横浜通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    横浜通詞】横浜、大阪、仙台にある多言語翻訳会社
    多言語を専門とした翻訳会社を運営しています。 日本語⇔英語の他にも、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、中国語、韓国語他、世界80言語以上に対応しています。 お気軽にお問い合わせください。

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    中国でも有数の観光地、アモイのコロンス島へと渡ります。 人気の観光地
    だけあって、フェリーもかなり激混みします。 フェリーターミナルから
    コロンス島までは、2航路ありますが、何故か勝手に遠い方の桟橋にされて
    しまったことに気付いたのは、フェリーに乗り込む時でした。 チケットも全て
    中国語のみで書かれているため、『コロンス島に行きたい』ではなく、桟橋名を
    ハッキリ言うべきだったと後から後悔しました。 中国国内からあり得ない
    ぐらいの人数のツアー客がバンバンとやって来るため、次のフェリーの順番
    待ちで1時間程度掛かりました。

    フェリーターミナル内には、お土産屋が沢山あるため、その間、色々とお土産を
    見て回りましたが、やはり南国なんだなと感じさせるフルーツの盛り合わせや
    新鮮なカニ等がありました。 コロンス島は、洋風な歴史的な建物が多く、
    中途半端にハワイ等に行くよりも、アモイの方が治安も良く、物価も安いため、
    お勧めです。

    このフェリーターミナルに到着したのは、午後1時前後で、この時点でツアー客が
    大量に押し寄せており、館内はかなりごった返していました。 フェリーターミナル
    内は、人、人、人の波で、チケットを購入する際にも、乗船する際にも、必ず
    パスポートが必要です。 よって、パスポートを忘れると、船には乗れないため、
    要注意。 チケットにもしっかりとパスポート番号と名前が記載されています。

    コロンス島に渡る前は、手前側の三丘田埠頭へ渡るつもりだったものの、何故か、
    チケットはその三丘田埠頭ではなく、遠い方の埠頭にされてしまっていました。
    恐らく、余りにも混み過ぎていたため、早い便で取れたのが、遠い埠頭だった模様。
    尚、三丘田埠頭までは35元で行くことが出来るものの、遠い方の埠頭までは
    往復で50元掛かります。

    コロンス(鼓浪嶋)島は、租界地時代の名残りを残す街並みで、ヨーロッパと
    アジアの融合が美しく、確実に中国ではないどこかといった雰囲気がします。

    【アモイフェリーターミナル】
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    アモイフェリーターミナルから約20分程の船旅でコロンス島に到着します。 対岸は
    台湾であるため、同じフェリーターミナルからは台湾行きの国際便も出ています。
    海沿いには、建設中のビルが多く、この先、この付近の景色は劇的に変わるのだと
    思います。

    発展著しい経済特区のアモイは、福建省の中でも、省都の福州よりも発展している
    かも知れません。 スワトウは、広東省側にありますが、アモイは福建省にある
    唯一の経済特区であるため、アモイだけ他の経済特区とはかなり離れているものの、
    それでも、この経済発展のし方であるため、アモイは、観光地としても経済特区
    としても魅力があるのだと思います。 日本からは、成田と関空からアモイまで
    直行便が出ています。

    コロンス島は、南国の雰囲気満点の人気観光地であるため、道端でお土産や
    フルーツ等が売られています。 港に到着するや、ガイドが山ほど寄って来る
    ため、それを掻き分けて、進んで行くと、このような綺麗な海岸が多数あります。
    島内は車の使用が禁止されているため、車は一切走っていません。 自転車もなく、
    島内の移動は、徒歩か専用の電気自動車のみです。

    アモイフェリーターミナル】
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    ここからがコロンス島観光のハイライト。 コロンス島最高峰の日光岩へと
    登ります。 洋風の建物と海岸が美しいコロンス島は、さほど大きくはない
    島ですが、島内を色々と見て回るのには、1日は必要です。 観光でありながら、
    一本路地を入ると、島民の昔ながらの生活を垣間見ることが出来ます。

    この日光岩への入場料は60元(約1,140円)。 コロンス島に渡るフェリーの
    料金は50元だったので、それよりも高いということになりますが、ここまで
    来たからには、絶景を拝まない訳には行かないため、ある種、殿様商売。 細い
    階段を上がって行くと、絶景が眼前に開けます。

    日光岩は、コロンス島のほぼ中心部にある標高93m、直径40mの巨大な岩で、
    島全体とアモイの風景を楽しむことができる観光スポット。 日光岩への入口は
    非常に急な階段を登るため、歩きやすい靴で行った方が良いと思います。
    コロンス島に行く人は、ほぼ全員が行くスポットのようで、どこも非常に
    混雑しています。 階段は、上に行くほど狭くなっています。

    日光岩は、アモイ全体を見渡せるため、アモイの経済発展ぶりが手に取る
    ように分かります。 この日は非常に晴れていたため、絶景に遭遇出来ました。
    中国でも有数の人気スポットだけあり、今まで行った中国の景色の中では、
    一番かも知れません。 眼前には、洋風の館が建ち並び、アジアでありながら、
    アジアではない風景が広がっており、中国に居ることすら忘れてしまいます。

    コロンス島での滞在は、ものの2時間だけだったので、島内をざっと見た
    程度であったため、今度はアモイに一泊し、コロンス島を堪能したいと思います。
    アモイも市内が非常に広いため、移動だけでもかなりの時間が掛かります。

    コロンス島は観光地なので、表通りは綺麗に整備されていますが、一本路地を
    入ると、島民たちの日常の生活があります。 お土産を売ったり、ガイドを
    したりの他にも、漁をして魚を売っている人たちもいます。 細い裏路地を
    通って、アモイへと渡るフェリーターミナルへと向かいます。 島内は、路地が
    複雑に入り組んでいるため、方向が分からなくなります。

    島内は洋館が多いため、異国情緒が漂っていますが、一本路地を入ると、
    中国っぽくなります。 道教のお寺があったので、とりあえず、お参りを
    しました。

    【コロンス島】
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    フェリーターミナルから、大急ぎで、アモイ駅へ戻ったところ、本日の深圳への
    最終電車は既に行ってしまいましたと絶望的なことを言われたため、大急ぎで
    アモイ北駅へと向かいます。 ここで判明したのは、アモイ駅からアモイ北駅
    までは、渋滞知らずのBRTを使っても、ほぼ1時間も掛かるという事実。 福州から
    やって来るアモイ北駅経由の最終電車の1本前の発車時間の10分前には何とか
    アモイ北駅には到着出来たものの、中国高速鉄道は、発車10分前には、全ての
    手続きが出来なくなるため、最終的には、最終の深圳北駅に乗ることに。

    深圳北駅行きの最終電車までは、30分程度あったため、アモイ北駅でお土産を
    買ったりしましたが、深圳北駅に到着するまでの3時間45分の間、地下鉄の最終
    電車に間に合うかどうかが全く分からなくったため、気が気ではなかったものの、
    心配したところで、何も変わらないので、とりあえず、心配するのは止めましたw
    最終的に、10分弱も前に深圳北駅に到着したものの、地下鉄の最終には間に
    合いませんでした(涙)

