多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
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    Institut für Forschung und Entwicklung von Sportgeräten (FES研究所)

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    対応競技:
    陸上競技、自転車競技、カヌー、ボート競技、トライアスロン、セーリング、
    アーチェリー、水泳、そり競技(スケルトン、ボブスレー)、スピードスケート、
    スキー、障害者スポーツ(セーリング)

    東ベルリンに本拠地を置くスポーツ器具を専門的に開発するためのFES研究所は、
    旧東独のナショナル委員会によって設立された「ドイツ体育スポーツ学院」
    研究センター内のスポーツ器具開発部門として1963年3月1日に設立された。

    その研究設立目的は、当時の産業界では、このようなスポーツ器具を生産する事が
    出来なかったためで、国際レベルでのトレーニングや競技用スポーツ器具を東独
    選手のためにカスタマイズ、開発することであった。 その後、スポーツ器具の
    開発と生産ばかりではなく、人材と素材が連携する事により、抜本的な見直しが
    必要である事が認識された。

    1963年から1965年に掛けて、ボート、カヌー、セーリングの開発事業が始まり、 
    1965年3月1日、ベルリンのシェーネヴァイデにスポーツ器具研究開発拠点が
    創設された。 FES研究所が開発したスポーツ器具が最初に国際的な評価を受けた
    のは、木材密度ポリマーを代用する事により、ボート、カヌー、ヨット競技に
    軽量素材技術を導入した事であった。

    1968年から1970年に掛けて、FES研究所では1人乗りと2人乗りのソリの開発が
    始まった。 1972年の札幌大会では、FES研究所が独自に開発した競技用具が
    初登場し、この時に旧東独で最初のソリ競技の代表チームが立ち上げられた。
    ほぼ同時期には、スポーツ競技器具開発に加えて、第2の柱である、コンピュータを
    用いた測定技術部門が立ち上げられた。 測定と情報技術の進歩により、ボートに
    初めて計測機器が取り付けられた。 セーリング競技では、オリンピックの
    フィン級、フライングダッチマン級、後に、470級でも開発が開始された。
    測定技術におけるもう一つの目玉は、セーリング競技における徹底した再測定
    であった。

    1970年代、FES研究所は、テニス、クロスカントリースキー、陸上競技などの
    スポーツにおける様々なテストを行い、柔道マットの製造においては、最先端の
    合成ゴムを使用した。

    また、1970年にFES研究所は、現在ケムニッツ市にある旧産業コンビナートである
    「Textimaforschung Malimo 有限会社」と協力して、1984年から自転車競技の開発
    事業を開始した。 まず、繊維強化プラスチックの使用量を増やしたディスク
    ホイールの研究開発が行われ、1987年からは独立事業として、炭素繊維を
    使用した強化フレームの開発に取り組んだ。 1988年のソウルオリンピックに
    おいて、ドイツ自転車競技チームは、FES研究所が独自に開発した器具を用いて
    100kmのロードレースにおいて金メダルを獲得した。

    1988年の最大時には、センター内に合計で5施設が設置され、約180名の
    スタッフが雇用されたが、ドイツ統一後の1992年5月、現在のDOSB、連邦内務省、
    スポーツ連盟の後援により、FES研究所内の全面的な組織再編が行われた。
    現在、FES研究所内には50名のスタッフが働いており、そのうち25名が
    エンジニアと技術職員、20名が研究職員、5名が社内外の管理業務を行っている。

    1992年、ボブスレーにおける開発は、2人乗りボブスレーから開始され、続いて
    4人乗りボブスレーの開発が始まった。 1996年からは、アチェリーのト
    レーニング時に使用するカーボン繊維強化プラスチックを用いたシャフトの開発、
    1997年からは、スピードスケート用の技術器具もFES研究所が扱うようになった。
    2001年からは、スケルトン用の競技機器とソリの開発も行なっている。

    ドイツ統一後、FES研究所は、ライプツィッヒのIAT研究所と共に、予算制度が
    継続され、連邦政府によって資金提供されている。 法的には、FES研究所は、
    ライプツィヒの応用トレーニング科学調査研究所と共に、DOSBを代理して、
    直接予算提供を受けている。  スポンサー団体には、24の競技連盟、6連邦州の
    スポーツ連盟、ケルン・トレーニングアカデミー、DOSBが含まれている。

    FES研究所が最も成功した競技は、ボブスレーとそり競技であり、その多くは、
    現在も開発中である。 2014年ソチ冬季オリンピックの際、ドイツのボブスレー
    チームは競争力がなかったため、FES研究所は批判された。 その後、2018年の
    ピョンチャンオリンピック大会に向けて、ナショナルチーム監督であるレナ・
    スパイズ氏が、男子チームの競争力向上のため、FES研究所と共に新しい
    ボブスレーの開発を押し進めた。 2018年の冬季オリンピックでは、FES研究所が
    開発した器具を用いたドイツチームは、金メダル3つと銀メダル1つを獲得した。

    【ボブスレー 国別メダル獲得数】

    順位

    国・地域

    1

    ドイツ

    3

    1

    0

    4

    2

    カナダ

    1

    0

    1

    2

    3

    韓国

    0

    1

    0

    1

    アメリカ合衆国    

    0

    1

    0

    1

     

