多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は2019年4月18日、2019年の
    「報道の自由度ランキング」を発表した。 調査対象の180カ国・地域のうち、
    日本は前年度に引き続き67位だった。 前年度と同じ結果となったが、2017年度、
    日本は72位まで後退している。

    日本は「メディアの多様性が尊重」されているものの、沖縄の米軍基地など
    「非愛国的な話題」を取材するジャーナリストがSNSで攻撃を受けていると
    指摘され、主要国7カ国(G7)中、最下位だった。 日本は民主党政権の2010年には
    11位だったが、その後、自民党政権に戻ってからは、一気に順位が後退した。

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    去年と同様、報道の自由度が最も高いとされたのは、前年度に引き続き、北欧の
    ノルウェーで、最下位はトゥルクメニスタンであった。 

    自由度が高い
    ↑薄い黄色
    ↑濃い黄色
    ↑オレンジ
    ↑赤
    ↑黒
    自由度が低い
    houdouranking2

    順位
    1位  ノルウェー
    2位  フィンランド
    3位  スウェーデン
    4位  オランダ
    5位  デンマーク
    6位  スイス
    7位  ニュージーランド
    8位  ジャマイカ
    9位  ベルギー
    10位  コスタリカ
    11位  エストニア
    12位  ポルトガル
    13位  ドイツ
    14位  アイスランド
    15位  アイルランド
    16位  オーストリア
    17位  ルクセンブルク
    18位  カナダ
    19位  ウルグアイ
    20位  スリナム
    21位  オーストラリア
    22位  サモア
    23位  ナミビア
    24位  ラトビア
    25位  カーボヴェルデ
    26位  リヒテンシュタイン
    27位  ガーナ
    28位  キプロス
    29位  スペイン
    30位  リトアニア
    31位  南アフリカ
    32位  フランス
    33位  イギリス
    34位  スロベニア
    35位  スロバキア
    36位  ブルキナファソ
    37位  アンドラ
    38位  パプアニューギニア
    39位  トリニダード・トバゴ
    40位  チェコ
    41位  韓国
    42位  台湾
    43位  イタリア
    44位  ボツワナ
    45位  トンガ
    46位  チリ
    47位  ルーマニア
    48位  アメリカ
    49位  セネガル
    50位  東カリブ諸国機構
    51位  ガイアナ
    52位  フィジー
    53位  ベリーズ
    54位  マダガスカル
    55位  ドミニカ共和国
    56位  コモロ
    57位  アルゼンチン
    58位  モーリシャス
    59位  ポーランド
    60位  ジョージア
    61位  アルメニア
    62位  ハイチ
    63位  ボスニア・ヘルツェゴビナ
    64位  クロアチア
    65位  ギリシャ
    66位  ニジェール
    67位  日本
    68位  マラウイ
    69位  セーシェル
    70位  モンゴル
    71位  コートジボワール
    72位  チュニジア
    73位  香港
    74位  北キプロス
    75位  コソボ
    76位  トーゴ
    77位  マルタ
    78位  レソト
    79位  パナマ
    80位  ブータン
    81位  エルサルバドル
    82位  アルバニア
    83位  キルギス
    84位  東ティモール
    85位  ペルー
    86位  シエラレオネ
    87位  ハンガリー
    88位  イスラエル
    89位  ギニアビサウ
    90位  セルビア
    91位  モルドバ
    92位  ガンビア
    93位  リベリア
    94位  モーリタニア
    95位  マケドニア
    96位  ベナン
    97位  エクアドル
    98位  モルディブ
    99位  パラグアイ
    100位  ケニア
    101位  レバノン
    102位  ウクライナ
    103位  モザンビーク
    104位  モンテネグロ
    105位  ブラジル
    106位  ネパール
    107位  ギニア
    108位  クウェート
    109位  アンゴラ
    110位  エチオピア
    111位  ブルガリア
    112位  マリ
    113位  ボリビア
    114位  ニカラグア
    115位  ガボン
    116位  グアテマラ
    117位  コンゴ共和国
    118位  タンザニア
    119位  ザンビア
    120位  ナイジェリア
    121位  アフガニスタン
    122位  チャド
    123位  マレーシア
    124位  インドネシア
    125位  ウガンダ
    126位  スリランカ
    127位  ジンバブエ
    128位  カタール
    129位  コロンビア
    130位  ヨルダン
    131位  カメルーン
    132位  オマーン
    133位  アラブ首長国連邦
    134位  フィリピン
    135位  モロッコ
    136位  タイ
    137位  パレスチナ
    138位  ミャンマー
    139位  南スーダン
    140位  インド
    141位  アルジェリア
    142位  パキスタン
    143位  カンボジア
    144位  メキシコ
    145位  中央アフリカ
    146位  ホンジュラス
    147位  エスワティニ
    148位  ベネズエラ
    149位  ロシア
    150位  バングラデシュ
    151位  シンガポール
    152位  ブルネイ
    153位  ベラルーシ
    154位  コンゴ(旧ザイール)
    155位  ルワンダ
    156位  イラク
    157位  トルコ
    158位  カザフスタン
    159位  ブルンジ
    160位  ウズベキスタン
    161位  タジキスタン
    162位  リビア
    163位  エジプト
    164位  ソマリア
    165位  赤道ギニア
    166位  アゼルバイジャン
    167位  バーレーン
    168位  イエメン
    169位  キューバ
    170位  イラン
    171位  ラオス
    172位  サウジアラビア
    173位  ジブチ
    174位  シリア
    175位  スーダン
    176位  ベトナム
    177位  中国
    178位  エリトリア
    179位  北朝鮮
    180位  トルクメニスタン