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    中国経済特区への旅、アモイ(中国語名:廈門(シャーメン))編です。
    こちらも中国に5つある経済特区のひとつ。 深圳からアモイに行く途中に、
    もうひとつの経済特区であるスワトウも通るのですが、今回は、時間が
    なかったため、スワトウは通過しました。 アモイへの高速列車は、全て
    深圳北駅から出発します。

    深圳駅から深圳北駅までは、地下鉄で丸1時間掛かります。 香港から深圳駅
    までは、45分程度で到着出来ますが、深圳から深圳北駅までの方が遠い
    ということになり、中国では、発車時刻の10分前には全ての手続きが終わって
    しまうため、移動のためには、かなり時間の余裕を持って行動しなければ
    なりません。 尚、深圳北駅は、英語では『Shen Zhen bei』。

    アモイ駅とアモイ北駅も新交通システムBRTで約1時間ほど離れており、
    深圳北からアモイ駅までは、時速200キロの中国高速鉄道でも3時間45分
    掛かります。 料金は、深圳北→アモイが188元(約3,570円)、深圳北→
    アモイ北が180元(約3,420円)でした。

    【深圳北駅】
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    中国の国内移動には、身分証明書の提示が必須で、パスポートを常に持ち
    歩かなければなりません。 中国人の場合は、駅でタッチするだけで改札が
    通れる身分証明を皆所持しているのですが、外国人の場合は、パスポート
    以外提示出来る物がないため、特にどこかへ行く予定がなくとも、パスポートは
    持ち歩いた方が無難。 アモイのコロンス島に渡る際にも、パスポートは
    必須でした。

    この日は、アモイに行くことを見越して、深圳北駅のそばに宿を取ってあったため、
    地下鉄に乗って4駅目の深圳北駅で、まずは腹ごしらえ。 中国でも日本同様、
    車内販売の売り子が回って来ますが、やはり、食べ物は駅で購入した方が安い。
    中国は意外と物価が高いため、油断すると、結構お金が掛かります。 深圳は、
    香港と比較すると非常に物価が安いものの、東京と比較すると、ほぼ同程度の
    物価(物によっては深圳の方が高い)であるため、油断は禁物。 尚、深圳北→
    アモイまでは、概ね1時間に1~2本程度の高速鉄道『和調号』が走っています。

    【アモイ駅】
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    深圳北駅からの中国高速鉄道は、2、3年ぐらい前に開通したばかりで、深圳北
    からアモイまでの路線と、深圳北から福建省省都である福州南までを結ぶ路線の
    2系統があります。 深圳北からアモイまでは、3時間45分の長旅、距離にして
    約500キロ離れています。 アモイは、台湾の対岸、福建省にあり、福建省は
    世界中に散らばっている『華僑』の故郷とも呼ばれています。

    日本語にもなっている『茶』は、福建省の方言で、『お茶』の語源は大きく分けて、
    『テー』か『チャ』の2つの系統に分かれるものの、どちらも元々は中国語が語源。
    中国高速鉄道和調号は、全席指定ですが、誰も指定された席には座ってはおらず、
    それでも誰一人として文句を言わないのが、中国人のおおらかさ。

    中国では、一般的に一軒家は相当な田舎まで行かなければ存在せず、通常、一般
    市民は、高層アパートに住んでいます。 これは、香港、マカオ、ロシアも全て
    同じ。 現在、中国では、建設ラッシュの真っ最中であるため、至る所で高層
    アパートの建設が進められています。

    アモイ駅からは、数年前に新たに開業したばかりの新交通システムBRTに乗り込み、
    終点の海側まで行くことにしました。 アモイ駅自体も、1年ちょっと前に高速鉄道
    開通に向けて、大幅にリニューアルされたばかり。 アモイ駅からアモイ北駅
    までは、BRTで約60分、4元(約76円)です。

    【フェリーターミナル】
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    コロンス島へのフェリーは、余りにも観光客が多過ぎるため、昨年度から
    新フェリーターミナルの方へと移転しました。 通常、移転と聞くと、便利に
    なるものなのですが、中国の場合は、むしろ、不便になりました。
    旧フェリーターミナルは、BRT終点駅からギリギリ歩いて行ける距離に
    ありましたが、新フェリーターミナルは、そこから4キロ弱離れているため、
    51番のバス(1元=19円)に乗って行くことになります。

    BRTは、分かりやすく言うと、バス専用道路を走行する2連結のバスのことで、
    全て立体交差であるため、信号がなく、バス自体は2~3分おきぐらいにやって
    来るものの、車内が日本以上に激混みするため、ラッシュ時には、バスを数本
    待たないと乗れないことも多々ありますが、そこは中国なので、たくましく
    割り込んで行かなければ、いつまで経ってもバスに乗ることが出来ません。 

    アモイのバスは1元(約19円)で、約15分程度で新フェリーターミナルに到着
    します。 尚、アモイのバスは全て中国語のみの表示となり、英語での
    アナウンスも一切ありません。 終点で降りる場合は大丈夫ですが、途中の
    バス停で降りる場合は、運転手に一言降りる場所を告げておくと安心です。
    アモイのバスには、ちゃんと冷房も付いていました。

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    河井継之助は、越後長岡藩の家老であり、郡奉行の職に就いてから数々の
    藩政改革を行い、若くして重職に抜擢された。 戊辰戦争において、長岡藩を
    率いて新政府軍に徹底抗戦したことで知られる継之助ですが、本来目指して
    いたのは『武装中立』であった。 当時、日本に3門しかなかった最新鋭の
    ガトリング砲を2門購入し、戊辰戦争に投入した。 丸腰だけではどうにも
    ならないため、武装での中立を目指したのである。

    諸藩が新政府・旧幕府に分かれて争うなか、他力に頼らず、冒されず、己の力で
    生きて行くことを志向した継之助。 しかし、その先進的な考えは理解されず、
    開戦へと突き進み、戦いのなかで落命して行くこととなります。



    彼が目指したのは「庶民を豊かにすることで藩の財政を立て直す」という、
    現代の日本人が聞いても羨ましい立派なものでした。

    実際に、
    代官の収賄禁止
    100石以上の藩士の禄は減らし100石以下のものは増やす
    水が腐ったような土地の免税
    川の通船税取立て廃止
    などを敢行。

    そしてわずか1年で藩の余剰金9万9,000両を残すのです。



    戊辰戦争での継之助は、講和派で、会津をかばい、最後まで戦争を避けようと
    していた。 しかし、交渉は決裂し、長岡藩は奥州列藩同盟側として開戦を
    決意する。 継之助は、長岡城の攻防で指揮官として采配を振るい、落城し、
    敵に奪われた城を一度は奪還した。 だが、その時に膝に傷を受け、指揮を
    取れなくなった。 体制を立て直すため、長岡軍は会津若松へと敗走するのだが、
    彼は濃毒症を発症したと考えられ、只見に到着した時には、既に重体であった。

