多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    初めて海を渡ったサムライ
    慶長遣欧使節は、慶長18年(1613年)に仙台藩主の伊達政宗がフランシスコ会
    宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王
    フェリペ3世、および、ローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節であるが、
    元々、この使節団は、その2年前の1611年に三陸を大規模な津波を襲ったのを
    契機に、徳川家康の許可を得て、仙台藩が単独、かつ独自に派遣した使節団
    である。

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    当時の日本は、江戸幕府による鎖国令が敷かれており、津波による大災害を
    好機へと変え、ガレオン船を建造して、海外へとその活路を見出そうとした
    伊達政宗の日本野望とも言える壮大な計画である。 この時、伊達政宗は、
    「奥州王」の名において、イスパニア艦隊の日本への派遣をこの使節団に要請
    しており、当時世界最強であったイスパニア艦隊がその政宗の要請に応じて
    いれば、日本は根底から何もかもが変わっていた可能性がある。 一説に
    よれば、徳川幕府を倒すためにこの使節団を派遣したとも言われている。

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    コレア・デル・リオ
    奥州遣欧使節は、現在の宮城県石巻市の月の浦を出航し、ヌエヴァ・イスパニア
    (メキシコ)を経由して、一路ローマを目指したが、その途中のスペイン南部に
    あるコレア・デル・リオという小さな街で長期滞在した。 この街で滞在をした
    理由は、ルイス・ソテロの出身地であるためと言われている。 この滞在には、
    諸説あるが、使節団は、最長で1年程度をこの街で過ごしたとも言われている。

    この街には、ハポン(Japón=日本)姓、もしくは、Xapón姓の人が数百人
    住んでおり、この使節団の中で日本に帰らず現地に留まり移住したキリスト
    教徒の仙台藩の藩士や使節の現地人水夫、その支援者の子孫であると言われ
    ている。

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    コレア・デル・リオ
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    政宗の野望費える
    1615年1月30日、使節団は首都マドリードにてイスパニア国王フェリペ3世に謁見を
    許された。 2月17日、支倉常長は、フェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の
    付属教会で洗礼を受けた。 8月22日、使節団はマドリードを出発した。 使節団は
    その後、10月25日にローマに到着し、10月29日、ローマにおいて栄誉あるローマ
    入市式を行った。 11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に
    謁見し、ローマ市民権証書が授与された。 但し、交渉は難航し、結局、政宗の
    嘆願が受け入れられることはなかった。

    この使節団は、出航直後にキリシタン禁令や宣教師追放令が出たことから、
    7年後に帰国するものの、洗礼を受けていた支倉常長を当主とする支倉家は
    御家断絶の憂き目に。 ルイス・ソテロもマニラから密入国しようとしたが
    捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)に長崎の大村で火刑により
    殉教した。

    岩倉使節団
    QUYAE-BIE

    その後、使節団のことは語られることなく、明治6(1873)年に岩倉具視率いる
    「岩倉使節団」がイタリアのヴェネツィアで常長の書状を発見したことで、慶長遣欧
    使節の偉業が明らかとなった。 これが切っ掛けで、当時逆賊扱いをされていた
    仙台の地に、日本で2番目の高等学校、仙台第二高等学校(現在の東北大学)が開設
    されることとなった。

    使節団が持ち帰った貴重な資料は国宝に指定されていたが、2013年6月にユネスコの
    「世界記憶遺産」に登録され、仙台市博物館に保管されている。



    東日本大震災
    コレア・デル・リオでの滞在は、たった1日のみであったが、東日本大震災が
    発生した際に、このコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れているという
    噂を聞き付け、スペイン語でコリア・デル・リオ市役所に問い合わせたところ、
    全くのデマであることが判明したため、結局、この地に住むことはなかったが、
    もし、本当にコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れていたならば、今頃は、
    日本などからは離れて、この地で生きていたと思う。 宿泊した宿のオーナーも
    ハポンと言う人であった。

    コリア・デル・リオ市は、日本人の末裔の街であるため、日本人観光客向けに日本語
    での案内もあるのだが、肝心の日本人が、その史実を全く知らないため、ここには、
    滅多に日本人が来ないとか。 コレア・デル・リオは、セビリアからバスで1時間
    程度の場所にあるため、昔のサムライの気概を感じるために、コリア・デル・リオを
    訪れて見るのも一興だと思う。

    >>遠い帆 ~日本で始めて海を渡ったサムライ~

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    アンダルシアの旅
    スペイン最南端のアルヘシーラスから路線バスでアンダルシア州の中心地、
    セビリアを目指します。 この地域は鉄道が全く通っていないため、移動手段は
    バス、または、乗り合いタクシーのみ。 当初、乗り合いタクシーに予約を
    入れたところ、断られてしまったため、仕方なくバスに乗りました。
    アルヘシーラス→セビリアまでは、5時間程度掛かりますが、途中、トイレすら
    ない場所で20分程度の休憩の後、更にセビリアを目指します。 バスの運転手は
    女性の方でしたが、ヨーロッパでは女性のバスの運転手は全く珍しくはないものの、
    日本では、女性のバスの運転手は、まだまだ少数派。

