフランスの殆んど全部を占領地にした。

    800年にシャルルは、軍隊を率いてローマに赴いた。 ローマの貴族の教皇の間の
    争いを調停するためだった。 シャルルは、教皇に有利になるように争いを解決
    した。 感謝した教皇はサン・ピエトロ寺院で、シャルルに金の王冠を載せ、
    西ローマ帝国の皇帝にした。 その後、シャルルはシャルルマーニュ(カール大帝)
    と言われるようになった。

    シャルルマーニュはその政治手腕と権限で、広い帝国を統治した。 814年に
    亡くなると、領土は相続者たちに分けられた。 孫のシャルル禿頭王の領地となった
    ライン川の西の地域の西フランク王国は、現代フランスの先祖である。

    カロリング朝の力は、9世紀から10世紀初めに掛けて衰え、北ヨーロッパからの
    侵略者バイキングを阻止出来なかった。 裕福な地主たちは防衛のため城を築き、
    私兵を雇った。

    やがてこの貴族たちは、城の周りの地域を統治する領主になった。 農民は、
    侵略者から守ってもらう代わりに、領主の農地で働いた。 農民はまた、領主に
    忠誠を誓い、収穫の一部を年貢として献納した。 領主たちは、その財産と富で、
    フランス国王に影響を与え、自分たちで国王を選出する程になった。

    【お勧めの一品】


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