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    海南航空で北京からアルマアタへと向かいます。 北京ーアルマアタの
    フライト時間は、約5時間半で、3時間の時差があります。

    カザフスタンのアルマアタは、現在は遷都され、カザフ語のアルマトイへと
    改名されましたが、ロシア語では、今でもアルマアタと呼ばれています。
    アルマアタの意味は「りんごの父親」で、要約すると、「りんごの里」と言う
    意味になります。

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    【アルマアタ】
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    カザフスタン共和国は、旧ソ連邦加盟国で、独立国家共同体にも加盟しており、
    ロシアとは、最も友好的な同盟国として、様々な経済協力や関税協定を結んで
    います。 中央アジア諸国は、2018度から、タジキスタンとトゥルクメニスタンを
    除き、ビザが免除となりました。 独立国家共同体内でも、ベラルーシと
    並んで、最もロシア寄りの国であるため、カザフ人の人口の約60%強がロシア語
    ネイティブです。 ロシア語しか喋れない、ロシア語も喋れる、カザフ語でも
    喋れる、カザフ語しか喋れないの合計4パターンがおりますが、ロシア語理解率は
    100%であるため、カザフでは、ロシア語で話し掛けて何ら問題はありません。

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    尚、この日は、アルマアタ空港に到着したのが午後11時半過ぎで、そのまま宿の方に
    向かったところ、既に施設自体が閉まっていたため、急遽、Booking.comで他の
    施設を予約しました。 アルマアタ中心部にあるこのホステルは24時間営業で、
    1泊600円程度でした。 受付のおねえさんはロシア語ネイティブだったので、
    最後に、記念撮影をお願いしますと言われたため、とりあえず、写真に
    おさまりましたw

    【アルマアタ】
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    アルマアタでホステルに到着したのは午前0時30分過ぎであったものの、日本とは
    4時間の時差があるため、現地時間午前6時にはもう目が覚めました。 よって、
    早朝からデニス・テン選手の殺害現場へと向かいます。 元々、予約を入れていた
    ホステルの方が、その現場には近かったものの、到着時に既に夜中であったため、
    閉鎖されており、約1.5km離れた別の施設に泊まりました。 よって、その施設に
    泊まっていなければ、これらの景色は見れなかった事になります。

    ソ連からの独立後は、路上の表示も、カザフ語にみになった場所が多く、パッと見
    では、何を書いてあるのかが分かりません。。 ロシア語も併記してくれないと、
    ロシア語しか分からない人も多いため、困ると思います。。

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    トルキスタン
    中央アジアは、元々は1つの国であり、「トルキスタン」と呼ばれていました。
    その後、「西トルキスタン」は、ロシア帝国へと組み入れられ、現在の
    カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トゥルクメニ
    スタンとなり、一方の「東トルキスタン」は、中国の一部となり、
    新疆ウイグル自治区となりました。

    中国南方航空
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    今回は、フライトキャンセルをされる直前まで、往復共に、東トルキスタンの
    州都であるウルムチを経由する予定でした。 ウルムチには、26年前にも
    行こうとして、ロシア側のビザが下りず、結局行けなかったため、今回は、
    どうしてもウルムチに行きかったものの、ギリギリになって、往復とも
    フライトキャンセルにされてしまったため、仕方なく北京経由となりました。

