横浜通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
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    バイカル湖は、世界で最も透明度の高い湖で、シベリアのイルクーツクの
    近郊にあります。 深さも世界一で、元々、バイカル湖周辺に住んでいたのは、
    モンゴル系のブリヤート人であった。 その後、ロシア人が大量に西進して
    来たため、少数民族へと転落した。 バイカル湖にはアザラシが多く、
    イルクーツクのお土産は、ブリヤートの民芸品とアザラシのぬいぐるみが
    中心となっている。

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    【ロシアの空港の常識】
    ロシアの空港では、ほんの数年前まで、空港職員による窃盗が極当たり前で
    あったため、サランラップのお化けのような設備が必ず空港にはあるのだが、
    有料で1,000円程度も掛かるため、経済成長により、今更盗む必要性すらなく
    なった過去の異物とも言える。

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    ロシアでアジア人に対する差別が非常に少ないのは、自分達の体の中にも、
    アジアの血が流れている事を知っているため。 ロシアは、400年近くも
    モンゴルの支配を受けていたのだが、そのモンゴル人が西に進むに連れて、
    ヨーロッパ化したのが、現在のタタール人。

    【イルクーツク】
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    ロシアではさほど珍しくはなくなった中国語の看板。 多くの空港等にある漢字は、
    短いものだと日本語と同じだったりするため、一見、日本語にも見えのだが、
    全て中国語。 ロシアにとって、最も友好的な国は、中国とセルビアであり、
    セルビアでも時折、ロシア語を見掛けた。 20年ほど前までは、日本企業の
    看板だらだったのだが、今となっては、全て中国企業と韓国企業の看板のみと
    なっているため、この20年間の日本の凋落振りが分かる。

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    イルクーツクまでは、ほんの数年前までは、新潟空港からしか飛べなかったのだが、
    今は、新潟に成り代わり、成田から直行便が飛んでいる。 ロシアへの窓口としての
    新潟の役割は、既に、富山へと完全に移行しており、時の流れと共に、新潟の
    役割は、もう終わったのかも知れない。

    【お勧めの一冊】


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    カリーニングラード・フラブロヴォ空港からモスクワ・シェレメチェヴォ
    空港へは、約2時間のフライト+1時間の時差があるため、モスクワ到着が、
    夜中の11時30分過ぎとなり、アエロエクスプレスは午前0時30分が最終列車で
    あるため、タクシーに乗車した。

    【夜中のタクシー乗車時の注意点】
    空港内には、客引きが多数おり、ここで値段交渉をしなければならないのだが、
    空港内の客引きは、既に定価を示すボードを所持しており、当初の値段よりは
    1,000ルーブル値下げして貰ったものの、シェレメチェヴォ空港からタクシーで
    40分程度のベラルーシ駅前にあるホテルまで、4,000ルーブル(約7,000円)も
    取られる結果となった。

    それまでは、何度タクシーに乗っても、大体250ルーブルとか、ワールドカップで
    大渋滞であったカリーニングラード市内ですら、最高で1,000ルーブルまでしか
    請求されなかったのだが、ここ首都モスクワでは、物価が地方とはまるで違う。
    モスクワは、収入に対する物価の高さが世界一の都市であるため、夜中に
    タクシーに乗るのは止めた方が無難。

    【空港からモスクワ市内へ】
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    この日は、ベラルーシ駅前のホテルに宿泊したため、まずは、ベラルーシ駅に移動。
    モスクワのホテルは、どこも高いのだが、今回の旅行で最も高い値段であった
    ホテルは、一番ボロボロで冷房も付いていなかった。

    その後、世界一美しいと言われているモスクワの地下鉄で中心部へと移動。
    モスクワの地下鉄は、有事の際には、核シェルターとなるため、地下4階以上の
    浅い部分は一切通らず、そのため、エスカレーターが異様に長いのが特徴。
    但し、日本のエスカレーターの様に、とんでもなく遅い物はひとつもなく、
    日本の3倍以上の超高速運転をしているため、初めてモスクワを訪れた場合は、
    度肝を抜かれて、なかなかロシアのエスカレーターには乗れない。