    合計

    4

    3

    2

    9

     
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    ドイツ応用トレーニング科学研究所(IAT)は、1992年にライプツィヒで
    設立され、ドイツのエリートスポーツとジュニアスポーツのための中心的な
    研究所となっており、19の夏季競技と6つの冬季競技に対応した専属コーチが
    常駐し、約1,000人の選手をサポートしており、21の協力団体と長期的な
    協定を結んでいる。

    スポンサー団体には、24のトップ連盟、6連邦州のスポーツ連盟、ケルン
    トレーニングアカデミー、DOSBが含まれており、オリンピック・
    トレーニングセンター、連邦スポーツ科学研究所、各種大学のスポーツ
    科学機関と協力関係を結んでいる。

    研究所内では、社会科学、スポーツ医学、エンジニア、物理学、コンピュータ
    科学と連携しており、科学的なトレーニングが行われている。 合計で
    120名のスタッフのうち、約3分の2が専門教育を受けている。

    ghjvdcet

    ドイツ応用トレーニング科学研究所は、以下の部門により構成されている:

    3つの科学トレーニング部門

    【耐久競技】
    カヌー、ランニング/ウォーキング、自転車競技、ボート競技、水泳、
    トライアスロン、バイアロン、スピードスケート、クロスカントリースキー


    【パワー技術競技】
    体操、ウェイトリフティング、陸上競技、飛び込み、フィギュアスケート、
    スケルトン、スキージャンプ、ノルディック複合

    【技術競技】
    バドミントン、ハンドボール、ホッケー、バレーボール、ボクシング、柔道、
    レスリング

    【その他】
    スポーツ医科学(外来診療所、臨床科学検査室、人体測定、スポーツ心理、
    整形外科、パフォーマンス診断)
    科学センター(スポーツ情報学、情報技術、生体力学、強化測定所)
    付属設備(科学トレーニング情報、文章データベース、国別調査データ、
    学術図書館)

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    ウズベキスタンの移動手段は、タクシーが早くて便利
    ウズベキスタンの観光シーズンは、事前に鉄道のチケットを予約をしておかいないと
    座席がなかなか取れないため、タシケントからタクシーをかっ飛ばして、約600キロ
    離れたブハラまで移動し、3時間ほど観光をした後、更にタクシーで約300キロ
    離れたサマルカンドへと移動しました。 よって、この日1日のタクシーによる
    総移動距離は、900キロを越えました。

    タシケント南駅
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    【ブハラ】
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    シルクロードの交易地 ブハラ
    ブハラは、シルクロードの交易地として繁栄を極めた悠久の都であり、
    旧市街には、今でもそのたたずまいがそのままの状態で残っています。
    完全にイスラムの世界であるため、1日に数回程、お祈りのために全ての
    業務が止まります。

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    カラーン・ミナレット
    ブハラ観光のハイライト、カラーン・ミナレット。 1127年に建てられた
    カラーン・ミナレットの高さは48mもあり、当時のイスラム建築技術の粋を
    集めて建造されました。  このカラーン・ミナレットは、地球の歩き方の
    表紙にもなっているほど有名な観光地であり、「ミナレット」は「塔」という
    意味。 かつては塔の上に明かりが灯され、砂漠を渡る隊商の道標になって
    いたと伝えられている。 また、戦争の際には敵を発見するための見張り台
    としても使われていた。 カラーン・ミナレットは戦争や地震によって何度か
    破損されたが、その都度修復作業が行われた。 19世紀後半までは罪人を生きた
    まま袋に入れて塔の上から投げ落とす刑が行われていたため、「死の塔」の
    別名でも知られるようになった。

    【カラーン・ミナレット】
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    タクシーでの移動
    たった3時間のブハラ観光を終え、ここから更に300キロ離れたサマルカンドを
    目指します。 サマルカンドはブハラからは、乗り合いタクシーで約3時間、
    交渉の結果30ユーロで、バスターミナルが最後のブハラの地となりました。
    ウズベキスタンの白タク運転手は、横の連携が凄いらしく、乗り込んだ車1台で
    サマルカンドまで行くのかと思いきや、途中で2回他のタクシーに乗り換え
    されられました。 その度に、目の前でお金の受け渡しが行われるため、
    人身売買かと思いましたw  最終的に、サマルカンドへ到着したのは、
    午後10時半過ぎであったが、到着時、サマルカンドでは、一部地域で停電が
    発生していたため、ホテルに到着してからは、電気が使えず、そのまま
    就寝しました。。

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    翌朝、テレビを付けたところ、ウズベキスタンでは、何故か熊本と沖縄の
    特集を放送していた。 旧ソ連邦諸国では、日本語の教育が盛んで、
    ウズベキスタンでも小学校から日本語を選択することが出来る程の親日国。
    この日は、サマルカンドの中心部にあるレギスタン広場では、イベントが
    開催されており、色々なアーティストがステージで演奏を行っていました。

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    首都ドゥシャンベ
    地球の歩き方にドゥシャンベは、「歩いて回れるコンパクトな街」との
    記載があったため、街を歩いて見ることにした。 ドシャンベのメイン
    ストリートは、個人商店が中心であるため、それなりに活気がある。
    タジキスタンの首都と言っても、人口は68万人程度しかないため、
    歩いて街を全て見て回ることが出来る。