    【セルギエフ・ポサード】
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    まずは、中国南方航空で成田から武漢へと飛びます。 そこから、北京経由で
    カザフスタンのアルマアタに抜けます。 成田から武漢までは、約3時間半の
    フライト。 途中1回の機内食が出てきました。 武漢国際機場は、新しい
    ターミナルで、成田空港よりも遥かに近代的。  武漢国際機場から車で5分
    程度のホテルに1泊し、翌日お昼の飛行機で北京へと移動します。

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    翌朝は、空港内にあるラーメン屋で軽く朝食を取った後、そのまま北京へと
    向かいました。 武漢から北京までは、約2時間半のフライト。 北京では、
    約4時間弱の乗り換え時間があっため、とりあえず、街に出る事にしました。
    と言っても、天安門広場に行って、帰って来るのがやっとであったため、かなり
    大急ぎでの北京観光となりました。

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    ロシアのクリスマスをロシア正教総本山で
    ロシアのクリスマスは、西洋とは異なり、旧暦の1月7日に祝うこととなって
    います。 わざわざその日を選んで、ロシア正教の総本山、セルギエフ・ポサード
    (旧名ザゴールスク)へとやって参りました。 セルギエフ・ポサードへ
    行くためには、モスクワの地下鉄の中でも最も美しいと言われている、
    コムソモーリスカヤ駅で乗り換えが必要となり、レニングラード駅のすぐ隣りに
    ある、シベリア鉄道の始発駅、ヤロスラブリ駅からは電車で1時間程の距離です。
    至聖三者聖セルギイ大修道院は、現在は、ユネスコの世界遺産にも指定されており、
    年間を通じて、訪れる参拝者が非常に多い場所です。

    コムソモーリスカヤ駅
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    ヤロスラブリ駅
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    ロシア正教総本山へは、ヤロスラブリ駅から
    ロシアのそれぞれのターミナル駅の名前は、フランスと同じで、終着都市が
    駅名となっているため、サンクト・ペテルブルグ(旧名レニングラード)へ行く
    場合は、レニングラード駅、ウラジオストックやシベリア方面へ行く場合は、
    このヤロスラブリ駅が始発駅となります。 因みに、サンクト・ペテルブルグは、
    都市名はソ連からの独立時に変更されましたが、州の名前は、今でも
    レニングラード州のままです。

    この日の気温はマイナス13度。 途中、車中からチラ見したところ、駅の名前が
    何と!「43キロ駅」w これは、ヤロスラブリ駅から起算して43キロという
    意味ですが、昔、この周辺には、目印となる物が何もなかったと言うことを
    意味しています。

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    東方正教会は、元々は、キリスト教が東西に分裂して以来、コンスタンチノープル
    (イスタンブール)が聖地でしたが、その後、イスラム教に押されて、この
    セルギエフ・ポサードがその聖地となりました。 東方正教は、カトリックや
    プロテスタントとも全く異なる宗派のため、日本ではなかなか見慣れないと思い
    ますが、イコンと丸い屋根が特徴の建物群は、いつまで見ていても飽きません。

    【セルギエフ・ポサード】
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    セルギエフ・ポサード
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    マトリョーシカのふるさと

    ロシア正教総本山のセルギエフ・ポサードは、ロシア土産の定番、マトリョーシカ
    発祥の地でもあります。 一説によると、とあるロシア人が箱根にやって来た際に、
    日本のこけしを真似て作り始めた物がマトリョーシカだとも言われております。
    日本には、「入れ子式」のこけしは存在しませんが、木で作られているのは同じ
    なのに、マトリョーシカが、こけしとは全く違うのは、ロシア人のアイデアを
    取り入れて改良された物であるため。

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    ロシア正教
    ロシア正教では、偶像を禁じているため、この様なイコン画が崇拝の対象となって
    います。 それぞれの絵には、それぞれの意味がありますが、イコンを購入する
    際には、自分の願いが叶う物や、自分の守護神のイコンを購入します。
    東方正教会がカトリックやプロテスタントとは大きく異なっている点は、
    この部分ですが、十字の切り方も左右逆です。 イースターでは、子孫繁栄を
    願って、このような「卵」が多く飾られますが、それをお土産にしたのが
    この卵。