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    夜の8時近くにようやくセビリアへと到着。 セビリアは、スペイン南部
    アンダルシア州の州都、並びに、セビリア県の県都で、人口は約70万人程度しか
    いなものの、闘牛やフラメンコの本場であるため、観光地としても人気があります。
    通常の観光客は、アンダルシアに宿泊をする際には、このセビリアを選びますが、
    ここからバスで約1時間の場所にあるコレア・デル・リオを宿泊地にしたため、
    更にバスで移動します。

    【夜のセビリア】
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    バスの時間があるため、余りゆっくりとは出来なかったものの、街の中心部を
    ざっと観光の後、バスの運転手に確かめて、コリオ・デル・リオ方面のバスに
    乗ったつもりが、Google Mapを見ていると、全くの逆方向に行っていることが
    判明したため、20分ほどバスに乗ってから、途中で降りて、今度は、逆方向の
    バスに乗って、また同じ場所へと戻ることとなりました。。 スペイン人の言って
    いる内容は、相当適当なのと、英語がさほど通じないため、確かめたつもりが、
    適当に受け流されていたということは多々あります。。 よって、セビリアで
    1時間半以上も時間を無駄にしてしまいました。。

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    ジブラルタル
    スペイン最南端にあるアンヘシーラスからバスに乗り、イギリス領の
    ジブラルタルへと向かいます。 アンヘシーラス駅前にあるバスターミナルから
    ジブラルタルへは、直接行く事が出来ないため、ジブラルタルとの国境の
    手前までバスで行き、そこから5分ほど歩いて国境を越えます。

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    同じEUとは言え、イギリスはEUからの離脱を表明しているため、この国境は
    なくなるどころか、更に強化されるのでしょう。 スペイン政府は、
    このジブラルタルを返還するよう求めていますが、イギリスが全く
    応じないのだとか。

    ジブラルタルは、イギリス領であるため、使用通貨はポンドですが、実際は、
    ほぼスペイン領であるため、ユーロも普通に使うことが出来ます。

    【ジブラルタル】
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    ジブラルタルは、8世紀よりムーア人、レコンキスタ後はカスティーリャ王国、
    16世紀よりスペイン、18世紀よりイギリスの占領下にあるが、その領有権を巡り
    今もイギリスとスペインの間に争いがある。

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    ジブラルタル海峡を越えて
    船でアフリカ大陸側のセウタからヨーロッパ側のアンヘシーラスへと渡ります。
    どちらもスペイン領のため、国内移動の扱いとなるものの、出国手続きがあるため、
    パスポートの提示が必須です。 ジブラルタル海峡を渡る時間は1時間程度と
    短いため、対岸が完全に見えており、アフリカからヨーロッパへ渡ると言う
    感覚は余りありません。 船内では、甲板に出ることが出来ますが、意外と
    揺れるのと、波が荒いため、気を付けないとかなり濡れます。

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    【ジブラルタル海峡】
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    ジブラルタル
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    ハワイのダイヤモンドヘッドのような山がある場所がイギリス領のジブラルタル。
    ジブラルタルの住民は、主にスペイン語で話していますが、イギリス領のため、
    英語も非常に堪能です。 実際にスペイン語だけで話しているのであれば、
    別にスペイン領にしても良いと思いますが、そこは大英帝国のプライドが
    許さないのでしょう。

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    セウタは、アフリカ大陸北部にあるスペインの飛地領で、ジブラルタル海峡に
    近い地中海沿岸に位置している。

    モロッコから歩いて国境を越えてスペインへ
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    掘っ立て小屋風の出国手続き所
    (ここで手続きを忘れると、再度ここまで戻されます)
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    スペイン入国!
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    スペイン入国後はこのバスでセウタへ
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    サンフェリペ壕
    セウタにあるサンフェリペ壕は、15世紀にポルトガル人がジブラルタル海峡を
    通過する船を見張り、セウタを防衛するために築いた要塞で、ポルトガルが
    スペインに併合されて以来、セウタはスペイン領となっている。

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    サンフェリペ壕は、「壕」と言うよりも、非常に頑丈な造りであるため、「要塞」と
    言った方が分かりやすい。 ジブラルタル海峡にあるため、対岸のヨーロッパは
    すぐ目の前。 ヨーロッパはどこも戦争の歴史であるため、このような強固な施設が
    必要だった模様。

    【セウタの中心街】
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    セウタの地名は、7人兄弟(の城)(七つの丘のこと)を意味すセプテム・
    フラトレス(ラテン語: Septem Fratres) から派生したとされる。