    ドゥシャンベ駅
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    【ドゥシャンベ】
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    タジキスタンでは、持参したWiFiルーターの対応国だったのだが、電波が全く
    入らず、しかも、SNSは全てブロックされているため、日本であらかじめ
    インストールしていたVPNを初めて使うこととなった。

    ドゥシャンベは、実はスーツを着た人が多いため、非常にビジネスチックな
    街であった。 海外からのビジネス客も、中国人ばかりで、日本人は1人たり
    とも見掛けなかった。 緑の多いドゥシャンベの街並みは、この場所で
    内戦があったことなど一切感じさせない程穏やかであった。

    ソ連の面影
    旧ソ連内では、自動販売機「ガゾィローフカ」が当たり前の様にあったのだが、
    この自販機は、コップを洗って使い回すというスタイルであるため、通常は、
    マイコップを持ち歩いて使うのだが、ロシアでは、既に完全に姿を消した
    この自販機がタジキスタンでは、まだ現役である事自体、驚きであった。
    タジキスタンでは、この他にも、アイスクリームの「スタカンチク」も普通に
    販売している。

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    ドゥシャンベの街は、想像していたよりも暗い感じはなく、かなり開放的。
    但し、中央アジアは、どこも独裁色が強く、タジキスタンでも、至るところに
    大統領の肖像画が飾られてた。 中心街は、重厚なソ連式の建物が連なって
    いるため、旧ソ連邦内で最もソ連を感じさせる国かも知れない。

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    エアー・アスタナ
    カザフスタンのエアー・アスタナでアルマトイからタジキスタンの首都、
    ドゥシャンベへと飛びました。 アルマトイからドゥシャンベまでは、
    1時間半のフライト時間。 機内では、ピロシキとチョコレートの簡単な
    食事が1度だけ提供されましたが、賞味1時間半のフライト時間の場合、
    水平飛行の時間が30分程度しかないため、かなりあっという間の
    フライトでした。 エアー・アスタナは、今回初めて乗りましたが、
    最新の機材を使用しているため、なかなかの乗り心地でした。

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    エアー・アスタナの機内にはモニターがないため、機内のキャビンクルーに
    確認したところ、何と!WiFiとスマホを使って、映画を見れるのだとか。
    試しにWiFiに接続をして見たがネットに繋がらないw 機内には色々な
    映画があったのだが、WiFiに接続が出来なかったため、ドゥシャンベ到着
    まで、ぼ~っと過ごしました。 アルマトイを飛び立つ前に、タジキスタンの
    ビザについて質問されましたが、ネットに繋がらないため、ビザを見せ
    られないと空港係員には伝えたものの、その後、問題が発覚しました。

    【ドゥシャンベ】
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    ドゥシャンベ空港でのビザ申請手続き
    「ドゥシャンベ」とは、タジク語で、「月曜日」と言う意味で、毎週月曜日に
    市が立っていたため、この様な名前になりました。 中央アジアの中では、
    トゥルクメニスタンと並んで、ビザが必要な国であるため、事前にeビザを
    申請して置いたものの、何かの手違いで、空港到着後、ビザが許可されて
    いない事が判明しました。

    【ドゥシャンベ】
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    ドゥシャンベ空港では、ビザの発給手続きがあるため、延々と待たされることと
    なりましたが、そもそも、領事が窓口に居ない。 何をしているのかと窓の中を
    覗き込んで見ると、どうやら、お祈りをしているらしい。 そんなこんなで、
    30分以上も入国に時間が掛かってしまったものの、日本で事前に申請をして
    置いた筈のビザは、その後、ビザのカテゴリー選択間違いのため、発給され
    なかった事が判明。 但し、タジキスタンのビザは、実は空港でも取得出来る
    ため、その場で50米ドルを支払って新しいビザを発給して貰いました。

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    翌日、メールにて、タジキスタン大使館に、古い方のビザは、キャンセルで
    お願いしますとロシア語と念のため英語で再度メールしたものの、結局のところ、
    こちらのビザがキャンセルになったのかどうかは、未だに分からないまま。
    空港内は撮影禁止だそうで、係員から注意を受けました。

    ドゥシャンベの生活は、思っていたよりも酷くない様子で、スーツ姿で歩いて
    いるため、非常にラフな格好で街中を歩いていたのは、私だけでしたw
    タジク人は、イラン系の人種であるため、カザフ人とは異なり、見た目で既に
    外人だとバレているものの、タジク人は全員ロシア語が話せるため、
    コミュニケーション上で特に問題はありませんでした。

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    カザフスタンの首都は?
    カザフスタンの首都は、1996年までは、国内最大都市であるアルマアタに
    ありましたが、その後、アスタナに遷都されたため、首都ではなくなりました。
    その際に、市の名称も日本語では、カザフ語の「アルマトィ」に改められました。
    「アルマアタ」は女性名詞なので、情け容赦なく格変化をするのですが、
    「アルマトィ」は、複数名詞の外来語と同じ扱いになるため、格変化はありません。