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    モスクワの歩行者天国
    モスクワで唯一の歩行者天国、アルバート通り。 ここを訪れた時は、ロシアの
    クリスマスの時期であったため、様々なデコレーションが飾られていました。
    尚、現在モスクワには、現在、約700店舗の和食レストランがあると言われて
    いますが、そのうち、最も和食レストランが集中している場所が、このアルバート
    通りです。

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    アルバート通りから、モスクワの中心地である赤の広場までは、さほど遠く
    ないため、歩いて行く事にしました。 この日はマイナス13度でしたが、
    クリスマスのため、街が非常に華やいでいました。 ソ連の崩壊、経済危機、
    物不足を乗り越えたモスクワは、ソ連時代とは全く異なる街へと大変貌を
    遂げました。 社会体制を完全に覆してここまで経済発展を遂げたのは、
    世界でもモスクワだけでしょう。

    【アルバート通り】
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    赤の広場
    ここからがモスクワ観光のハイライト、赤の広場です。 赤の広場は、政治の
    中心地であるばかりではなく、商業の中心地でもあります。 クレムリン宮殿
    すぐ横にある「無名戦士の墓」には、永遠の炎と共にロシア語で「君の名は
    無名だが、君の志は永久に消えない」と記されています。

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    クリスマスの赤の広場は、至るところでイルミネーションが輝いていましたが、
    ソ連時代には、こんな風景を見れる様になるなど、夢にも思いませんでした。
    ソ連時代と比べると、建物は完全に同じままなのだが、社会主義から資本主義へと
    転換を図ったため、街の風景が一変しました。 社会主義時代は、イルミネーション
    などなかったため、夜になると真っ暗になっていた赤の広場も、時の流れと共に、
    今では、こんなに活気付いています。 尚、「赤の広場」の名前の由来は、
    スラブ語で「美しい」を表す形容詞が、ロシア語では「赤い」と意味するものへと
    変化したため、こうなりました。

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    赤の広場は、冬の間は、市民のためのスケートリンクになります。 荷物さえ
    なければ、このスケートリンクで滑りたかったものの、気温がマイナス13度で
    あったのにも関わらず、こんなにも大勢の人々でごった返していました。
    簡易遊園地も設置され、クリスマス気分を盛り上げていました。

    【赤の広場】
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    聖ワシリー大聖堂
    赤の広場にある聖ワシリー大聖堂(ポルコフルキー大聖堂)とその前にある像は、
    1612 年にポーランド軍に勝利したことを記念して、建てられたミーニンと
    ポジャーススキーの像。 王子であったポジャルスキーと肉屋のミーニンは、
    攻め入るポーランドとの戦いにおいて、ロシアの勝利に尽力しました。

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    世界遺産 シントラ
    シントラは、リスボンから電車で約40分の位置にある街全体が世界文化遺産に
    指定されている街で、それぞれ世界遺産に指定された宮殿、庭園、建造物等の
    見どころが沢山ある。 ムーア人が築いた城跡、ポルトガル王室の夏の離宮など、
    様々な年代の文化財が集積していることから観光地としても非常に人気がある。
    また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点にもなっています。

    出発はロシオ駅から
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    シントラは、歴史的な建物が多いため、この街を観光するためには、丸1日は
    必要だと思います。 ユーラシア大陸最西端のロカ岬に隠れた歴史的なスポットを
    見つけたので、次回は時間を作って、もっとゆっくりとシントラの街を観光しようと
    心に決めました。

    【シントラ】
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    ポルトガルの首都リスボンは、人口約55万人程度となっているが、周辺の都市圏を
    合わせると、300万人を越える大都市となり、ヨーロッパの中でも11番目の都市規模
    となっています。

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    ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ
    今回は、リスボンからポルトガル国鉄に乗ってユーラシア大陸最西端を目指します♪
    地球の歩き方には30分間隔程度で電車が出ているとの記載があったものの、
    何故か40分弱待たされることとなったため、とりあえず、ロシオ駅前にあった
    カトリック教会に入りました。 ヨーロッパの街の中心地には、必ず教会があり、
    人々が集う場所となっています。 この日は、教会内でミサが行われており、
    聖歌隊による歌が披露されていました。 カトリックは、どこもかしこも装飾が
    物凄く、宗教による力は偉大だと感じました。