    先に会津へ落ち延びていた藩主が派遣した幕府の医師の治療も受けたものの、
    当時の技術では、銃創に対する適切な処置が出来ず、直接的な死因は、
    破傷風だったと言われている。 42歳だった。

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    長岡の陥落は7月29日。 川井継之助が只見に入ったのは8月5日。 逃れて
    来たのは兵士ばかりではなかった。 町を焼かれた庶民も只見に押し寄せた。
    8月1日から10日間ほどに、延べ1万5,000人の兵士や避難民が只見に滞在した。

    避難民は土砂降りの中、八十里越を越えて来た。 只見をはじめ、伊南川
    流域の村々に分宿し、60人ほどに班分けされ、徐々に会津若松に送り出されて
    行った。 主に只見川沿いのルートをたどったらしい。

    戊辰の当時、会津若松へ向かう兵士や避難民たちは、濁流渦巻く只見川を
    恐れながら旅をしたことであろう。 この時の豪雨は、もうひとつの悲劇を
    生んでいる。

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    2018年で150周年を迎える戊辰戦争では、鶴ヶ城こと若松城下での戦いが有名だ。
    戦火は会津藩領全域に及んでいた。

    ひときわ山深い奥会津は、一時占領されたものの、その地形を生かしてゲリラ戦を
    展開。 新政府軍を追い散らし、戦いは会津軍優勢となって行った。 若松城下で
    敗戦間近だった時、奥会津では負けていなかったのである。

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    奥会津は山深い。 只見川、伊南川の流域は、この2川とそこに注ぐおびただしい
    数の支流が山ひだを縦横に縫って、深い谷をつくっている。 そして、それらの
    川筋に町や集落が散在する。

    奥会津は福島県会津地方の南西部。 柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町、
    桧枝岐村、南会津町の7町村を指す。 この町村に、会津若松市の一部、会津美里町
    高田地区の大部分、下郷町、更に栃木県日光市の一部を加えた地域が、かつては
    天領だった。 南山御蔵入領という。

    天領は直轄地だが、南山は長い間、会津藩が幕府に代わって統治する預かり地と
    なっていた。 山間で農地が少ないため、米は余り採れなかったが、下野(栃木)と
    並ぶ麻の一大産地であり、交易の盛んな土地だった。 その豊かな山河が幕末、
    戦火に蹂躙された。 慶応4年(1868年)、会津戦争の時である。

    大政奉還の翌年の1月、鳥羽伏見の戦いで始まる戊辰戦争は、江戸、関東、
    上越へと拡大して行き、会津に及ぶ。 戊辰の会津戦争と言うと、若松城の
    落城や、白虎隊の悲劇が良く知られている。 しかし、この南山でも、熾烈な
    戦いが領内の至るところで繰り広げられた。

    それは、幹線道である下野街道、越後街道をはじめ、八十里超、沼田街道など、
    若松城下へ向かう道が何本も南山を通っていたからだ。 この交通の要衝、
    各街道の入り口を防御することが、会津藩の死活に関わったのである。

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    同年閏4月、会津と旧幕府方の連合舞台(東軍)が下野街道を南下し、宇都宮領内で
    新政府軍(西軍)と衝突。 西軍が南山に侵攻する。 更に7月29日に越後長岡城が
    落城すると、南山が騒がしくなる。

    戦況は当初、西軍優位で進んだ。 南山統治の本拠、田島陣屋を奪い、一時は
    奥会津をほぼ制圧する。 だが、その直後に東軍は巻き返しをはかり、西軍を
    追い立てた。 占拠された田島陣屋を奪還。 更に各所に兵力を展開し、優位を
    取り戻すのである。

    意外にも、この時の東軍の主力となったのは、屈強で知られる会津藩正規軍では
    ない。 領内から集められた農兵を中心とする臨時編成の部隊だった。 しかも、
    奥会津での戦いは、9月22日に若松城が落城し、会津藩が降伏した後も、数日間に
    渡って続いた。

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    日本訪問を終えたトランプ大統領。 今回の訪日で、安倍首相はイバンカ大統領
    補佐官が設立に携わった基金に5,000万ドル(約57億円)の支援、並びに、北朝鮮の
    脅威を未然に防ぐために、米国から更に武器を購入する約束をした。 これは、
    トランプ政権との結び付きをより強くする狙いがあると見られているが、財政が
    非常に厳しい中で、この財源はどこから確保するのか?

    トランプ氏の娘であるイバンカ氏が設立に関わった基金は、途上国の女性起業家を
    支援するためのもので、日本を含めて14カ国が既に計3・4億ドルを拠出する
    方針で、外務省は7月の時点で公表していたものの、トランプ氏の訪日に先立ち、
    安倍首相が再度アピールした形となっている。

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    この拠出金の財源は、国民の税金でまかなわれ、4年間掛けて支払われる。
    外務省は初年度分として、57億円のうち、14億円を2018年度一般会計予算に
    盛り込む考えだが、財務省は他の予算の削減が必要と話している。 武器の
    購入も税金となっており、購入する武器の具体例として、戦闘機のF35や
    イージス艦に搭載する改良型迎撃ミサイルが挙げられている。 F35は1機につき、
    147億円もする。 ミサイルは防衛省が2018年度予算の概算要求で関連取得費
    として657億円(ミサイルの数は非公表)を掲げている。 いずれも価格の高騰が
    問題になっている武器となっている。

    途上国の女性の社会進出をネタに、わざわざ日本まで集金をしにやって来た娘の
    イバンカ氏と高額な武器の押し売りをしにやって来た父親のトランプ大統領。
    安倍首相はトランプ氏との共同記者会見で『日米同盟の絆』を強調したが、
    アメリカの財政赤字が続く中で、アメリカの軍需産業を活性化するために日本の
    防衛予算が使われているため、そのしわ寄せが日本国民の生活を直撃する
    こととなる。

    ゴルフ、最高級鉄板焼きでの接待、最高級アメリカ兵器の大人買いと正に
    アメリカの言いなりの日本。 このままアメリカに協力をするということは、
    アメリカが世界各地で無理やり引き起こしている戦争の手助けをしている
    ことにもなる。

    安倍首相が推し進めている米国を巻き込んだ憲法改正は、野党第一党である
    民進党の分裂により、自民党にとって、より有利な状況となったと言える。
    日本にやって来たトランプ大統領は『日本は極めて重要な同盟国だ』と述べ、
    北朝鮮の恐怖を時折ちらつかせては、日本へ大量に武器を売込むことに成功した。

    アメリカの政策当局者は長年、親米派議員らに接触し、反安保に対抗出来る
    安全保障問題の論客として育成して来た結果、前原氏が民進党を解体し、同じく
    親米の小池、細野、長島各氏らが踏み絵をリベラル派に迫り、結果として、
    アメリカにとって最も都合のよい安倍政権の大勝となった。

    希望の党と民進党の野党2大政党の不審な動きは、アメリカが後ろで糸を引いて
    いたと考えれば、全て腑に落ちる。

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    ベトナムの歴史は、現代ベトナム人の祖先が少なくとも4000年前に住んでいた
    紅河デルタから始まる。 彼らはやがて耕作地を求めて南へと移動し、現在
    ベトナム中部とされている地域で、チャム族、クメール族と接触する。