    【アルマアタ】
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    首都名の変更
    アルマアタは「緑の街」と呼ばれているため、街中に緑が非常に多い。 その後
    乗った白タク運転手の話によると、これらの樹木は1917年の革命前までに植え
    られたとか。 樹齢約100年となるため、この様に大きな街路樹となっております。
    現在のアルマアタは、首都を機械的に移されてしまったため、残った元政府機関は、
    その概ねが、アルマアタ市の巨大な行政機関となっています。 アスタナへの遷都の
    理由は、諸説ありますが、中国との国境に近過ぎるのと、カザフスタンのほぼ中央
    部分に位置しているアスタナの方が、ロシアとの交流を促進するためには適している
    ためと言うのが通説です。 尚、アスタナは、アルマアタからは約1200km北に
    位置しており、つい先日、都市名称が「ヌル・スルタン」へと変更されました。

    【追悼 デニス・テン選手】
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    ヴィクトル・ツォイ
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    何故かアルマアタの街角にヴィクトル・ツォイの銅像がアルマアタの街中に建って
    いますが、この場所にこの銅像がある理由は、この場所で映画のラストシーンが
    撮影されたため。 手に炎を持っているのは、最後のシーンでライターでタバコに
    火をつけたか。

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    国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は2019年4月18日、2019年の
    「報道の自由度ランキング」を発表した。 調査対象の180カ国・地域のうち、
    日本は前年度に引き続き67位だった。 前年度と同じ結果となったが、2017年度、
    日本は72位まで後退している。

    日本は「メディアの多様性が尊重」されているものの、沖縄の米軍基地など
    「非愛国的な話題」を取材するジャーナリストがSNSで攻撃を受けていると
    指摘され、主要国7カ国(G7)中、最下位だった。 日本は民主党政権の2010年には
    11位だったが、その後、自民党政権に戻ってからは、一気に順位が後退した。

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    去年と同様、報道の自由度が最も高いとされたのは、前年度に引き続き、北欧の
    ノルウェーで、最下位はトゥルクメニスタンであった。 

    自由度が高い
    ↑薄い黄色
    ↑濃い黄色
    ↑オレンジ
    ↑赤
    ↑黒
    自由度が低い
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    順位
    1位  ノルウェー
    2位  フィンランド
    3位  スウェーデン
    4位  オランダ
    5位  デンマーク
    6位  スイス
    7位  ニュージーランド
    8位  ジャマイカ
    9位  ベルギー
    10位  コスタリカ
    11位  エストニア
    12位  ポルトガル
    13位  ドイツ
    14位  アイスランド
    15位  アイルランド
    16位  オーストリア
    17位  ルクセンブルク
    18位  カナダ
    19位  ウルグアイ
    20位  スリナム
    21位  オーストラリア
    22位  サモア
    23位  ナミビア
    24位  ラトビア
    25位  カーボヴェルデ
    26位  リヒテンシュタイン
    27位  ガーナ
    28位  キプロス
    29位  スペイン
    30位  リトアニア
    31位  南アフリカ
    32位  フランス
    33位  イギリス
    34位  スロベニア
    35位  スロバキア
    36位  ブルキナファソ
    37位  アンドラ
    38位  パプアニューギニア
    39位  トリニダード・トバゴ
    40位  チェコ
    41位  韓国
    42位  台湾
    43位  イタリア
    44位  ボツワナ
    45位  トンガ
    46位  チリ
    47位  ルーマニア
    48位  アメリカ
    49位  セネガル
    50位  東カリブ諸国機構
    51位  ガイアナ
    52位  フィジー
    53位  ベリーズ
    54位  マダガスカル
    55位  ドミニカ共和国
    56位  コモロ
    57位  アルゼンチン
    58位  モーリシャス
    59位  ポーランド
    60位  ジョージア
    61位  アルメニア
    62位  ハイチ
    63位  ボスニア・ヘルツェゴビナ
    64位  クロアチア
    65位  ギリシャ
    66位  ニジェール
    67位  日本
    68位  マラウイ
    69位  セーシェル
    70位  モンゴル
    71位  コートジボワール
    72位  チュニジア
    73位  香港
    74位  北キプロス
    75位  コソボ
    76位  トーゴ
    77位  マルタ
    78位  レソト
    79位  パナマ
    80位  ブータン
    81位  エルサルバドル
    82位  アルバニア
    83位  キルギス
    84位  東ティモール
    85位  ペルー
    86位  シエラレオネ
    87位  ハンガリー
    88位  イスラエル
    89位  ギニアビサウ
    90位  セルビア
    91位  モルドバ
    92位  ガンビア
    93位  リベリア
    94位  モーリタニア
    95位  マケドニア
    96位  ベナン
    97位  エクアドル
    98位  モルディブ
    99位  パラグアイ
    100位  ケニア
    101位  レバノン
    102位  ウクライナ
    103位  モザンビーク
    104位  モンテネグロ
    105位  ブラジル
    106位  ネパール
    107位  ギニア
    108位  クウェート
    109位  アンゴラ
    110位  エチオピア
    111位  ブルガリア
    112位  マリ
    113位  ボリビア
    114位  ニカラグア
    115位  ガボン
    116位  グアテマラ
    117位  コンゴ共和国
    118位  タンザニア
    119位  ザンビア
    120位  ナイジェリア
    121位  アフガニスタン
    122位  チャド
    123位  マレーシア
    124位  インドネシア
    125位  ウガンダ
    126位  スリランカ
    127位  ジンバブエ
    128位  カタール
    129位  コロンビア
    130位  ヨルダン
    131位  カメルーン
    132位  オマーン
    133位  アラブ首長国連邦
    134位  フィリピン
    135位  モロッコ
    136位  タイ
    137位  パレスチナ
    138位  ミャンマー
    139位  南スーダン
    140位  インド
    141位  アルジェリア
    142位  パキスタン
    143位  カンボジア
    144位  メキシコ
    145位  中央アフリカ
    146位  ホンジュラス
    147位  エスワティニ
    148位  ベネズエラ
    149位  ロシア
    150位  バングラデシュ
    151位  シンガポール
    152位  ブルネイ
    153位  ベラルーシ
    154位  コンゴ(旧ザイール)
    155位  ルワンダ
    156位  イラク
    157位  トルコ
    158位  カザフスタン
    159位  ブルンジ
    160位  ウズベキスタン
    161位  タジキスタン
    162位  リビア
    163位  エジプト
    164位  ソマリア
    165位  赤道ギニア
    166位  アゼルバイジャン
    167位  バーレーン
    168位  イエメン
    169位  キューバ
    170位  イラン
    171位  ラオス
    172位  サウジアラビア
    173位  ジブチ
    174位  シリア
    175位  スーダン
    176位  ベトナム
    177位  中国
    178位  エリトリア
    179位  北朝鮮
    180位  トルクメニスタン