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    ロシオ駅
    リスボン中心部にあるロシオ駅から、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行く
    電車が出ています。 まずは、シントラ駅までが電車で、その先がバスでの
    移動となりますが、このシントラが、かなり歴史的な建物が多く、もう一日
    このシントラを見たいと感じたものの、日程的に翌日にはモスクワに飛ば
    なければならなかったため、泣く泣く諦めました。 次回リスボンにやって
    来る際には、このシントラを重点的に周りたいと思います。 切符を買う
    窓口では、英語がそこそこ通じました。

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    シントラ駅
    シントラ駅は終点駅であるため、ここからロカ岬行きのバスが出ていますが、
    そのバス停が非常に分かり辛い。 駅からポルトガル語で「ロカ岬行きのバス停は
    どこにありますか?」と何度も質問をしているものの、なかなか見つからず、
    途中のお土産屋で気晴らしをした次第で御座いますw

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    ロカ岬
    シントラ駅からロカ岬までは、バスで1時間弱掛かるため、夕暮れに間に合わない
    かと思いましたが、ギリギリ間に合い、何とか奇跡の画像を撮りました。
    ちょうど完全に太陽が沈み、昼と夜の中間の感じが画像にもばっちりと収める
    ことが出来ました。 後30分程度早く来ていれば、もっと綺麗な写真が撮れたと
    思いますが、この日は、スペインの南部から長距離を移動して来たため、これ以上
    早めの時間にこの地に来る事は出来ませんでした。

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    【ロカ岬】
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    既に真っ暗になったロカ岬から最終便のバスに乗り、シントラへと戻ります。
    このロカ岬に来てみたいがために、ポルトガル語を習い始めたため、感慨ひとしお。
    我、ユーラシア大陸の最西端に立てり♪

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    ヨーロッパ南部は鉄道がない
    スペイン南部の中心都市セビリアからポルトガルの首都であるリスボンまでの間は、
    鉄道が全く通っていないため、現地の乗り合いタクシー(いわゆる白タクw)を
    5人でシェアして移動することとなった。 ヨーロッパでは、乗り合いタクシーが
    移動手段として合法化されており、乗り合いタクシー専用のスマホアプリも複数
    存在する。

    まずは、セビリア市内のマクドナルド前に集合
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    乗り合いタクシーは、この様な風景の場所を通り抜けた
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    テージョ川を渡ると、もうすぐリスボン到着
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    セビリアからリスボンまでの総移動距離は約450km、移動時間は5時間弱となって
    おり、車内は運転手のスペイン人、リスボン在住のスペイン人、韓国からの旅行客
    2名と私の合計5人であった。 日本では全面的に禁止されている白タクも、
    ヨーロッパでは、アプリで普通に誰も開業できるアルバイト的な仕事であるため、
    この様な交通の便が悪い場所では大活躍。 移動ルートは、Google Mapで確認した
    ところ、スペイン内陸部を通り、途中のポルトガル国境にあるBadajoz(バダホス)で
    休憩時間を取るという経路であった。

    【リスボン】
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    今回の旅は、ポルトガルのリスボンを基点としているため、リスボンに来るのは、
    これで3回目となるため、リスボンのゲストハウスに荷物をずっと預けており、
    移動が非常に楽であった♪

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    初めて海を渡ったサムライ
    慶長遣欧使節は、慶長18年(1613年)に仙台藩主の伊達政宗がフランシスコ会
    宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王
    フェリペ3世、および、ローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節であるが、
    元々、この使節団は、その2年前の1611年に三陸を大規模な津波を襲ったのを
    契機に、徳川家康の許可を得て、仙台藩が単独、かつ独自に派遣した使節団
    である。

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    M008451

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    当時の日本は、江戸幕府による鎖国令が敷かれており、津波による大災害を
    好機へと変え、ガレオン船を建造して、海外へとその活路を見出そうとした
    伊達政宗の日本野望とも言える壮大な計画である。 この時、伊達政宗は、
    「奥州王」の名において、イスパニア艦隊の日本への派遣をこの使節団に要請
    しており、当時世界最強であったイスパニア艦隊がその政宗の要請に応じて
    いれば、日本は根底から何もかもが変わっていた可能性がある。 一説に
    よれば、徳川幕府を倒すためにこの使節団を派遣したとも言われている。

    hasekura

    コレア・デル・リオ
    奥州遣欧使節は、現在の宮城県石巻市の月の浦を出航し、ヌエヴァ・イスパニア
    (メキシコ)を経由して、一路ローマを目指したが、その途中のスペイン南部に
    あるコレア・デル・リオという小さな街で長期滞在した。 この街で滞在をした
    理由は、ルイス・ソテロの出身地であるためと言われている。 この滞在には、
    諸説あるが、使節団は、最長で1年程度をこの街で過ごしたとも言われている。