    スペインの植民地の要塞は、スペインの後に世界帝国を築いた英国の拡大に
    対して築かれたものが多いのだが、セウタはその英国以外にも、地続きの
    アフリカの攻撃に対しても守りを固めねばならず、現在のセウタ中心部と大陸を
    隔てるよう、壕が掘られ、海の水が引かれています。

    アフリカ大陸から望むヨーロッパ(ジブラルタル海峡)
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    モロッコ国営バスの旅
    モロッコ国営バスで青の街シャウエンからテトゥアンへ。 この国営バスは、
    日本からでも予約が出来ますが、言語は全てフランス語のみ対応です。
    モロッコは、基本的に公共交通機関が時間通りには運行しておらず、遅く
    出発するのは我慢が出来ても、時折時間よりも前に出発してしまうこともあり、
    しかも、特に何もアナウンスは行わない、初めてモロッコを訪れると、非常に
    ビックリします。

    モロッコのバス
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    【非常に複雑なテトゥアンの旧市街メディナ】
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    【早朝のテトゥアンの旧市街(メディナ)】
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    メディナ観光の注意点
    テトゥアンに到着したのは、午後11時過ぎであったため、既に周囲は真っ暗。
    そのまま少しだけ旧市街メディアの観光をしたものの、やはり、暗いため、
    翌日に繰り越すことにしましが、翌朝の早朝6時からのメディナ観光でも、
    やはりまだまだ暗かった。。 さて、このテトゥアンのメディアは、非常に複雑で、
    入るのは簡単なものの、出るのが非常に困難。 Google Mapは一切役に立た
    ないため、全て、適当に歩き回るしかありません。。 しかも、周囲の景色が
    非常に似ており、その場所を1度通ったかすら思い出せないのと、袋小路が
    多いため、行き止まりが非常に多いため、抜け出るのは至難の技。。

    ようやく出口が見えました(涙)
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    複雑怪奇なメディナと挌闘するすること1時間、ようやく出口が見えてきました。
    モロッコには、特に道標などはなく、特に何も書いていないため、道に迷うと
    大変です。。 特に、早朝や夜中にメディナに入る場合は、誰も歩いては
    いないため、それ相応の覚悟が必要です。

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    タンジェから青の街シャウエンへ
    タンジェからシャウエンまでは、約3時間のバスの旅。 途中、このような
    雄大な景色が広がります。 テトゥアンで20分ほど休憩し、そのまま
    シャウエンへと向かいます。 尚、この日の宿泊地は、このテトゥアンですが、
    一旦シャウエンに行ってから、テトゥアンに戻る形になります。

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    約3時間のバスの旅を終えて、青の街シャウエンに到着。 但し、その青の街は、
    旧市街メディナの方なので、新市街のバスターミナル付近は特に何もありません。
    よって、ここから2キロ、徒歩20程度の距離にありますが、街中全て青を
    イメージして来たため、街の入り口が意外と白い建物ばかりで、若干ガッカリ
    しましたw メディナまでの通りには、市場や個人商店が軒を連ねていました。

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    さて、ここからが、シャウエンのハイライト、旧市街のメディナです。
    何故このような青ばかりを使うようになったのはか、定かではないものの、
    ある一定の法則に則り計画的に造られたものは、綺麗であるという結論に達し
    ました。 青にも色々な青がありますが、濃い青から淡い青まで、ありとあらゆる
    青が存在しています。 但し、よくよく見ると、街自体は結構汚いため、
    青だけをお楽しみ下さいw

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    シャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に
    入ったところに位置する。 1471年にムーレイ アリ ベン ムーサ ベン ラチェッド
    エル Alamiが、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として
    設立した。 この地域のGhomara部族と共に、多くのモリスコとユダヤ人が、
    スペインによるレコンキスタの後、ここに定住した。 建物が青く塗られたのは、
    ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もあるが、
    単なる虫除けとの説もある。

    【旧市街の終点付近】
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    【ハマム広場】
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    【シェフ・シャウエン旧市街】

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    イスラム圏は基本的に、銀製品のお土産が多く、ランプや陶器が多いのが特徴。
    お土産は買わなくとも、見ているだけでも楽しくなります。 シャウエンは、
    非常に辺鄙な場所にあるため、大概の人たちは、この街に宿泊をしますが、
    時間がないため、ここには泊まらずに、バスで1時間半行った、テトゥアンに
    泊まりましたが、そちらの旧市街の方が実は凄かった。

    シェフ・シャウエン旧市街
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    青の街、シャウエンを後にして、テトゥアンへと戻ります。 実は、この
    テトゥアンに行くまでは、旧市街のメディナのことを侮っており、複雑に
    入り組んだ迷路のような旧市外では、google mapは、一切役には立たないので、
    要注意。