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    海南航空で北京からアルマアタへと向かいます。 北京ーアルマアタの
    フライト時間は、約5時間半で、3時間の時差があります。

    カザフスタンのアルマアタは、現在は遷都され、カザフ語のアルマトイへと
    改名されましたが、ロシア語では、今でもアルマアタと呼ばれています。
    アルマアタの意味は「りんごの父親」で、要約すると、「りんごの里」と言う
    意味になります。

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    【アルマアタ】
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    カザフスタン共和国は、旧ソ連邦加盟国で、独立国家共同体にも加盟しており、
    ロシアとは、最も友好的な同盟国として、様々な経済協力や関税協定を結んで
    います。 中央アジア諸国は、2018度から、タジキスタンとトゥルクメニスタンを
    除き、ビザが免除となりました。 独立国家共同体内でも、ベラルーシと
    並んで、最もロシア寄りの国であるため、カザフ人の人口の約60%強がロシア語
    ネイティブです。 ロシア語しか喋れない、ロシア語も喋れる、カザフ語でも
    喋れる、カザフ語しか喋れないの合計4パターンがおりますが、ロシア語理解率は
    100%であるため、カザフでは、ロシア語で話し掛けて何ら問題はありません。

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    尚、この日は、アルマアタ空港に到着したのが午後11時半過ぎで、そのまま宿の方に
    向かったところ、既に施設自体が閉まっていたため、急遽、Booking.comで他の
    施設を予約しました。 アルマアタ中心部にあるこのホステルは24時間営業で、
    1泊600円程度でした。 受付のおねえさんはロシア語ネイティブだったので、
    最後に、記念撮影をお願いしますと言われたため、とりあえず、写真に
    おさまりましたw

    【アルマアタ】
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    アルマアタでホステルに到着したのは午前0時30分過ぎであったものの、日本とは
    4時間の時差があるため、現地時間午前6時にはもう目が覚めました。 よって、
    早朝からデニス・テン選手の殺害現場へと向かいます。 元々、予約を入れていた
    ホステルの方が、その現場には近かったものの、到着時に既に夜中であったため、
    閉鎖されており、約1.5km離れた別の施設に泊まりました。 よって、その施設に
    泊まっていなければ、これらの景色は見れなかった事になります。

    ソ連からの独立後は、路上の表示も、カザフ語にみになった場所が多く、パッと見
    では、何を書いてあるのかが分かりません。。 ロシア語も併記してくれないと、
    ロシア語しか分からない人も多いため、困ると思います。。

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    トルキスタン
    中央アジアは、元々は1つの国であり、「トルキスタン」と呼ばれていました。
    その後、「西トルキスタン」は、ロシア帝国へと組み入れられ、現在の
    カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トゥルクメニ
    スタンとなり、一方の「東トルキスタン」は、中国の一部となり、
    新疆ウイグル自治区となりました。

    中国南方航空
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    今回は、フライトキャンセルをされる直前まで、往復共に、東トルキスタンの
    州都であるウルムチを経由する予定でした。 ウルムチには、26年前にも
    行こうとして、ロシア側のビザが下りず、結局行けなかったため、今回は、
    どうしてもウルムチに行きかったものの、ギリギリになって、往復とも
    フライトキャンセルにされてしまったため、仕方なく北京経由となりました。

    【セルギエフ・ポサード】
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    まずは、中国南方航空で成田から武漢へと飛びます。 そこから、北京経由で
    カザフスタンのアルマアタに抜けます。 成田から武漢までは、約3時間半の
    フライト。 途中1回の機内食が出てきました。 武漢国際機場は、新しい
    ターミナルで、成田空港よりも遥かに近代的。  武漢国際機場から車で5分
    程度のホテルに1泊し、翌日お昼の飛行機で北京へと移動します。