    【ボリショイ劇場付近】
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    地上に出ると、すぐ目の前には、ボリショイ劇場と、カール・マルクスの像が
    あった。 社会主義の生みの父であるカール・マルクスが語った最も有名な言葉は
    『全世界の労働者階級たちよ団結せよ!』で、この言葉は、旧ソ連邦の象徴である
    エンブレムにも、15共和国全ての言語で書かれていた。

    29年前は、モスクワに留学をしていたのだが、それ以来、丸29年ぶりに
    ツムデパートへ。 当時は、ソ連末期であったため、深刻な物不足で、
    ろくな物が売っていなかったのだが、29年の時を経て、三越もビックリの
    超高級デパートへと大変貌を遂げていた。 昔は、マルボロとかグラビア雑誌が
    賄賂の代わりだったのだが、今では、その賄賂も物価上昇により、とんでもない
    値段となっておりますw

    【赤の広場】
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    さて、ここからが、モスクワ観光のハイライト☆ 市の中心部にある赤の広場へと
    入ります♪ ワールドカップ開催期間中のため、荷物の持込が規制され、トランクを
    持っては中に入れなかった。 ロシアの建物は、非常に大きいため、見えてからが
    遠く、基本的に、凄まじく歩くこととなるのだが、ロシア人の主な趣味は『散歩』
    なので、数キロ程度であれば、普通に皆歩いております。

    モスクワ中心部の赤の広場~グム百貨店~レーニン廟~聖ワシリー寺院付近。
    クレムリン宮殿の中にも入る予定であったが、ワールドカップ開催期間中の
    ため、警備が非常に厳しく断念。 クレムリン宮殿は、ロシアの政治の中心地で
    あるばかりではなく、モスクワ観光の目玉でもあります。

    クレムリンへの入り口、スパスカヤ塔(一般人はここからクレムリン内へは
    入れない)とグム百貨店とその内部。 グム百貨店へ入るためには、赤の広場
    手前の検問と、グム百貨店手前にある入り口で再度検問を受けなければなら
    なかった。『グム』とは、『国営百貨店』の意味で、カタカナで表記すると、
    『ゴスダールストヴェンヌィー・ウニヴェルサーリヌィー・マガジン』の
    頭文字を取った省略形。

    【モスクワ市内から空港へ】
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    毎時定時に衛兵交代が行われる、『無名戦士の墓』。 無名戦士の墓とは、歴史を
    通して起きた戦争で戦死し、かつ身元が分からない兵士の遺骨を埋葬、または、
    納めた墓。 遺骨は無く、遺品を納めたり、英霊として葬り、祀る墓もある。
    モスクワの無名戦士の墓は、独ソ戦で亡くなった英霊を祭っており、永遠に消えない
    『炎』が燃えている。 また、このお墓には『君の名は分からないが、君の偉業は
    死なない』と記されている。

    【お勧めの一冊】


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    モスクワから飛行機で約2時間半のロシアの飛び地、カリーニングラードの
    主な観光地と見所。

    【ロシアの母像
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    旧ソ連圏によくある『○○の母』の像。 カリーニングラードでは
    『ロシアの母像』という名前。 1974年に設置されたこの像の場所には、
    かつてはスターリンの石像があった。 2007年には、カリーニングラード州の
    文化遺産に指定された。

    ソビエトの家
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    ドイツ時代のケーニヒスベルグ城があった場所に建てられており、その代わりの
    街のシンボルとして計画されたが、建設中に地盤が緩く、傾き、ヒビが入り、
    使用出来なくなった廃墟。

    ケーニヒスベルク大聖堂
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    レンガ造りのゴシック様式の大聖堂。 1333年から1380年の間に建築。
    1944年8月の第二次世界大戦中イギリス空軍の二夜に渡る空襲で街は
    大きく破壊され、大聖堂もこれによって大きく破壊された。 空襲を
    まぬがれるために100人ほどが聖堂に避難したが多数の死者が出てしまった。