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    タンジェ駅周辺
    タンジェ駅から、バスターミナルまでは、2キロ近く離れており、歩くと30分も
    掛かる。 当初は、フェズからシャウエンに入りたかったのだが、フェズから
    シャウエンに向かうバスの最終便が午後3時であるため、どう考えても間に
    合わない。 後から知った情報によれば、カサブランカからもシャウエン行きの
    バスが出ているため、わざわざタンジェまで行かずに、直接シャウエンに行けた
    らしい。

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    タンジェでは、バスの時間までまだ15分もあったため、サンドイッチを買って
    いる間に、バスに置いて行かれました。。 チケットに記載されていた時間よりも
    早くバスが出てしまったため、既にチケットを購入していた国営バスではなく、
    別途お金を支払って、民間バスでシャウエンに行くことになりました。。

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    モロッコのバスは、行き先が書いておらず、たまに書いてあったとしても、
    アラビア語のみの記載のため、非常に旅行がし辛く、放送もインフォメーションも
    ありません。。 よって、行き先をいちいち聞かない限り、どのバスがどこに
    行くのかすら分からないため、要注意。

    【タンジェのバスターミナル】(撮影禁止)
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    この様な運転体系で、この国の国民は、どうやって旅行を楽しんでいるのか、
    いささか疑問に感じましたが、その40分後に、民間のバスがシャウエンに向かう
    ため、この際、それで良しとしました。 結論として、モロッコの交通機関は、
    いつ出発するのか分からないため、日本で先に予約をするのは止めた方が良いです。

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    マラケシュからタンジェまで
    モロッコ鉄道最南端のマラケシュ駅から午前6時出発の電車に乗り、
    一路モロッコ鉄道最北端のタンジェ駅へと向かいます。 丸1日でモロッコを
    南から北まで一気に駆け抜けるため、6時間以上の旅となります。

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    この列車に乗って、カサブランカを目指しますが、途中、空調が壊れているのか、
    外風がそのまま車内に送風されており、幾らアフリカとは言え、1月初旬なので、
    かなり寒かったです。

    モロッコ国鉄は、日本国内からも予約出来ることにはなっているものの、最終的な
    決済がカードでは出来ないため、実質予約が出来ません。 前日のうちに、翌日の
    チケットを予約しようと思い、窓口で尋ねたところ、チケットは当日以外は
    発売しないとのことで、早朝6時の出発に向けて、宿を4時40に出発しました。
    マラケシュの旧市街は、新市街から5キロ弱離れているため、歩くと1時間以上
    掛かりますが、タクシーだと早朝料金で50ディルハム(約900円)でした。

    途中のカサブランカ・ボヤジュー駅で乗り換えが必要なので、一旦駅の外に
    出て見ましたが、乗り換え時間が15分しかなかったため、ほんの数分で、
    カサブランカ観光を終えました。

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    モロッコ南部は、100%フランス語が通じましたが、北部は、スペイン語以外は
    殆ど通じず、南北格差が非常に大きい国だと感じました。 基本的に、英語は
    どちらもさほど通じないため、モロッコ北部では、とりあえず、フランス語で
    話し掛けてみて、駄目であれば、スペイン語で訊くを繰り返しましたが、北部では
    フランス語は、殆ど通じませんでした。

    【マラケシュ駅→カサブランカ駅】
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    カサブランカを出発
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    「カサブランカ」とは、スペイン語で「白い家」と言う意味ですが、その名の通り、
    白い駅でした。 ここからは、フランスのTGV風の列車に乗って、一路、
    タンジェを目指します。 カサブランカは、モロッコ最大の都市ですが、首都は、
    このお隣りのラバトです。 商業都市と政治の街が分離しているため、東京の様に、
    どこも激混みということはありませんでした。

    【タンジェ駅】
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    カサブランカからタンジェへ向かう電車は、フランスのTGV、タリスと同じ列車。
    モロッコの凄いところは、駅にも駅名が書いていないところ。 車内は何語でも
    放送をしないため、非常に困るのだが、流石に、終着駅なので、タンジェ駅で
    あることは分かりました。 モロッコ国鉄最南端のマラケシュ駅から最北端の
    タンジェ駅まで乗車したため、モロッコ国鉄は、3分の2程度走破したことに
    なります。 尚、マラケシュ→タンジェ間は、6時間弱で、直通列車はありません。

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    モロッコ旅行時は常に周囲に注意を向けること
    リスボンからロイヤル・エアモロッコ航空で、カサブランカへと飛びました。
    カサブランカでは、数時間程度のトランジットの筈が、ゲート変更、並びに、
    時間変更のアナウンスが全くなかったため、完全にカサブランカに置いて
    行かれてしまいました。。 急いでロイヤル・エアモロッコ航空のカウンターに
    行って、「何で何も言ってくれないんだ?」と尋ねたところ、「書いてあるから
    言う必要性がない」という回答でした。。