    チャム族は現代カンボジア人と人種的に関係が深い種族であり、クメール族は
    メコンデルタを支配していた。 ベトナム人は結局、この2つの種族と紛争を
    引き起こし、18世紀半ばまでに敵対する種族を破って、現代ベトナムを
    形作くっている国土の全部を支配した。

    shutterstock

    【初期の諸王国】
    遺跡の発掘で分かったことだが、紅河デルタに最初の大きな中央集権の国が
    現れたのは紀元前800年ごろだった。 当時を『ドンソン文化期』と言う。
    人々はデルタの河川の治水のため、堀や運河を掘った。 また、らく田と
    呼ばれる稲作水田の灌漑に、南シナ海の潮の干満を利用した。 洪水や日照りから
    土地を守り、また、灌漑をすることによって、ドンソン文化期には必要な
    だけ収穫をあげていた。

    ドンソン人たちは、丸木舟など小舟を使って旅や交易をした。 インドシナ
    半島での交易を通じて冶金の知識を広げ、青銅器の制作を学んで工具、武器、
    鼓、器や装飾品を作った。

    紀元前250年前に、ベトナムの支配者、安陽王は、デルタ地帯のドンソン人たちと
    近隣の高地の人々を統合して、オウラク王国を打ち立てた。 その首都は、
    ハノイの32km北にあるコーロアだった。 王国の人々は大概、現地の土豪の
    所有地である稲作水田で働く農民だった。

    紀元前207年になると、中国の将軍、趙佗が紅河デルタを征服し、自ら王に
    なって独立国、南越を打ち立て、中国の承認を得た。 紀元前111年には、
    中国(前漢)の武帝の軍隊が南越を襲って滅ぼし、中国領にしてしまった。

    中後くの文化はベトナム社会を変えた。 例えば、中国の儒教哲学が、
    ベトナムにおける政治と日常生活の厳格な規範となった。 また、ベトナム人は
    中国の官吏や教育者が読み書きに使っていた漢字を採用した。

    中国のベトナム支配は1000年間続いた。 その間、ベトナムの知識階層は
    、中国の仏教信仰をはじめ、中国文化を受け入れて行った。 中国人はまた、
    ベトナム人に養蚕、貨幣の鋳造、磁器の生産を教えた。 ベトナムの海岸沿いに、
    対外貿易を推し進めるために港もいくつか建設した。 貿易が発展するにつれて、
    富と力を蓄えたベトナム人の一族も出て来た。

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    植民地の経済は成長を続けたが、大半のフィリピン人は恩恵を受けなかった。
    宣教師やスペイン当局者、それと少数の金持ちフィリピン人が土地の大半を
    所有し、商業を支配した。 フィリピン人の大半は小作農で、高い地代を
    払わされた。

    フィリピン人の不満は深まり、いくつかの反乱が起きた。 ルソン島の
    イロカノ族は、1807年、政府がワイン製造工場の支配を手にすると、反乱を
    起こした。 1841年には多くのフィリピン人が、スペインの圧政に抗して
    ルソン島で武装蜂起した。 アポロナリオ・デ・ラ・クルツの戦いに加わった。

    19世紀を通じて、多数のフィリピン人グループが、経済改革や政治的自由を
    求めて、スペインの指導者に圧力を掛けた。 だが、教育もなく、植民地行政に
    直接その声を反映出来る手立てがなかったため、その努力は、ほとんど実らな
    かった。

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    【ホセ・リサール】
    マニラおよびヨーロッパの大学で勉強したフィリピン人の小さなグループに、
    ホセ・リサールがいた。 1800年代の終わりまでに、フィリピン独立のための
    最も有名な指導者になった。 1891年、医者であり作家でもあったリサールは、
    フィリピン連盟をつくった。 組織は、大農園での強制労働のようなスペインの
    権力乱用を止めさせようとした。 連盟の目標は、自治国家をつくることに
    あった。

    リサールが組織の活動を始めると間もなく、スペイン当局はリサールを
    ミンダナオ島に追放した。 リサールはフィリピン人の抵抗の象徴になると、
    スペインは彼を処刑した。 リサールの指導を欠いて、フィリピン連盟も解散
    した。

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    フリードリッヒ1世とその息子の下、ドイツでは海岸沿いやライン川に面した内陸の
    地域で商工業が発達した。 そこで、地方の労働者たちは、都市に移住し、商人、
    貿易業者、職人として働くようになった。 やがてこれら商業の中心地は発展し、
    豊かになったので、ドイツの諸侯から独立して、自由都市として歩むようになる。

    1241年には、このようないくつかの自由都市の代表が集まって、ハンザ同盟を結成
    した。 ドイツの港町リューベックで設立されたこの同盟には、ブレーメン、
    ハンブルグ、ケルンも入っており、独自に海法および商法体系を発展させ、銀行を
    創設、立法府、法廷、公庫を設けた。 ハンザ同盟の交易基点網は、西はイギリス、
    東はロシアやスカンジナビア半島にまで及んだ。

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    ハンザ都市が栄える一方、諸侯や領主の支配する領地は地方に留まり、依然として
    農業中心であった。 商業がほとんどなく、財政を充実させることが出来ない
    これらの諸侯は、兵士を雇うために税金を課したり、河川や道路の通行税を徴収
    するのにやっきになった。

    1273年、ドイツの諸侯は、ハプスブルグ家のルドルフ1世を国王に選出した。
    ルドルフ1世は、ドイツ南東に位置するドナウ川沿いの公国であったオーストリアを
    侵略し、ハプスブルグ家の領地を広げた。 こうしてハプスブルグ家は、征服や
    政略結婚により、支配地を拡大して行った。

    14世紀には、ドイツ国王であると同時に、神聖ローマ皇帝でもあるカール4世が、
    古くからある伝統を成分化し、『金印勅書』と呼ばれる法律を布告した。 これに
    よって、7人の『選帝侯』に神聖ローマ帝国の選出権を与えることが定められ、
    また、『選帝侯』の領地は分割が不可能とされたため、これら諸侯は権力を増し、
    帝国の中で最も財力のある支配者となって行った。

    1438年にはハプスブルグ家のアルブレヒト2世が皇帝に選ばれ、その後、
    オーストリアや他の公国を支配下に置き、巨大な王朝となったハプスブルグ家が、
    5世紀にも渡り、皇帝位を継いで行くことになる。

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    マカオフェリーターミナルから深圳蛇口までは、概ね45分に1本の間隔で高速船が
    出ていますが、中国へ向かう高速船であれば、安いのかと思いきや、香港とほぼ
    同じ3,800円程度。 この1時間の船の旅を高いと見るのか、安いと見るのかは、
    人それぞれですが、来年度中には香港と珠海・マカオを結ぶ橋が完成するため、
    今後この海はバスで渡ることになりそうです。 珠江の河口とは言え、実際は
    海なので、天候が悪い際には、非常に揺れます。 しかも、高速船なので、
    その揺れ方たるや、ジェットコースター並み。 こうして、真っ暗な中、WiFiも
    繋がらない中国へと旅立って行ったのであった。