    第二次世界大戦で残った数少ない建物のひとつであり、大戦後にドイツの
    敗北と共に、ドイツ領からソ連領へと移ったカリーニングラードには、
    ドイツ風の建物が多いとされているが、実際は、戦時中にかなり破壊され、
    ドイツ風(ゴシック様式)の建物は実は少ない。 川沿いに残された、
    この一体だけが、唯一、ドイツ風の建物が残っている観光スポット。

    【プレゴリャ川付近】
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    プレゴリャ(独語名プレーゲル)川沿いにある、ドイツ風の建物。 かつては、
    この川の流域には、バルト語派のプルーセン人が住んでおり、ドイツ語の
    川の名であるプレーゲルは、プロシア語で深い場所を意味する『preigillis』から
    来ている。 ドイツ人の東方殖民と、北方十字軍による異教徒の征服が進むと、
    次第にプルーセン人はドイツ人に同化されていった。

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    プレーゲル川河口付近に作られた港湾都市ケーニヒスベルクは、流域の
    プロイセン地方の物資を集散し、バルト海を経由して各地へ輸出する港として
    中世以来繁栄した。 後には、プロイセン公国が建国されプロイセン王国へと
    拡大したが、第二次世界大戦後、ドイツ領だった東プロイセンは、ポーランドと
    ソ連に分割され消滅し、ケーニヒスベルクもカリーニングラードと改称された。

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    【雑 記】
    前々から、iPhoneの調子が悪かったため、カリーニングラードで、iPhoneの
    バッテリーを交換。 15分ほどであっという間に終わった。 特に、外人とも
    思われなかったため、パスポートや、身分証明書の提示も必要なかったw
    交換料金は、中国製のバッテリーが1,400ルーブル、正規品が2,400ルーブル
    だったので、日本の約3分の1以下であった。

    【カリーニングラード・フラブロヴォ空港】
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    カリーニングラード南駅にあるバスターミナルから、フラブロヴォ空港行きの
    空港バスが出ており、約40分程度で空港まで到着出来ます。
    カリーニングラードは、ロシアの飛び地であるため、面積が非常に狭く、
    1時間も車を走らせれば、国外に出てしまう程小さい。

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    FIFAワールドカップの旅の最終目的地は、カリーニングラードではなく、実は、
    更に、カリーニングラード南駅のすぐ隣りにあるバスターミナルから、バスに乗り、
    バルチック艦隊の本拠地、バルチースクでした。 カリーニングラードから
    バルチースクまでは、路線バスでおよそ1時間半。 街に中心部には、昔なつかしの
    レーニン像が建っています。

    バルチースクの駅には、1日に2本しか列車がやって来ない。 当初、
    カリーニングラード南駅から、ちょうど良さそうな列車を見つけたため、
    窓口で切符を買おうとしたところ、曜日によって運行する日が異なるため、
    この日は運行していないことが判明。 仕方なく、バスでの移動となった。

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    バルト海の向こうは、スウェーデンとフィンランド。 南側約20キロは、
    もうポーランドという、ロシアの最西端の地です。 運河の向こう側の
    ポーランド側に渡るためには、橋がないため、船で渡るしかない。

    バルチースクにある星型をした海軍基地は、上から見ないと分からないため、
    単なる堀のような感じであった。 施設中に入れるのかと思いきや、軍事施設の
    ため、無理。 この中に軍艦が停泊しているものと思われるのだが、横須賀の
    ような街をイメージしていたところ、思っていたよりも、軍艦の数は少なめ。

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    バルチースクからの帰りは、乗り合いタクシー(ロシア語では「マルシルートカ」)
    で移動。 その後、カリーニングラード市内で、本場のロシア料理を食べた。
    日本のロシアレストランは、戦後の引揚者らが始めた見よう見まねの料理で
    あるため、本物のロシア料理とは違うことが多々ある。 日本におけるロシアの
    情報は、ウソだらけなので、気を付けないと騙されます。