    モロッコの旅は、どこに行っても何も言わない、何も書いていないため、
    これ以降は、一々周囲の人達に状況を確かめることにしました。

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    政府が夏時間を継続中
    その後、更に判明したのは、モロッコ政府は、昨年になって突然、夏時間を
    そのまま無期限で延長したため、ポルトガルとは1時間の時差があり、モロッコ
    時間を示していたスマホの時計自体が、1時間遅かったことが判明しました。
    結局は、これが原因で置いて行かれたのだと気付きました。。 しかも、
    モロッコにある時計は、夏時間と冬時間の両方を示しており、結局どちらを
    信じて良いのか、スマホでネット検索しまくって、ようやく回答を得た時点で、
    1時間に1本しか空港駅にやって来ない列車にも乗り遅れていました。。 よって、
    カサブランカの空港で、合計3時間無駄にしました。。

    【カサブランカ空港】
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    カサブランカ空港駅からマラケシュ方面へ行くためには、途中の「オアシス駅」で
    乗り換えが必要です。 何度も乗り継ぎに失敗してしまったため、目的地の
    マラケシュ駅に到着したのは、午後11時過ぎ。。 実は、新市街にある
    マラケシュ駅から旧市街までは、5キロ近くも離れているため、早速、タクシーの
    運転手にフランス語で交渉してみたものの、夜中であったため、50ディルハム
    (約600円)より下には下がりませんでした。 日中だと30ディルハムと聞いて
    いたので、30ディルハムで交渉したものの、夜中だから無理と断れました。

    【オアシス駅~マラケシュ駅】
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    旧市街 メディナ
    午前0時近くのマラケシュ旧市街。 旧市街は、アラビア語で「メディナ」と
    呼ばれ、「迷路」とも例えられているのだが、このマラケシュのメディアは
    まだそこまで複雑ではないため、まだましだったのだが、この後に行く、
    テトゥアンのメディナは、内部が複雑過ぎて、メディナから出るのに1時間も
    掛かりましたw 特に何も書いていないのと、Google Mapにも何も載って
    いないため、メディアからの脱出方法は、適当に歩くしかありません。

    IMG_3106

    夜中のマラケシュ散策は続きます。 午前0時まで、概ねのお店は開いており、
    それなりの買い物は可能でしたが、お昼の方が開店しているお店の数が多いため、
    やはり、昼間の買い物の方がお勧めです。 夜は夜で、また雰囲気が異なるため、
    時間が許すのであれば、夜中のそぞろ歩きもおもしろいと思います。

    【メディナ】
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    午前0時前後のマラケシュ旧市街では、至る所で、煌々と明かりが点いており、
    商魂魂の片鱗が垣間見られました。 アジアでも夜中のマーケットは当たり前
    なので、この様な個人商店が頑張れる場を政府が提供しなければ、日本の商業
    自体も、巨大資本に飲み込まれてなくなってしまいます。 日本人は、基本的に、
    何でも他人のせいにするのが大好きなので、責任をなすり付けて安心出来る
    大型店ばかりで買い物をしていますが、商業の基本は、個人商店なので、それを
    無視して買い物をしても、資本が一ヶ所に集中するばかりで、更に、貧富の差が
    激しくなるばかり。

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    坂の街リスボン
    港町はどこも高低差が激しく、坂道が多いため、リスボンにはケーブルカーが
    2か所あります。 リスボンは、その高低差がそのまま地名となっており、
    「Alta(アウタ)」地区は「高い」と言う意味で、「Baixo(バイショ)」地区は
    「低い」と言う意味です。

    【ケーブルカー】
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    リスボンのケーブルカーは、乗車時間がものの5分程度しかありませんが、実は、
    歩いても余り時間は変わらず、単に楽に坂の上に登れるという代物。 この場所が
    リスボンの絵葉書に一番出て来る風景のため、最もリスボンらしい景色と言えます。
    ほんの数百メートルしかない路線であるため、実は、ケーブルカーを待っている
    間に、歩いた方が早いです。

    【リスボン】
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    ポルトガル土産は、陶器の焼き物が多いのが特徴で、特に、ニワトリの置物が
    ポルトガル土産の定番となっています。

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    日本に初めてやって来た外国人とは、一体何人なのだろうか? 記録上、
    日本に初めてやって来た西洋人は、1543年種子島に漂着したポルトガル人商人、
    フランシスコとキリシタ・ダ・モッタと記録されている。

    sea-680169

    この様な経緯により、ポルトガル語が日本語に果たした役割は非常に大きく、
    日本語として日常的に使われるようになったポルトガル語の単語には、以下の
    ような物があります。