    マカオを出航したのが午後8時で、深圳蛇口に到着したのが午後9時ちょうど。
    その後、中国の入国手続きを済ませて、どこにあるのかすら分からないシャトル
    バスを探し、6分ほどバスに揺られて蛇口港駅に到着したのが午後9時半。 そこから
    地下鉄に揺られること1時間半、宿泊地に到着したのは、午後11時15分でした。
    尚、深圳の中国語発音は『シェンジェン』。

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    深圳は、想像以上に巨大な街で、一番西の端にある蛇口港駅から深圳北駅の更に
    北側にある宿泊地までは、地下鉄を乗り継いで、実に1時間半を要しました。
    深圳の地下鉄を端から端まで乗車すると、余裕で2時間以上は掛かるため、
    あらかじめどの辺りに目的地があるのか、知っておかないと、想像以上に時間が
    掛かります。

    深圳は、この30年間で爆発的に人口が増えたため、広東省の中では珍しく、
    北京語のみで話しています。 30年前はものの数万人程度の街が30年間で
    1,200万人の超巨大都市へと大変貌を遂げました。 但し、実際に住所を登録して
    いない人間が多数居るため、本当の人口は、更に多く、人口だけで見ると、
    東京をも完全に上回っています。 深圳は人口750万人の香港をも完全に圧倒して
    おり、物価もそこまで安くはないため、後5年以内には香港を完全に抜き去ると
    思います。

    写真で見ると完全に分かりますが、深圳の設備は全て新しく、街中が建設
    ラッシュの真っ只中であることが分かります。 地下鉄の路線数も、実は香港よりも
    遥かに多く、経済特区の中で最も成功しているのが、この深圳。 急激に発展を
    遂げた街は治安が悪いと言われるものの、深圳ではリュックサックを前に下げて
    いる人など全くおらず、人々が手に持っているスマホは、ほぼ全員がiPhoneで
    あることからも、非常に治安の良い街だということが分かります。

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    深圳地下鉄4号線龍華駅。 深圳での滞在地は、この駅のすぐそば。 この日の
    到着時刻は午後11時過ぎであったのにも関わらず、市場の一部は営業をして
    いました。 朝の6時から夜中の12時頃まで営業をしているため、中国の勤勉な
    国民性を垣間見ました。 中国での買い物では、店員とは言葉を全く交わさない
    ため、外国人にはむしろ好都合w この市場で2日連続でトマトを買いました。

    深圳での滞在地は外に全く何も看板が出ておらず、しかも、宿の中には管理人が
    居ないという、とてつもないシステムw 長期滞在している若い学生らしき人が
    親切に対応してくれました。 このことは、Booking.comにも記載があったため、
    特に驚きはしませんでしたが、我ながら、夜の11時過ぎに良くこの場所を見つけたな
    と思いました。 駅に到着した後に、にこの建物の前側にあるお店で道を聞いた
    のですが、英語は全く通じなかったものの、その時に書いてもらった地図が非常に
    分かりやすかったため、一発で見つかりました。 尚、宿賃は2泊で50元(950円)w

    何を隠そう、中国にも実は女性専用者があります。 中国の車両は日本の狭軌の
    狭い車両とは異なり、広軌のため、車内も新幹線並に広いものの、日本とは人口
    比率が全く異なるため、車内は激混みします。 但し、中国では高齢化が
    そこまでは進んで居ないため、電車の中に高齢者が少ないのが特徴。

    地下鉄や鉄道他の公共交通機関に乗る際には、必ず手荷物検査を受けなければ
    ならず、飲み物を持っていると、大概ここで引っ掛かります。 尚、深圳市の
    面積は、東京23区よりも広いため、地下鉄の路線もかなりの数に上ります。

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    ベトナムの人口(7,180万人)の約20%は、都市部に住んでいる。 大都市は
    ホーチミン市、次いでハノイ、ハイフォンとなっている。 この次に重要なのは、
    ダナン、フエ、ニャチャンで、このこの3都市は全て中部の海外沿いにある。

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    【ホーチミン】(旧サイゴン)
    サイゴンとその周辺のメコンデルタ地区には、400万人が住んでいる。 滅多に
    使われることがないこの街の正式名称『ホーチミン市』は、フランスから
    ベトナム独立を勝ち取った戦争の指導者である共産主義者を記念したもの。

    サイゴンは、6世紀にカンボジアのクメール族が築き、南進を続けていた
    ベトナム人が、サイゴン周辺に定住し始める17世紀まで、クメール帝国に属して
    いた。 次第に大きな港町になり、それがフランス人の目に留まって、19世紀に
    植民地にされてしまう。 フランス人は幅の広い大通りをつくり、住宅地には
    ヨーロッパ・スタイルの家屋を建て、今でもフランス風の様相を見せている。

    ベトナム戦争の間、アメリカ軍部隊、ジャーナリスト、一般外国人がサイゴン市内の
    ホテル、ナイトクラブ、喫茶店にあふれ、サイゴンの経済は戦時活動に密着して
    いた。 戦争が終わると、サイゴンの経済は低下し、多くの企業は潰れ、あるいは、
    政府に接収された。 だが最近は経済が回復して、ナイトクラブも再開し、新しい
    ホテルや事業所がたくさん建設されている。 道筋に並ぶ露店商人たちも景気が
    良くなっており、シクロ(三輪自動車のタクシー)が街中にあふれている。

    ベトナム南部の金融、商業の中心地であるサイゴンは、ゆっくりだが戦争の痛手から
    立ち直っている。 市内の工場では、食品を加工し、家具やカーペットを生産して
    いる。 家族経営の小企業が栄え、一時は売り物がなかった露店の食品市場は、
    果物や野菜で一杯になっている。

    【ハノイ】
    ベトナム第二の都市ハノイは、11区から成る大ハノイ(人口約300万人)で、
    そのうち4区が首都ハノイ(人口92.5万人)となっている。 北部の工業の
    中心地で、自転車、たばこ、農耕機械、木製品を生産している。 最近の経済
    改革で、ハノイに対する外国の投資を奨励し、多くの私企業が開業した。

    トンキン湾から紅河を72キロ遡った地点にあるハノイは、1010年に李王朝(最初の
    ベトナム人統治者一族)の王都となった。 19世紀にベトナム王国が首都をフエに
    移すまで、ハノイは文化と教育の中心だった。

    ハノイの繁華街の真ん中にホアン・キエム湖がある。 その周りの公園では、
    市民たちは祭りやバイクレース、ハトレースが開催されている。 湖の南側は、
    近代的な商業地区で、フランス植民地時代に建てられたホテルや大きなストアが
    並んでいる。 また、北側はハノイの旧市街地区で、古い寺や故ホーチミンの
    霊廟がある。