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    翌朝は、空港内にあるラーメン屋で軽く朝食を取った後、そのまま北京へと
    向かいました。 武漢から北京までは、約2時間半のフライト。 北京では、
    約4時間弱の乗り換え時間があっため、とりあえず、街に出る事にしました。
    と言っても、天安門広場に行って、帰って来るのがやっとであったため、かなり
    大急ぎでの北京観光となりました。

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    ロシアのクリスマスをロシア正教総本山で
    ロシアのクリスマスは、西洋とは異なり、旧暦の1月7日に祝うこととなって
    います。 わざわざその日を選んで、ロシア正教の総本山、セルギエフ・ポサード
    (旧名ザゴールスク)へとやって参りました。 セルギエフ・ポサードへ
    行くためには、モスクワの地下鉄の中でも最も美しいと言われている、
    コムソモーリスカヤ駅で乗り換えが必要となり、レニングラード駅のすぐ隣りに
    ある、シベリア鉄道の始発駅、ヤロスラブリ駅からは電車で1時間程の距離です。
    至聖三者聖セルギイ大修道院は、現在は、ユネスコの世界遺産にも指定されており、
    年間を通じて、訪れる参拝者が非常に多い場所です。

    コムソモーリスカヤ駅
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    ヤロスラブリ駅
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    ロシア正教総本山へは、ヤロスラブリ駅から
    ロシアのそれぞれのターミナル駅の名前は、フランスと同じで、終着都市が
    駅名となっているため、サンクト・ペテルブルグ(旧名レニングラード)へ行く
    場合は、レニングラード駅、ウラジオストックやシベリア方面へ行く場合は、
    このヤロスラブリ駅が始発駅となります。 因みに、サンクト・ペテルブルグは、
    都市名はソ連からの独立時に変更されましたが、州の名前は、今でも
    レニングラード州のままです。

    この日の気温はマイナス13度。 途中、車中からチラ見したところ、駅の名前が
    何と!「43キロ駅」w これは、ヤロスラブリ駅から起算して43キロという
    意味ですが、昔、この周辺には、目印となる物が何もなかったと言うことを
    意味しています。

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    東方正教会は、元々は、キリスト教が東西に分裂して以来、コンスタンチノープル
    (イスタンブール)が聖地でしたが、その後、イスラム教に押されて、この
    セルギエフ・ポサードがその聖地となりました。 東方正教は、カトリックや
    プロテスタントとも全く異なる宗派のため、日本ではなかなか見慣れないと思い
    ますが、イコンと丸い屋根が特徴の建物群は、いつまで見ていても飽きません。

    【セルギエフ・ポサード】
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    セルギエフ・ポサード
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    マトリョーシカのふるさと

    ロシア正教総本山のセルギエフ・ポサードは、ロシア土産の定番、マトリョーシカ
    発祥の地でもあります。 一説によると、とあるロシア人が箱根にやって来た際に、
    日本のこけしを真似て作り始めた物がマトリョーシカだとも言われております。
    日本には、「入れ子式」のこけしは存在しませんが、木で作られているのは同じ
    なのに、マトリョーシカが、こけしとは全く違うのは、ロシア人のアイデアを
    取り入れて改良された物であるため。

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    ロシア正教
    ロシア正教では、偶像を禁じているため、この様なイコン画が崇拝の対象となって
    います。 それぞれの絵には、それぞれの意味がありますが、イコンを購入する
    際には、自分の願いが叶う物や、自分の守護神のイコンを購入します。
    東方正教会がカトリックやプロテスタントとは大きく異なっている点は、
    この部分ですが、十字の切り方も左右逆です。 イースターでは、子孫繁栄を
    願って、このような「卵」が多く飾られますが、それをお土産にしたのが
    この卵。

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    モスクワの歩行者天国
    モスクワで唯一の歩行者天国、アルバート通り。 ここを訪れた時は、ロシアの
    クリスマスの時期であったため、様々なデコレーションが飾られていました。
    尚、現在モスクワには、現在、約700店舗の和食レストランがあると言われて
    いますが、そのうち、最も和食レストランが集中している場所が、このアルバート
    通りです。

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    アルバート通りから、モスクワの中心地である赤の広場までは、さほど遠く
    ないため、歩いて行く事にしました。 この日はマイナス13度でしたが、
    クリスマスのため、街が非常に華やいでいました。 ソ連の崩壊、経済危機、
    物不足を乗り越えたモスクワは、ソ連時代とは全く異なる街へと大変貌を
    遂げました。 社会体制を完全に覆してここまで経済発展を遂げたのは、
    世界でもモスクワだけでしょう。

    【アルバート通り】
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    赤の広場
    ここからがモスクワ観光のハイライト、赤の広場です。 赤の広場は、政治の
    中心地であるばかりではなく、商業の中心地でもあります。 クレムリン宮殿
    すぐ横にある「無名戦士の墓」には、永遠の炎と共にロシア語で「君の名は
    無名だが、君の志は永久に消えない」と記されています。