    この街には、ハポン(Japón=日本)姓、もしくは、Xapón姓の人が数百人
    住んでおり、この使節団の中で日本に帰らず現地に留まり移住したキリスト
    教徒の仙台藩の藩士や使節の現地人水夫、その支援者の子孫であると言われ
    ている。

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    コレア・デル・リオ
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    政宗の野望費える
    1615年1月30日、使節団は首都マドリードにてイスパニア国王フェリペ3世に謁見を
    許された。 2月17日、支倉常長は、フェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の
    付属教会で洗礼を受けた。 8月22日、使節団はマドリードを出発した。 使節団は
    その後、10月25日にローマに到着し、10月29日、ローマにおいて栄誉あるローマ
    入市式を行った。 11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に
    謁見し、ローマ市民権証書が授与された。 但し、交渉は難航し、結局、政宗の
    嘆願が受け入れられることはなかった。

    この使節団は、出航直後にキリシタン禁令や宣教師追放令が出たことから、
    7年後に帰国するものの、洗礼を受けていた支倉常長を当主とする支倉家は
    御家断絶の憂き目に。 ルイス・ソテロもマニラから密入国しようとしたが
    捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)に長崎の大村で火刑により
    殉教した。

    岩倉使節団
    QUYAE-BIE

    その後、使節団のことは語られることなく、明治6(1873)年に岩倉具視率いる
    「岩倉使節団」がイタリアのヴェネツィアで常長の書状を発見したことで、慶長遣欧
    使節の偉業が明らかとなった。 これが切っ掛けで、当時逆賊扱いをされていた
    仙台の地に、日本で2番目の高等学校、仙台第二高等学校(現在の東北大学)が開設
    されることとなった。

    使節団が持ち帰った貴重な資料は国宝に指定されていたが、2013年6月にユネスコの
    「世界記憶遺産」に登録され、仙台市博物館に保管されている。



    東日本大震災
    コレア・デル・リオでの滞在は、たった1日のみであったが、東日本大震災が
    発生した際に、このコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れているという
    噂を聞き付け、スペイン語でコリア・デル・リオ市役所に問い合わせたところ、
    全くのデマであることが判明したため、結局、この地に住むことはなかったが、
    もし、本当にコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れていたならば、今頃は、
    日本などからは離れて、この地で生きていたと思う。 宿泊した宿のオーナーも
    ハポンと言う人であった。

    コリア・デル・リオ市は、日本人の末裔の街であるため、日本人観光客向けに日本語
    での案内もあるのだが、肝心の日本人が、その史実を全く知らないため、ここには、
    滅多に日本人が来ないとか。 コレア・デル・リオは、セビリアからバスで1時間
    程度の場所にあるため、昔のサムライの気概を感じるために、コリア・デル・リオを
    訪れて見るのも一興だと思う。

    >>遠い帆 ~日本で始めて海を渡ったサムライ~

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    アンダルシアの旅
    スペイン最南端のアルヘシーラスから路線バスでアンダルシア州の中心地、
    セビリアを目指します。 この地域は鉄道が全く通っていないため、移動手段は
    バス、または、乗り合いタクシーのみ。 当初、乗り合いタクシーに予約を
    入れたところ、断られてしまったため、仕方なくバスに乗りました。
    アルヘシーラス→セビリアまでは、5時間程度掛かりますが、途中、トイレすら
    ない場所で20分程度の休憩の後、更にセビリアを目指します。 バスの運転手は
    女性の方でしたが、ヨーロッパでは女性のバスの運転手は全く珍しくはないものの、
    日本では、女性のバスの運転手は、まだまだ少数派。

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    夜の8時近くにようやくセビリアへと到着。 セビリアは、スペイン南部
    アンダルシア州の州都、並びに、セビリア県の県都で、人口は約70万人程度しか
    いなものの、闘牛やフラメンコの本場であるため、観光地としても人気があります。
    通常の観光客は、アンダルシアに宿泊をする際には、このセビリアを選びますが、
    ここからバスで約1時間の場所にあるコレア・デル・リオを宿泊地にしたため、
    更にバスで移動します。