    【ハイフォン】
    ハノイから東へ100キロ余り、トンキン湾に面しているのが、ハノイの外港であり、
    ベトナム北部の最も重要な港であるハイフォン(人口150万人)で、ハイフォン港で
    陸上げされた荷は、鉄道でハノイに運ばれる。 港内では無数の小舟が荷船や
    タッグボート、貨物船ともみ合うようにして走っている。 大型船が入港、停泊
    出来るように、港湾の改良、拡大の計画が進められている。

    19世紀末にフランス人が開港したハイフォンは、第二次世界大戦中に日本軍に占領
    された。 ベトナム戦争中、北ベトナムが輸入する軍事物資の大半は、ハイフォン港
    で積み荷を降ろしていた。 その結果、港はアメリカ軍機の猛烈な爆撃の標的と
    なった。 戦争で受けた被害の修復工事が、まだ市内の各地で行われている。

    ハイフォンの主な産業は、造船、魚介類の缶詰、ガラス製品、純毛カーペットで
    ある。 リン酸塩で肥料を生産している工場もある。 近くにある水力発電所から、
    ハイフォン市内の工場に送る電気の変電所もある。 港湾都市の伝統から、海軍の
    学校が2校ある。

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    珠海(ジュハイ)は、中国に5つしかない経済特区のひとつで、香港国際空港からも
    直接珠海行きのフェリーが出ているものの、フェリーターミナルは、中心街からは
    5キロ程度離れており、逆に澳門に隣接した地域であるため、香港から澳門を
    経由して珠海へと入りました。

    珠海駅は、澳門との越境地帯に直結しており、ここから広州方面等への高速鉄道が
    走っています。 珠海は至る所で建設ラッシュの真っ只中で、建物ほぼ全てが新しい
    ものばかり。 香港と澳門を結ぶ橋が来年度中には完成するため、その橋が完成した
    暁には、更なる経済発展が見込まれます。

    珠江デルタ地帯の対岸にある同じ経済特区の深圳は人口1,200万人の巨大都市
    ですが、珠海は、160万人程度の小振りな地方都市。 深圳よりも珠海の方が
    若干物価は安いものの、日本の物価と比較すると余り大差がありません。

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    澳門との越境地帯に隣接する珠海駅付近が珠海の古くからの中心街になります。
    駅前にある大きな広場の地下には、巨大なショッピングモールがあり、建設されて
    からはさほど時間が経過していないため、非常に真新しい感じがしました。 かなり
    巨大なモールであるため、ここを一通り見て廻るだけでも半日は潰せます。

    中国国内には警察官が至る所に立っており、一瞬物々しい雰囲気なのかと思って
    しまいますが、逆に警官が多いため、街の中はすこぶる安全。 澳門から中国側に
    入ると、一気に英語が通じなくなりますが、中国人は英語が分からなくとも、
    一生懸命理解してくれようとするため、日本人もこの点は見習うべきです。 尚、
    広東省には、中国に5つある経済特区のうち、深圳、珠海、汕頭の3つがあり、残りの
    2つは福建所の厦門と海南省自体が経済特区となっています。 特別行政区の香港と
    澳門も広東省に隣接しています。

    珠海は街を歩いている人達の顔にも余裕があり、そこからも中国の経済に余裕が
    あることがうかがい知ることが出来ます。 南国のため、気候も温暖で、ヤシの木が
    あったりと、澳門からちょっと足を延ばすだけで一気に雰囲気が変わるため、
    観光には、それぞれ最低でも半日は欲しいところ。

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    地下の巨大ショッピングモールで本場のラーメンと餃子を注文しましたが、それぞれ
    25元(約475円)なので、物価は日本と殆んど同程度と考えて間違いなし。 澳門
    から珠海に入ると、物価が非常に安く感じるものの、珠海での物価を日本円に
    換算すると、東京とさほど物価は変わりません。 食べ物は、むしろ、中国よりも
    日本の方が安いと感じるぐらいです。 尚、中国のラーメンは湯麺と言って、
    日本のこってり系とは全く異なり、あっさりスープのため、うどんに近いと感じ。
    中国には、焼き餃子も殆んどなく、水餃子がメインです。

    中国の中でも特別な特権を与えられている珠海は、建物も新しく、若者が多いため、
    未来へのエネルギーに溢れていました。 日本では未だ嫌韓論や嫌中論を振り
    かざしている人間が多数存在しているものの、そのような人間は、このような中国の
    目覚しい経済発展のことなど露程も知らず、己の無知さ加減を周囲へ言いふらして
    いるのと同じ。 相手に対して失礼な態度を取る人間に対しては、相手からも同じ
    ことを返されるという基本的なことを知らないため、同族嫌悪と同じで、堂々巡りの
    繰り返し。 2時間しかなかった短い珠海の滞在はこれでおしまい。 珠海からは、
    澳門を経由して深圳へとフェリーで渡ります。

    中国での出国手続きを終え、越境地帯を越えて、澳門へと入るためには、それぞれ
    15分以上掛かるため、ほんの数百メートルの移動だけでも30分以上は余裕で掛かり
    ます。 同じ中国と言えども、政治体制が異なるため、まだまだ国境は撤廃出来ない
    模様。 尚、この国境を越えると、中国語(簡体字)&英語の珠海から、広東語
    (繁体字)&ポルトガル語の澳門となります。 喋っている言語も北京語→
    広東語へと切り替わります。 中国は、この多様性が面白いと思います。

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    珠海から直接深圳へと渡らなかったのは、澳門の無料シャトルバスで移動した方が
    無料だからで、国境の關閘から澳門フェリーターミナルへはシャトルバスは出て
    いないものの、澳門半島の南側の埋立地にあるホテルギャラクシーまでは、關閘から
    直接行くことが出来るため、一旦、30分掛けてホテルギャラクシーまで南下の後、
    再度シャトルバスを乗り換えて、20分掛けて北上し、澳門フェリーターミナルへと
    向かいました。 よって、澳門の移動は全て無料♪

    本当は、ザ ベネチアン マカオ リゾート ホテルに行きたかったのですが、何故か
    バスが全く来なかったため、その手前にあるホテルギャラクシーにしました。 尚、
    どちらも巨大カジノを併設しており、澳門のカジノ産業は、本場ラスベガスの約9倍
    となっています。 日本でもカジノを反対している人間がおりますが、依存性の
    高い賭博は、何もカジノばかりではなく、パチンコも同じような賭博であるため、
    カジノを反対するのであれば、パチンコやゲームセンターも反対すべきだと思い
    ますが、何も知らない人間には馬の耳に念仏。

    澳門のホテルは、観光客向けにそれぞれのホテルに独自の超豪華なアトラクションが
    あるため、ホテル巡りが澳門の名物のひとつ。 ホテル巡りだけでも丸1日は必要
    です。 今回は時間がなかったため、ホテルは見ずに、澳門フェリーターミナルへと
    戻り、深圳へと渡ります。 本当は澳門でもっと観光をしたかったものの、午後
    11時を過ぎると、中国の地下鉄は終了してしまうため、早めに深圳蛇口港へと渡る
    ことにしました。 香港⇔澳門間の高速船には、無料のWiFiが付いていましたが、
    中国の深圳へ渡る高速船には何も付いておらず、更に、中国内ではFacebook他の
    SNSには全く繋がらないため、澳門フェリーターミナルを最後に、世界からは
    隔離されてしまいました。