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    クリスマスの赤の広場は、至るところでイルミネーションが輝いていましたが、
    ソ連時代には、こんな風景を見れる様になるなど、夢にも思いませんでした。
    ソ連時代と比べると、建物は完全に同じままなのだが、社会主義から資本主義へと
    転換を図ったため、街の風景が一変しました。 社会主義時代は、イルミネーション
    などなかったため、夜になると真っ暗になっていた赤の広場も、時の流れと共に、
    今では、こんなに活気付いています。 尚、「赤の広場」の名前の由来は、
    スラブ語で「美しい」を表す形容詞が、ロシア語では「赤い」と意味するものへと
    変化したため、こうなりました。

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    赤の広場は、冬の間は、市民のためのスケートリンクになります。 荷物さえ
    なければ、このスケートリンクで滑りたかったものの、気温がマイナス13度で
    あったのにも関わらず、こんなにも大勢の人々でごった返していました。
    簡易遊園地も設置され、クリスマス気分を盛り上げていました。

    【赤の広場】
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    聖ワシリー大聖堂
    赤の広場にある聖ワシリー大聖堂(ポルコフルキー大聖堂)とその前にある像は、
    1612 年にポーランド軍に勝利したことを記念して、建てられたミーニンと
    ポジャーススキーの像。 王子であったポジャルスキーと肉屋のミーニンは、
    攻め入るポーランドとの戦いにおいて、ロシアの勝利に尽力しました。

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    世界遺産 シントラ
    シントラは、リスボンから電車で約40分の位置にある街全体が世界文化遺産に
    指定されている街で、それぞれ世界遺産に指定された宮殿、庭園、建造物等の
    見どころが沢山ある。 ムーア人が築いた城跡、ポルトガル王室の夏の離宮など、
    様々な年代の文化財が集積していることから観光地としても非常に人気がある。
    また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点にもなっています。

    出発はロシオ駅から
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    シントラは、歴史的な建物が多いため、この街を観光するためには、丸1日は
    必要だと思います。 ユーラシア大陸最西端のロカ岬に隠れた歴史的なスポットを
    見つけたので、次回は時間を作って、もっとゆっくりとシントラの街を観光しようと
    心に決めました。

    【シントラ】
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    ポルトガルの首都リスボンは、人口約55万人程度となっているが、周辺の都市圏を
    合わせると、300万人を越える大都市となり、ヨーロッパの中でも11番目の都市規模
    となっています。

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    ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ
    今回は、リスボンからポルトガル国鉄に乗ってユーラシア大陸最西端を目指します♪
    地球の歩き方には30分間隔程度で電車が出ているとの記載があったものの、
    何故か40分弱待たされることとなったため、とりあえず、ロシオ駅前にあった
    カトリック教会に入りました。 ヨーロッパの街の中心地には、必ず教会があり、
    人々が集う場所となっています。 この日は、教会内でミサが行われており、
    聖歌隊による歌が披露されていました。 カトリックは、どこもかしこも装飾が
    物凄く、宗教による力は偉大だと感じました。

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    ロシオ駅
    リスボン中心部にあるロシオ駅から、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行く
    電車が出ています。 まずは、シントラ駅までが電車で、その先がバスでの
    移動となりますが、このシントラが、かなり歴史的な建物が多く、もう一日
    このシントラを見たいと感じたものの、日程的に翌日にはモスクワに飛ば
    なければならなかったため、泣く泣く諦めました。 次回リスボンにやって
    来る際には、このシントラを重点的に周りたいと思います。 切符を買う
    窓口では、英語がそこそこ通じました。

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    シントラ駅
    シントラ駅は終点駅であるため、ここからロカ岬行きのバスが出ていますが、
    そのバス停が非常に分かり辛い。 駅からポルトガル語で「ロカ岬行きのバス停は
    どこにありますか?」と何度も質問をしているものの、なかなか見つからず、
    途中のお土産屋で気晴らしをした次第で御座いますw

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    ロカ岬
    シントラ駅からロカ岬までは、バスで1時間弱掛かるため、夕暮れに間に合わない
    かと思いましたが、ギリギリ間に合い、何とか奇跡の画像を撮りました。
    ちょうど完全に太陽が沈み、昼と夜の中間の感じが画像にもばっちりと収める
    ことが出来ました。 後30分程度早く来ていれば、もっと綺麗な写真が撮れたと
    思いますが、この日は、スペインの南部から長距離を移動して来たため、これ以上
    早めの時間にこの地に来る事は出来ませんでした。

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    【ロカ岬】
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    既に真っ暗になったロカ岬から最終便のバスに乗り、シントラへと戻ります。
    このロカ岬に来てみたいがために、ポルトガル語を習い始めたため、感慨ひとしお。
    我、ユーラシア大陸の最西端に立てり♪

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    ヨーロッパ南部は鉄道がない
    スペイン南部の中心都市セビリアからポルトガルの首都であるリスボンまでの間は、
    鉄道が全く通っていないため、現地の乗り合いタクシー(いわゆる白タクw)を
    5人でシェアして移動することとなった。 ヨーロッパでは、乗り合いタクシーが
    移動手段として合法化されており、乗り合いタクシー専用のスマホアプリも複数
    存在する。