    ポルトガル語 本来の意味 外来語
    Bateira 小舟バッテラ
    Balanço ブランコ 左右の動き、横揺れ
    Bando ギャングバンド
    Biscoitoビスケット、ビンタビスケット
    Bôlo お菓子・ケーキボーロ
    Caramelo 焼き砂糖・カラメルキャラメル
    Cambodia カンボジアカボチャ
    Carta 手紙・トランプカルタ
    Castelo カステラ
    Capaマント・袖なし外套カッパ
    Charamelaチャルメラキャラメル
    Cristãoキリスト教徒キリシタン
    Confeito糖菓子
    Copoコップコップ
    frasco陶器の小びんフラスコ
    gibão肌着・シャツ襦袢
    jarro取手付きの水差しジョウロ
    ombroおんぶ
    órgão機関、器官オルガン
    padre神父、司祭バテレン
    pãoパン、食料パン
    raxaラシャラシャ(羅紗)
    saraçaサラササラサ(更紗)
    tempêro調味料てんぷら
    tabacoタバコタバコ
    veludoベルベットビロード
    vidroガラスビードロ
    zamboaザボンザボン

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    南ドイツの中心都市ミュンヘン
    ミュンヘンは、ドイツ第3の都市で、南ドイツの経済と文化の中心地。
    空港からミュンヘンの中心街へ行くためには、ドイツの郊外電車Sバーンを
    利用すると非常に便利。 このSバーンに揺られること約45分程で、マリエン
    広場までたどり着きました。 ドイツ語の「Marienplatz(マリーエン・プラツ)」の
    意味は、「マリア広場」で、ドイツ語は、スペースなしで単語をそのまま連結する
    ことができるため、慣れないと単語が非常に長く感じるものの、単語の切れ目が
    分かるため、そこで意味を判断すると分かりやすく、ドイツ語は、世界一合理的な
    言語とも言えます。

    ドイツの鉄道は、自分で打刻が必要
    IMG_2950

    【Sバーン路線図】
    munich

    【冬の食べ物】
    南ドイツの冬の風物詩と言えば焼き栗ですが、「栗」はドイツ語では、
    「Kastanien(カシュターニエン)」と言うものの、焼くと何故か「Maroni
    (マローニ)」となり、イタリア語へと変わる。 お隣りオーストリアの
    ウィーン方言もミュンヘンと大体同じで、こちらでも、「焼き栗」は、
    やはり「Maroni(マローニ)」と言います。

    焼き栗屋
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    ミュンヘン新市庁舎とフラウエン教会は、どちらも非常に重厚な建物で、
    ミュンヘンのシンボル的な建物となっています。 新市庁舎の方では、毎時
    定時になると、仕掛け時計が動き出すため、絶好のシャッターシャンスと
    なります。

    ミュンヘン新市庁舎
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    フラウエン教会
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    【ミュンヘン】
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    南ドイツの春の風物詩
    南ドイツ名物の「Maibaum(マイバウム)」は、5月のお祭りの時期になると、
    南ドイツでは割と普通に建てられる春のシンボル的な存在ですが、実は、
    これと同じ物が札幌の大通り公園にも置いてあります。 こちらは、
    ミュンヘン市から姉妹都市である札幌市へと寄贈された物。

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    ドイツの標準語とは
    ドイツは東西南北で言語も風習も大きく異なるため、それぞれの地方の方言を
    聞いているだけでも楽しい。 特に、ミュンヘンは、南部の訛りが非常に強い
    バイエルン弁を話している地域となっており、この方言は、オーストリアと
    概ね同じとなっている。 ドイツでは、通常、標準語ではなく、それぞれの
    地方の方言のみで話していますが、他の地域の人達と話す時だけは、標準語で
    ある「高地ドイツ語」で話しています。

    【マリエン広場】
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    デニス選手の主な経歴
    テン・デニス・ユーリェヴィチ(Тен Денис Юрьевич)は、カザフスタン共和国の
    フィギュアスケート競技において、史上初めてのメダルをもたらしたアルマトイ市
    出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)であり、2014年ソチオリンピック
    では銅メダル、2013年世界選手権では2位、2015年世界選手権では3位、2015年
    四大陸選手権では優勝、2017年冬季ユニバーシアードでも優勝を果たす等、数々の
    輝かしい実績をスケート界に残した人物である。

    【ソチ五輪では銅メダルを獲得】
    YjQkFZA

    家族
    中央アジアのカザフスタンは、「民族の十字路」と呼ばれており、朝鮮人や
    ドイツ人他、100を超える民族が共存しているが、デニス選手の曽祖父は、
    大韓帝国時代の軍人、閔肯鎬であり、日本からの独立運動に尽力し、1908年
    2月28日、雉岳山で日本兵の不意の襲撃を受けて逮捕された後、翌日の2月29日、
    部下の義兵らが救出作戦を起こし、奪還されることを恐れた日本軍により
    射殺された。 その後、その子孫は亡命を余儀なくされ、家族は安重根の助けで、
    豆満江を渡ってロシアに逃れた。 スターリンの時代には、その家族は
    カザフスタンに強制移住を余儀なくされ、この地に連れて来られた。