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    香港エクスプレスの特別セールで、往復航空券を購入すると、往路が10円になる
    というキャンペーンを開催していたため、9月初めに行って来たばかりの香港へ
    再度行くことに。 香港国際空港は、出国税やら空港建設費やら、諸々の諸税金で
    7,000円程度の税金を取られるため、復路の航空運賃は13,800円だったものの、
    往復合計の金額は、20,380円の格安料金♪

    計画当初は、香港で乗り継いでベトナムに行こうと思ったものの、香港空港の
    諸税が余りにも高かったため断念。 前回行こうと思いつつ、行けなかった
    珠海は絶対に行きたいと思ったため、香港には入国せずに、そのまま澳門
    (広東語ではオウムン)へと直接渡り、そのまま中国経済特区である珠海へと
    入国しました。

    澳門と珠海は、同じ中国ですが、政治体制が異なるため、返還後も国境と通貨が
    そのまま残されており、地球の歩き方には、『中国側の一般庶民には、澳門は
    越えるに越えられない壁』と書かれていたものの、国境自体が日本の通勤
    ラッシュ時並に激混みしており、皆軽々と国境を越えていた。

    澳門では入国カードの記入の手続きが今回から廃止されていたのだが、中国への
    入国には出入国カードの記入が必須となっており、国境によって、出国時の
    カードを渡されないことが多いため、出国時には、出国カードだけ新たに記入する
    必要性があります。

    【香港国際空港】
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    香港国際空港では、中国や澳門へ直接渡る場合、香港での入国手続きをせずに、
    そのまま大陸側へと渡ることが出来ます。 特に、香港出国時にこのトランジット
    制度を利用すると、20香港ドルが返還されるため、帰国時こそこの制度を是非とも
    利用したかったのだが、大陸側から渡って来るフェリーの料金は、いずれも片道で
    3,800円程度するため、結局、3,000円程度を返還されても、最終的には余り変わら
    ないどころか、逆に香港を全く観光出来なくなるため、最終日は深圳に午前中まで
    滞在していたものの、深圳の蛇口からフェリーで香港空港へ渡ろうと思えば出来た
    とろをあえて利用しませんでした。 次回は、是非とも帰国時にこのフェリーを
    使用したいと思いました。

    香港国際空港から澳門までは、高速フェリーで70分程度。 九龍から澳門は60分
    程度で行けるのに、更に近い香港空港からの方がより時間が掛かるのはおかしいと
    思っていたところ、途中でかなり減速して一旦停止してバックをしたりしていた
    ため、周辺の海域がかなり混んでいるのか?と思いました。

    現在、この珠江デルタでは、海を渡る橋の建設が進められており、来年度中には
    完成するため、その際には、このフェリーは廃止されてしまうのか? 船内には
    WiFi電波が複数飛んでおり、連続30分まで無料で利用することが出来ます。

    尚、香港から澳門に渡ると、同じ広東語でありながら、併記言語が英語から
    ポルトガル語のみに代ります。 澳門では英語の表記は殆んどなく、全て広東語と
    ポルトガル語の表記ばかりとなるものの、実際は、ポルトガル語は殆んど通じず、
    英語の方が通じます。

    香港国際空港はランタオ島にあるため、澳門側から見ると、九龍半島よりも
    手前側にあります。 この建設中の橋が完成すると、香港から澳門までは、車で
    30分程度で行けるようになるため、次回はバスでこの海を渡るのかと思うと、
    わくわくします♪

    完成途中の『海ほたる』らしきものが高速船からも見えました。 この部分から
    海底に入り、トンネルとなる模様。 澳門までは片道1時間で行けると言えど、
    片道で3,800円は安くはないため、香港だけ見て澳門には行かない観光客も多い
    ものの、香港と澳門は雰囲気が全く異なるため、澳門は是非とも訪れた方が良い
    場所です。

    香港は旧イギリス領、澳門は旧ポルトガル領なので、澳門は完全に南欧の雰囲気が
    漂っており、街全体が世界遺産にも登録されています。 全ての世界遺産は半径
    3キロ程度以内に固まっているため、頑張れば全ての世界遺産を全て歩いて廻る
    ことも可能です。

    【澳門フェリーターミナルから關閘】
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    澳門国際フェリーターミナルから、バスに乗り、中国国境へと向かいます。
    バスの料金は、香港ドルでも澳門パタカでも3.20。 澳門では100%香港ドルだけ
    でも支払いが出来るため、これまで1度も澳門パタカに換金をしたことがなかった
    ものの、バスに乗るため、1,000円だけ香港ドルに両替し、更にバスに乗りたい
    ので、10香港ドルを細かいので下さいと言ったところ、何故かそれだけ10パタカ
    渡されました。 どうせ香港で残りを使うので、その部分も香港ドルで欲し
    かったのだが、香港同様、おつりが一切出ないという適当なシステムのため、
    パタカ自体も適当になくなりました。

    澳門では何が何でも両替はしたくなかったため、当初、観光案内所で澳門の
    国境である關閘まで行けるホテルのシャトルバスがないかと2回も訊ねたところ、
    北方面へのシャトルバスは存在しないとのことだったため、諦めてバスに乗る
    ことにしたものの、後から知ったルートでは、一旦、澳門半島から南側にある
    ホテルギャラクシーを経由すれば、無料で国境まで行けることが判明したため、
    帰りはそのルートで帰りました。 次回からは、このルートを使います♪ 尚、
    澳門のホテル送迎バスは、無料で旅行者も利用することが出来、澳門の主な
    観光地を概ね網羅出来るため、利用価値大です。 間もなく、澳門ではモノレールが
    完成しますが、無料のシャトルバスを使った方が断然お得♪

    澳門と中国珠海との国境『關閘』は、ポルトガル語では『Portas de Cerco』と
    言います。 現在の越境施設の前にある黄色い門が1990年代までの越境のための
    手続きを行っていた場所で、現在では、記念碑的なものとしてそのままこの場所に
    残されています。

    澳門は中国への返還直前まで、中国語とポルトガル語以外での表記を禁止していた
    ため、英語での道路表記は全くありません。 かと言って、ポルトガル語は全く
    通じないという、矛盾をはらんでいるため、道路標識はポルトガル語で読み、
    その他の部分は英語で会話することとなります。

    北京語は問題なく通じるようで、澳門で最も便利な外国語は北京語ということに
    なります。 広東語と北京語は、聞いた感じからして全く違う言語であるため、
    北京語話者には広東語は全く通じません。 澳門フェリーターミナルから關閘
    までは、バスで20分程度。