    【お勧めの一冊】


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    モスクワ発ビリニュス経由の特急琥珀号でロシアの飛び地カリーニングラードへ。
    ロシアの列車の全車両には、必ず、お茶のセットが付いており、1両づつそれぞれ
    担当の車掌が付くシステム。 ヴィリニュスから1時間半程度でロシアとの国境へと
    到着した。

    リトアニアの国境駅であるキバルタイ駅での出国手続きは、何故か30分程度も
    掛かり、その後、ゆっくりとロシア側へと移動し、国境駅である
    チェルヌィシェフスコエ駅で再度ロシアへの入国手続きが行われたが、ロシアでの
    入国手続きは15分程度と比較的スムーズに行われた。 国境から20分程度で、
    州都のカリーニングラードへと到着した。

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    この日のカリーニングラード市内は、ベルギーVSイングランドの試合の日だけ
    あって、市内の至る所で渋滞だらけ。 ロシアでは値段交渉制が当たり前の
    タクシーも、料金がバラバラ過ぎて相場がつかめず。 ロシアは、『搾り取れる
    ところから搾れるだけ搾り取る』というシステムの国であるため、この日だけは
    仕方ないと諦め、通常200ルーブルぐらいだろうなと思っていたところに、
    1000ルーブルとか言われ、多少ビックリしたものの、渋滞だらけで車が進まない
    からこんな値段なんだと言われて諦めた。 その後、アプリで呼ぶYandex
    タクシーの方が安いことが判明したものの、こちらは渋滞のため、全く捕まらず。

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    カリーニングラード・バルチカスタジアムへは、試合開始3時間前に到着したため、
    ほぼ一番乗りに近い4番目での入場となったものの、何故かWiFiの持込が禁止されて
    おり、コインロッカーへ預けることとなった。 場内にある無料WiFiもロシアの
    電話番号を持っていないと利用登録が出来ないため、全く使えないという、
    矛盾をはらんでいた。

    スタジアム入場後、まずは、公式グッズを購入し、腹ごしらえをした。 会場内は、
    公式グッズ以外の販売はないため、何もかもが高い。 肝心の席は、ゴールの
    目の前で、第2期の販売開始時刻と共に購入したため、かなり良い席を確保出来た。

    試合は、ベルギーVSイングランドのため、予選大会なのに関わらず、ベルギー
    チームの大応援団が駆けつけていた。 ベルギーは、オランダ語圏とフランス語圏に
    パックリと2分されているが、何故か、オランダ語圏からの応援団が非常に多く、
    フランス語は余り聞こえて来なかった。

    試合は、2対1でベルギーの勝利だったのだが、混雑を避けるため、試合終了30分前
    には、スタジアムを後にしたため、無料のシャトルバスを使って、かなりスムーズに
    カリーニングラード北駅(カリーニングラードのメインは南駅)までたどり着く事が
    出来た。 カリーニングラードは、元々は、プロイセン建国の地であるため、一部の
    建物がドイツ風なのだが、戦争時に、かなり多くの建物が破壊され、その後再建
    された建物が多いため、そこまで、ドイツ風という感じは受けなかった。

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    カリーニングラードには、南駅と北駅があるのだが、南駅がメインの駅。
    ワールドカップ開催期間中は、至る所で手荷物チェックが行われていた。
    南駅構内にあるのは、巨大なコップホルダー(ロシア語では「ポドスタカンチク」)
    で、ロシアの列車には、必ず、サモワールとこのコップホルダーが常備されており、
    いつでも、熱いお茶を飲むことが出来る。

    【お勧めの一品】


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    リトアニアの首都ヴィリニュスは、ヨーロッパ風の建物が多く、ロシアとは
    若干雰囲気が異なる。 ヴィリニュスでは基本的に、ロシア語は全世代を通して
    通じるのの、若者や地方に行くと、ロシア語は余り通じず、英語の方が通じるため、
    リトアニアでは、ロシア語と英語とちゃんぽんで会話をした。