    デニス選手の先祖 閔肯鎬


    フィギュアスケートとの出会い
    プロヴァイオリニストである母親の影響で7歳から5年間音楽学校に通い、
    ピアノと合唱を学んだが、2002年にはカザフスタン少年合唱団員の一員として、
    韓国の釜山で開催された世界合唱大会に出場し、2位となった。

    images

    5歳の時、母親の希望によりスケートを始める。最初は冬場にアルマトイ市内の
    屋外リンクで練習を行い、後にショッピングモール内のリンクへと場所を移した。
    9歳の時、ロシアのオムスクで行われた大会で優勝した際に、ジャッジのひとりから
    旧ソ連地域内の低年齢競技者を対象とした競技会「クリスタルスケート」に招待
    された。 この大会でエレーナ・ブイアノワと出会い、彼女が指導する
    サマーキャンプに参加するようになり、10歳の時、ブイアノワの勧めで母親と共に
    ロシアに移住。 2004年から2010年までの7年間、モスクワでブイアノワと
    タチアナ・タラソワから本格的な指導を受けた。 2010~2011年のシーズンから、
    コーチをフランク・キャロルに変更し、拠点をロサンゼルスへと移した。

     

    フィギュアスケート以外にも、テコンドー、空手、テニス、水泳、器械体操等にも
    挑戦した事があり、この他にも、作詞作曲の音楽活動、写真、映画のシナリオ
    作成等を本格的に行う等、非常に多彩な才能を持っていた。

    デニス選手殺害事件
    2018年7月19日、デニス選手は、アルマトイ市中心部にあるレストランで友人らと
    昼食を楽しんでいた。 食事が終わり、デニス選手が車に戻ろうとしたところ、
    デニス選手の車のミラーを盗もうとしていた男2人組と遭遇し、そのまま20m程
    犯人を追い掛けたが、その場で脚2ヵ所をナイフで刺され、数十分後に通行人に
    発見されたが、既に約3リットル以上もの出血があり、救急車でアルマトイ市内の
    病院に運ばれた時点で、既に臨床的な死を向えていたが、同日午後5時30分、
    正式に死亡が確認された。


    デニス選手が刺殺された場所
    この場所は、アルマトイ市中心部にある、お洒落な地域で、周囲には、数軒の
    カフェテリアとレストランがある。 すぐ目の前のカフェテリアからは、
    この現場が丸見えで、道路には防犯カメラも設置してあるが、誰も気付くことは
    なかった。。 その後、この通りを偶然通りかかった女によって、デニス選手は、
    財布が盗まれたのだが、その時点でこの女が通報をしていれば、まだ助かった
    可能性があった事は否めない。。

    アルマトイでは、この事件を誰も語ろうとはしておらず、余りにも不審な点が
    多過ぎるため、計画的に誰かがデニス選手を殺害しようとしていたとの噂もある。

    赤いリボンの様な物は、デニス選手の死後に設置された物
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    意外と人通りが多い。。
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    最後に食事をしていた場所。。
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    恐らく、この場所にレクサスを停めて、犯人と遭遇した。。
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    ベイセイトフ通りとクルマンガジー通りが交差する交差点付近で殺害された


    死亡に至った経緯
    過去の歴史に「もしも」はないが、もしも、以下の不幸な事実が何重にも
    重ならなければ、デニス選手は死なずに済んだはず。。

    ① もしも、ソチオリンピックで銅メダルを取っていなければ
    ② もしも、ナザルバエフ元大統領が高級車をプレゼントしていなければ
    ③ もしも、この場所まで車で行かなければ(自宅から現場までは徒歩で30分)
    ④ もしも、後10分早く、あるいは、遅くこのレストランを出ていれば
    ⑤ 例え、犯人に遭遇したとしても、後を追わなければ
    ⑥ もしも、友人が車まで見送りに来てくれていたならば
    ⑦ もしも、誰かが、すぐ隣のカフェテリア、あるいは、レストランから見ていれば
    ⑧ もしも、過去に同様な事件を起こした犯人がアスタナで保釈されなければ
    ⑨もしも、その犯人がアルマトイに来なければ
    ⑩もしも、その犯人が別の場所を刺していたならば
    ⑪もしも、通行人がもっと早く見つけていたならば
    ⑫もしも、この場所に来ていなければ

    アルマトイでは、誰も何も語ろうとはしていないため、事実は分からないが、
    どうも、デニス選手が朝鮮人である事が原因ではないかと言う説もある。 よって、
    もしも、デニス選手が朝鮮系のカザフ人でなければ、助かった可能性もあった
    のである。 現地で調査を行ったところ、朝鮮系だから、通行人に見殺しに
    されたとの意見もあった。