    【夜のセビリア】
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    バスの時間があるため、余りゆっくりとは出来なかったものの、街の中心部を
    ざっと観光の後、バスの運転手に確かめて、コリオ・デル・リオ方面のバスに
    乗ったつもりが、Google Mapを見ていると、全くの逆方向に行っていることが
    判明したため、20分ほどバスに乗ってから、途中で降りて、今度は、逆方向の
    バスに乗って、また同じ場所へと戻ることとなりました。。 スペイン人の言って
    いる内容は、相当適当なのと、英語がさほど通じないため、確かめたつもりが、
    適当に受け流されていたということは多々あります。。 よって、セビリアで
    1時間半以上も時間を無駄にしてしまいました。。

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    ジブラルタル
    スペイン最南端にあるアンヘシーラスからバスに乗り、イギリス領の
    ジブラルタルへと向かいます。 アンヘシーラス駅前にあるバスターミナルから
    ジブラルタルへは、直接行く事が出来ないため、ジブラルタルとの国境の
    手前までバスで行き、そこから5分ほど歩いて国境を越えます。

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    同じEUとは言え、イギリスはEUからの離脱を表明しているため、この国境は
    なくなるどころか、更に強化されるのでしょう。 スペイン政府は、
    このジブラルタルを返還するよう求めていますが、イギリスが全く
    応じないのだとか。

    ジブラルタルは、イギリス領であるため、使用通貨はポンドですが、実際は、
    ほぼスペイン領であるため、ユーロも普通に使うことが出来ます。

    【ジブラルタル】
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    ジブラルタルは、8世紀よりムーア人、レコンキスタ後はカスティーリャ王国、
    16世紀よりスペイン、18世紀よりイギリスの占領下にあるが、その領有権を巡り
    今もイギリスとスペインの間に争いがある。

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    ジブラルタル海峡を越えて
    船でアフリカ大陸側のセウタからヨーロッパ側のアンヘシーラスへと渡ります。
    どちらもスペイン領のため、国内移動の扱いとなるものの、出国手続きがあるため、
    パスポートの提示が必須です。 ジブラルタル海峡を渡る時間は1時間程度と
    短いため、対岸が完全に見えており、アフリカからヨーロッパへ渡ると言う
    感覚は余りありません。 船内では、甲板に出ることが出来ますが、意外と
    揺れるのと、波が荒いため、気を付けないとかなり濡れます。

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    【ジブラルタル海峡】
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    ジブラルタル
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    ハワイのダイヤモンドヘッドのような山がある場所がイギリス領のジブラルタル。
    ジブラルタルの住民は、主にスペイン語で話していますが、イギリス領のため、
    英語も非常に堪能です。 実際にスペイン語だけで話しているのであれば、
    別にスペイン領にしても良いと思いますが、そこは大英帝国のプライドが
    許さないのでしょう。

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    セウタは、アフリカ大陸北部にあるスペインの飛地領で、ジブラルタル海峡に
    近い地中海沿岸に位置している。

    モロッコから歩いて国境を越えてスペインへ
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    掘っ立て小屋風の出国手続き所
    (ここで手続きを忘れると、再度ここまで戻されます)
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    スペイン入国!
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    スペイン入国後はこのバスでセウタへ
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    サンフェリペ壕
    セウタにあるサンフェリペ壕は、15世紀にポルトガル人がジブラルタル海峡を
    通過する船を見張り、セウタを防衛するために築いた要塞で、ポルトガルが
    スペインに併合されて以来、セウタはスペイン領となっている。

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    サンフェリペ壕は、「壕」と言うよりも、非常に頑丈な造りであるため、「要塞」と
    言った方が分かりやすい。 ジブラルタル海峡にあるため、対岸のヨーロッパは
    すぐ目の前。 ヨーロッパはどこも戦争の歴史であるため、このような強固な施設が
    必要だった模様。

    【セウタの中心街】
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    セウタの地名は、7人兄弟(の城)(七つの丘のこと)を意味すセプテム・
    フラトレス(ラテン語: Septem Fratres) から派生したとされる。

    スペインの植民地の要塞は、スペインの後に世界帝国を築いた英国の拡大に
    対して築かれたものが多いのだが、セウタはその英国以外にも、地続きの
    アフリカの攻撃に対しても守りを固めねばならず、現在のセウタ中心部と大陸を
    隔てるよう、壕が掘られ、海の水が引かれています。