    まずは、セビリア市内のマクドナルド前に集合
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    乗り合いタクシーは、この様な風景の場所を通り抜けた
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    テージョ川を渡ると、もうすぐリスボン到着
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    セビリアからリスボンまでの総移動距離は約450km、移動時間は5時間弱となって
    おり、車内は運転手のスペイン人、リスボン在住のスペイン人、韓国からの旅行客
    2名と私の合計5人であった。 日本では全面的に禁止されている白タクも、
    ヨーロッパでは、アプリで普通に誰も開業できるアルバイト的な仕事であるため、
    この様な交通の便が悪い場所では大活躍。 移動ルートは、Google Mapで確認した
    ところ、スペイン内陸部を通り、途中のポルトガル国境にあるBadajoz(バダホス)で
    休憩時間を取るという経路であった。

    【リスボン】
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    今回の旅は、ポルトガルのリスボンを基点としているため、リスボンに来るのは、
    これで3回目となるため、リスボンのゲストハウスに荷物をずっと預けており、
    移動が非常に楽であった♪

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    初めて海を渡ったサムライ
    慶長遣欧使節は、慶長18年(1613年)に仙台藩主の伊達政宗がフランシスコ会
    宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王
    フェリペ3世、および、ローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節であるが、
    元々、この使節団は、その2年前の1611年に三陸を大規模な津波を襲ったのを
    契機に、徳川家康の許可を得て、仙台藩が単独、かつ独自に派遣した使節団
    である。

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    M008451

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    当時の日本は、江戸幕府による鎖国令が敷かれており、津波による大災害を
    好機へと変え、ガレオン船を建造して、海外へとその活路を見出そうとした
    伊達政宗の日本野望とも言える壮大な計画である。 この時、伊達政宗は、
    「奥州王」の名において、イスパニア艦隊の日本への派遣をこの使節団に要請
    しており、当時世界最強であったイスパニア艦隊がその政宗の要請に応じて
    いれば、日本は根底から何もかもが変わっていた可能性がある。 一説に
    よれば、徳川幕府を倒すためにこの使節団を派遣したとも言われている。

    hasekura

    コレア・デル・リオ
    奥州遣欧使節は、現在の宮城県石巻市の月の浦を出航し、ヌエヴァ・イスパニア
    (メキシコ)を経由して、一路ローマを目指したが、その途中のスペイン南部に
    あるコレア・デル・リオという小さな街で長期滞在した。 この街で滞在をした
    理由は、ルイス・ソテロの出身地であるためと言われている。 この滞在には、
    諸説あるが、使節団は、最長で1年程度をこの街で過ごしたとも言われている。

    この街には、ハポン(Japón=日本)姓、もしくは、Xapón姓の人が数百人
    住んでおり、この使節団の中で日本に帰らず現地に留まり移住したキリスト
    教徒の仙台藩の藩士や使節の現地人水夫、その支援者の子孫であると言われ
    ている。

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    コレア・デル・リオ
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    政宗の野望費える
    1615年1月30日、使節団は首都マドリードにてイスパニア国王フェリペ3世に謁見を
    許された。 2月17日、支倉常長は、フェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の
    付属教会で洗礼を受けた。 8月22日、使節団はマドリードを出発した。 使節団は
    その後、10月25日にローマに到着し、10月29日、ローマにおいて栄誉あるローマ
    入市式を行った。 11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に
    謁見し、ローマ市民権証書が授与された。 但し、交渉は難航し、結局、政宗の
    嘆願が受け入れられることはなかった。

    この使節団は、出航直後にキリシタン禁令や宣教師追放令が出たことから、
    7年後に帰国するものの、洗礼を受けていた支倉常長を当主とする支倉家は
    御家断絶の憂き目に。 ルイス・ソテロもマニラから密入国しようとしたが
    捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)に長崎の大村で火刑により
    殉教した。

    岩倉使節団
    QUYAE-BIE

    その後、使節団のことは語られることなく、明治6(1873)年に岩倉具視率いる
    「岩倉使節団」がイタリアのヴェネツィアで常長の書状を発見したことで、慶長遣欧
    使節の偉業が明らかとなった。 これが切っ掛けで、当時逆賊扱いをされていた
    仙台の地に、日本で2番目の高等学校、仙台第二高等学校(現在の東北大学)が開設
    されることとなった。

    使節団が持ち帰った貴重な資料は国宝に指定されていたが、2013年6月にユネスコの
    「世界記憶遺産」に登録され、仙台市博物館に保管されている。



    東日本大震災
    コレア・デル・リオでの滞在は、たった1日のみであったが、東日本大震災が
    発生した際に、このコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れているという
    噂を聞き付け、スペイン語でコリア・デル・リオ市役所に問い合わせたところ、
    全くのデマであることが判明したため、結局、この地に住むことはなかったが、
    もし、本当にコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れていたならば、今頃は、
    日本などからは離れて、この地で生きていたと思う。 宿泊した宿のオーナーも
    ハポンと言う人であった。

    コリア・デル・リオ市は、日本人の末裔の街であるため、日本人観光客向けに日本語
    での案内もあるのだが、肝心の日本人が、その史実を全く知らないため、ここには、
    滅多に日本人が来ないとか。 コレア・デル・リオは、セビリアからバスで1時間
    程度の場所にあるため、昔のサムライの気概を感じるために、コリア・デル・リオを
    訪れて見るのも一興だと思う。

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