    デニス選手が埋葬された場所
    IMG_4606

    ネット上では、デニス選手が埋葬された場所に関して、全く公開されておらず、
    様々な情報が飛び交っているものの、正確な埋葬場所は、元ドゥルジバ村で、
    現在は、ドスティック小地区と改名されたヌルマガンベトフ通りにある墓地の
    片隅に埋葬されています。 デニス選手のすぐ隣には、彼の祖母と祖父も共に
    眠っており、そのすぐそばには、彼の家族のお墓もあります。 尚、アルマトイの
    墓地には、名前がないため、この場所を探すのは、非常に困難なため、現地を
    良く知るタクシーの運転手にこの場所まで連れて行って貰うしかありません。
    アルマトイ市内を走っている地下鉄終点駅のモスクワ駅からは約5キロ、歩くと
    約1時間の場所にこの墓地はあります。

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    デニス選手を小さい頃から知っているという墓守の方が彼のお墓付近に居ますが、
    彼の話に寄れば、デニス選手が死亡した際に、このお墓の道路もかなり修復された
    そうです。 その点でも、デニス選手は、死亡した後にも、社会貢献したのだと
    思いました。 お恵みを求められたため、数十円程度を渡してお墓の掃除を
    お願いしますと言って来ました。

    このピンが指している場所の左上の緑地が埋葬された墓地



    デニス選手が住んでいた場所
    殺害事件以降、彼の家族は、別の場所に引越し、元々住んでいた場所には、
    デニス・テン基金」が置かれました。 また、彼が住んでいたマンションには、
    メモリアル・ボードが設置され、今後、殺害現場には、彼を称える記念碑が
    設置される計画です。

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    ナザルバエフ大通り46番にあるメモリアル・ボード。 アルマトイ市の
    最も繁華街にあります。 尚、ナザルバエフ大通りは、半年前に改名された
    ばかりであるため、デニス選手が生きていた時は、フルマノフ通りと言う
    名前でした。

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    ナザルバエフ大通り46(ロシア語 Проспект Нурсултана Назарбаева


    デニス選手の死亡が確認された場所
    ベイセイトフ通りとクルマンガジー通りが交差する交差点付近で通行人に
    発見されたデニス選手は、約1時間後に、現場から約2キロ離れた病院に運ばれ
    ましたが、その時点で、既に臨床的な死を向かえており、中央市立病院にて
    午後5時30分に正式に死亡が確認されました。。

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    【追悼 デニス・テン選手】
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    モハーの断崖へはツアー参加がお勧め
    ダブリンからバスで3時間半程離れたアイルランド島の反対側にある
    ゴールウェー、更には、その先にある風光明媚な景勝地、モハーの断崖までの
    ツアーに参加しました。 当初は、自力でモハーの断崖まで行こうかと考えて
    いたものの、調べたところ、バスの本数が全体的に少なく、ツアーの方が効率
    良く回れるため、ツアーでこの地を訪れることにしましたが、西アイルランドの
    主な見所を概ね見て回れたため、非常に大満足の旅でした。

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    ゴールウェイ
    西アイルランド中心都市ゴールウェイの中心部は、まだまだクリスマスの
    飾り付けが残っていました。 軽いツアーガイドによる街の案内に続き、1時間の
    フリータイムとなります。 ゴールウェイ市自体は、人口7万人弱の小さな街で
    あるため、歩いて回ってちょうどの大きさの街でした。

    【ゴールウェイ中心部】
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    聖ニコラス・アングリカン教会は、アイルランドに現存する中世の最大の教会で、
    西アイルランドにおけるカトリック教会の中心的な存在。 ヨーロッパは、基本的に
    街中に必ず教会があり、そこから中心部が形成されているため、生活と宗教が密接に
    つながっていることが良く分かります。 質素なプロテスタントの教会とは異なり、
    カトリックの教会は、豪華絢爛な装飾があるため、一目で見分けることができます。

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    ゴールウェイからモハーの断崖へと移動中に、車窓から古城が幾つか見えました。
    アイルランドでは、主に英語を使用していますが、この付近では、伝統的に今でも
    ゲール語が話されているそうです。 尚、アイルランドの海岸沿いには、断崖絶壁が
    複数ありますが、それらの場所では、あの「スターウォーズ」の撮影が頻繁に
    行われていたそうです。

    モハーの断崖
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    ゴールウェイから更に45分程度南下した西アイルランド屈指の景勝地、
    モハーの断崖。 断崖沿いに柵がありますが、半分以上の人達が、柵の外側を
    歩いていたため、真似して外側を歩いて見ましたが、日本だったら、間違いなく
    自殺の名所になると思いましたw 日本では、この様な場所は、日本海側に多く
    ありますが、太平洋側には余りないと思います。

    【モハーの断崖】
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    モハーの断崖からダブリンに戻る途中で、アイリッシュパブのお店に立ち寄り、
    1時間ほどの小休止時間となりました。 アイルランドでは、「シードル」の事を
    何故か「サイダー」と言います。

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    大晦日のダブリンは、幾分せわしない雰囲気でしたが、街を彩るイルミネーションが
    綺麗なものの、その後の年越しの際には、花火が多少上がった程度で、物足りない
    感じがしました。

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