    アフリカ大陸から望むヨーロッパ(ジブラルタル海峡)
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    モロッコ国営バスの旅
    モロッコ国営バスで青の街シャウエンからテトゥアンへ。 この国営バスは、
    日本からでも予約が出来ますが、言語は全てフランス語のみ対応です。
    モロッコは、基本的に公共交通機関が時間通りには運行しておらず、遅く
    出発するのは我慢が出来ても、時折時間よりも前に出発してしまうこともあり、
    しかも、特に何もアナウンスは行わない、初めてモロッコを訪れると、非常に
    ビックリします。

    モロッコのバス
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    【非常に複雑なテトゥアンの旧市街メディナ】
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    【早朝のテトゥアンの旧市街(メディナ)】
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    メディナ観光の注意点
    テトゥアンに到着したのは、午後11時過ぎであったため、既に周囲は真っ暗。
    そのまま少しだけ旧市街メディアの観光をしたものの、やはり、暗いため、
    翌日に繰り越すことにしましが、翌朝の早朝6時からのメディナ観光でも、
    やはりまだまだ暗かった。。 さて、このテトゥアンのメディアは、非常に複雑で、
    入るのは簡単なものの、出るのが非常に困難。 Google Mapは一切役に立た
    ないため、全て、適当に歩き回るしかありません。。 しかも、周囲の景色が
    非常に似ており、その場所を1度通ったかすら思い出せないのと、袋小路が
    多いため、行き止まりが非常に多いため、抜け出るのは至難の技。。

    ようやく出口が見えました(涙)
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    複雑怪奇なメディナと挌闘するすること1時間、ようやく出口が見えてきました。
    モロッコには、特に道標などはなく、特に何も書いていないため、道に迷うと
    大変です。。 特に、早朝や夜中にメディナに入る場合は、誰も歩いては
    いないため、それ相応の覚悟が必要です。

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    タンジェから青の街シャウエンへ
    タンジェからシャウエンまでは、約3時間のバスの旅。 途中、このような
    雄大な景色が広がります。 テトゥアンで20分ほど休憩し、そのまま
    シャウエンへと向かいます。 尚、この日の宿泊地は、このテトゥアンですが、
    一旦シャウエンに行ってから、テトゥアンに戻る形になります。

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    約3時間のバスの旅を終えて、青の街シャウエンに到着。 但し、その青の街は、
    旧市街メディナの方なので、新市街のバスターミナル付近は特に何もありません。
    よって、ここから2キロ、徒歩20程度の距離にありますが、街中全て青を
    イメージして来たため、街の入り口が意外と白い建物ばかりで、若干ガッカリ
    しましたw メディナまでの通りには、市場や個人商店が軒を連ねていました。

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    さて、ここからが、シャウエンのハイライト、旧市街のメディナです。
    何故このような青ばかりを使うようになったのはか、定かではないものの、
    ある一定の法則に則り計画的に造られたものは、綺麗であるという結論に達し
    ました。 青にも色々な青がありますが、濃い青から淡い青まで、ありとあらゆる
    青が存在しています。 但し、よくよく見ると、街自体は結構汚いため、
    青だけをお楽しみ下さいw

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    シャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に
    入ったところに位置する。 1471年にムーレイ アリ ベン ムーサ ベン ラチェッド
    エル Alamiが、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として
    設立した。 この地域のGhomara部族と共に、多くのモリスコとユダヤ人が、
    スペインによるレコンキスタの後、ここに定住した。 建物が青く塗られたのは、
    ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もあるが、
    単なる虫除けとの説もある。

    【旧市街の終点付近】
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    【ハマム広場】
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    【シェフ・シャウエン旧市街】

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    イスラム圏は基本的に、銀製品のお土産が多く、ランプや陶器が多いのが特徴。
    お土産は買わなくとも、見ているだけでも楽しくなります。 シャウエンは、
    非常に辺鄙な場所にあるため、大概の人たちは、この街に宿泊をしますが、
    時間がないため、ここには泊まらずに、バスで1時間半行った、テトゥアンに
    泊まりましたが、そちらの旧市街の方が実は凄かった。

    シェフ・シャウエン旧市街
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    青の街、シャウエンを後にして、テトゥアンへと戻ります。 実は、この
    テトゥアンに行くまでは、旧市街のメディナのことを侮っており、複雑に
    入り組んだ迷路のような旧市外では、google mapは、一切役には立たないので、
    要注意。

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