    澳門と珠海の越境地帯は、ニュートラルゾーンのため、本当は写真撮影禁止w
    よって、澳門側でも見つかると画像を削除しろと言われます。 歩いて3分程度の
    越境地帯には、免税店が多数あります。 越境地帯は川のような幅の海です。
    実際、珠海側も、経済特区であるため、澳門との経済格差は縮まりつつあり、
    そう遠くないうちにこの越境地帯も撤去されると思います。 澳門も日本よりも
    物価が高いため、 安い商品を求めて、日夜澳門人たちがこの越境地帯を越えて
    行きます。 ここからが中国経済特区の本当の旅の始まり♪ 澳門は香港と並び、
    中国の特別行政区となっています。

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    カール大帝によって創始された王朝が途絶えた後、919年に、フランケンと
    サクソンの諸侯は、サクソンのハンリッヒ1世をドイツの国王に選出した。
    ハインリッヒ1世はドイツの5大諸侯に強力な同盟を結ばせ、その息子の
    オットー1世は王国を東西に拡大して行った。

    優れた戦略家であったオットー1世は、955年、遊牧民マジャール人の侵入を
    防ぎ、965年には、同じく領地の侵略に頭を痛めていた教皇の要請に応じて、
    イタリアに進軍した。 この功労に対し、オットー1世は神聖ローマ帝国の
    帝冠を受け、以後何世紀にも渡りドイツ王国は、同時に神聖ローマ皇帝を
    兼ねるようになる。

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    神聖ローマ帝国の皇位を継承して行ったのは、オットー1世の一族であったが、
    帝国自体は、大小様々な諸侯が各領地を支配していた。 これらの諸侯は
    独自の宮廷、法律、軍隊、そして国王を選出する権限を持っていた。 中央
    集権的な権力のないドイツ国王は、都市から都市へと渡り歩き、領地の小作料に
    よって宮廷の費用をまかなう他なかった。

    1100年代には、ドイツはフリードリヒ1世の下に、短期間とは言え統一される。
    バルバロッサのあだ名で有名なフリードリヒ1世(赤ひげ王)は強く、大胆な
    指導者で、1152年には国王、3年後には神聖ローマ皇帝になった。 軍事力と
    交渉によって、フリードリヒ1世の支配力は、現在のポーランドやハンガリー
    にまで拡大し、その後、野心家であった息子のハインリヒ6世が北イタリアも
    領地に組み込んだ。

    【お勧めの一冊】


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    2017年10月22日の衆議院議員選挙で、自民党が大幅に議席を増やしたが、日本の
    政治の問題点は、与党の自民党ばかりが一強となっているところで、他の与党に
    投票したくなうりょうな党がひとつもないところにある。

    自民党は、これまで長年日本の政治を担って来たが、自己責任による弱者排除と
    大手企業ばかりを優遇するアベノミクスにより、社会の格差の拡大ばかりが
    広がっているため、貧富の差が広がり続けた結果、日本は既に安心して暮らせる
    国ではなくなった。

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    現在、安倍内閣を支持しているのは、比較的豊かな生活をしている、いわゆる、
    『勝ち組』と呼ばれている人達で、己の資産を守るために、保守に走っているが、
    そのような目先の付け焼刃的な政策ばかりでは、将来に不安ばかりが残る。
    未来に不安を残した状態で、己だけのうのうと暮らせれば、それで良いと言うのか?

    自民党と経団連の癒着もかなり問題があり、経団連では、見るに見かねて、自民党に
    対する政治献金を公然と言い出す始末。 まともに税金を支払っていない企業に
    限って、自民党に大口に献金し、その資金がまたその企業に戻るという悪循環を
    生み出している。

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    元々、自民党が目指しているのは、アメリカ式の強欲資本主義で、まともな国では
    医療費や大学の費用が無料であるため、本来、日本もそれを目指すべきなのだが、
    アメリカ一辺倒の日本の政治家には、そのような世界の常識が全く理解出来て
    いない。 これは、留学先として、アメリカばかりが選ばれているためで、日本の
    学生は、アメリカではなく、ドイツ、フランス、スウェーデン等のまともな国から
    色々な事を学ぶべきである。

    本来、社会は弱者を守るべきであり、富裕層はそのために、それなりの税金を納める
    べきであるのだが、現在の日本では、その機能が全く働いてはおらず、日本は
    世界でも有数の自殺大国となっている。

    金銭的に豊かになったのであれば、それを社会に還元すべきところだが、それを
    誤魔化して大手を振っている人間が多過ぎるため、このような国に成り果てている
    のではないか?

    戦後、日本は物質的な豊かさは手に入れたが、心の豊かさまでは手に入れられ
    なかったようだ。 戦後同じような道を辿ったドイツとの差は開くばかりで、
    日本はアジアの中でも、中国や韓国にすら劣った国になりつつある。 それを
    誤魔化すために、日本各地では、極右化が進んでいるが、ウソやまやかしの情報を
    鵜呑みにしてばかりいないで、自分から積極的に色々な情報を得て行かなければ、
    悪徳政治家の思う壷。

    本来、民主主義とは、国民が主体となり国を動かし、政治家を監視し続けなければ
    ならないのだが、日本ではそのような考え方が全く浸透してはおらず、逆に、政治を
    軽視、あるいは、タブー視している人間が多過ぎるため、逆に政治家が国を支配
    している独裁国家とも言う事が出来る。 政治に対して無関心な人間は、無責任な
    人間が多い。

    【お勧めの一冊】


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    アモイは福建省の南東部、九龍江の河口に位置する港湾都市で、対岸は台湾。
    中心となるのは、東西13キロ、南北14キロのアモイ島。 『アモイ』とは、
    廈門を地元の言葉の閩南語(福建省南部で話されている言語)読みしたもので、
    国際的にも通用している。

    アモイには白サギが多く生息していたことから、鷺島、鷺門という名でも呼ばれた。
    そのため現在でも特産品や地名に『鷺』の字が使われているものが多い。

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    史料によれば、アモイは唐の天宝年間(8世紀半ば)に福安と漳省から陳氏が島に
    移住した時から始まったとされている。 宋代に行政に組み込まれ、明の洪武年間
    (14世紀後期)に城が築かれて『祖国大廈之門』(祖国の大きな家の門)と呼ばれた
    ため、『廈門』の名が付いた。 明末清初には、鄭成功がアモイや台湾を拠点に
    清への抵抗運動を続けた。

    また、アモイ港は水深が12メートル以上あり、かつ周囲の陸地や島が防波堤の
    役割を果たしている天然の良港のため、明の正徳年間(16世紀前期)以降は、
    中国有数の茶葉輸出港として繁栄した。 アヘン戦争の講和条約である南京条約
    (1842年)により開港され、コロンス島に洋館が建てられた。

    アモイは1980年に経済特区に指定され、1984年にコロンス島を含むアモイ全島が
    経済特区となった。 華僑資本を中心とした外資が多数進出し、日本企業も多い。

    繁華街は島南部の中山路と思明南路の中山路寄りの部分。 中山路は2階以上を
    歩道の上まで延ばす、華南地区特有の建築様式を持つ。

    アモイ最大の観光スポットは、古い洋館が建ち並ぶコロンス島で、風情ある
    街並みが美しく、国内でも有名な観光地となっている。

    【お勧めの一冊】


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