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    リトアニアは、非常に治安が良いため、夜一人で出歩いても、全く問題なし。
    首都と言っても、人口56万程度のこじんまりとした街であるため、中心街は
    全て歩いて見て周ることが出来る。 宿泊した場所が、旧市街の中であったため、
    主な観光地は、ものの数十分程度で大体見て回ることが出来た。 尚、リトアニア
    では、午後8時以降のアルコールの販売は禁止されており、特に、日曜日は、
    午後3時以降はアルコールの販売が禁止されているため、要注意。

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    ヨーロッパ周遊型のWiFiを借りた筈が、どこの国も電波の入りが悪く、実際は、
    殆んど使えず。 電波がまともに入ったのは、このリトアニアだけであったが、
    それでも、電波が非常に弱いため、電波が頻繁に入ったり切れたりした。
    しかも、道に迷っている最中に電波が入らなくなったため、予想外に時間が
    掛かる朝の散歩となった。

    【お勧めの一冊】



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    カウナスは、第二次世界大戦、すなわち、ソ連邦への併合以前までは、
    リトアニアの首都であったため、『杉原千畝記念館』は、元々は、
    日本大使館であった。 1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻により、
    多くのユダヤ人たちは隣国リトアニアへ逃げ込んだが、ソ連によるリトアニア
    併合が確実となり、彼らには日本通過ビザを得て、第三国へ逃げるという
    方法しか残されていなかった。

    >>杉原千畝 ~六千人の命のビザ~

    杉原は、苦悩の末、外務省の訓命に反し、『人道上、どうしても拒否出来ない』
    という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても、独断で通過査証を
    発給した。 それは、人道、博愛精神第一という大きな決断であった。 その後、
    戦況が悪化したため、日本大使館は閉鎖、カウナス市内を転々としながら、更に
    ビザの発給を続けた。 合計で約2,000枚のビザを発給したものの、本国からの
    命令に逆らったとして、その後は、ルーマニアヘと送られ、後に、外務省をも
    追われる事となる。

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    カウナス駅に今でも杉原千畝のプレート残されている。 日本大使館が閉鎖され、
    最後の最後までビザを書き続けたのがカウナス駅。 千畝は、その後、汽車で
    ベルリンへと向かった。 ユダヤ人たちが日本の通過ビザを欲しがったのは、日本へ
    行きたかったからではなく、日本を経由して、第三国へ脱出しかたったためで、
    当時は、シベリア鉄道に乗って、日本を経由して、オランダ領のキュラソーに
    行くしか残された道はなかったのである。

    その後、杉原は、ユダヤ人たちからは非常に感謝されたが、日本での扱いは、
    外務省に無断で勝手にビザを発給したとして、名誉剥奪のまま無念の死を遂げた。
    2000年に日本政府から正式に名誉回復がなされたのは、杉原の没後14年目、
    そして生誕100年という節目のことであった。

    【お勧めの一枚】


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    ベラルーシのミンスク経由で午後10時半過ぎにヴィリニュス駅に到着した。
    そのままタクシーに乗って、宿まで行く途中で、スーパーに寄って貰ったところ、
    周囲の人達が、2回程、何やら英語でアドバイスをしてくれたため、よくよく
    ロシア語(ヴィリニュスは大体ロシア語が通じる)で詳細を問い返してみた
    ところ、『午後8時以降はアルコールの販売が禁止されているため、購入出来ない』
    とのことだった。 買うのであれば、ノンアルコールにしなさいとのことで
    あったが、にわかにはその話が信じられなかったため、タクシーの運転手に
    再度確認したところ、やはり、午後8時以降はアルコールの販売が禁止されており、
    特に、日曜日は、午後3時以降はアルコール販売は禁止されていると言われたため、
    この日は、ミネラルウォーターのみを買ってすぐに宿へと向かった。

    翌日早朝から、いよいよ、十字架の丘へ
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    一夜明けて、午前7時代の電車で約2時間半掛けて、リトアニア第3の都市である
    シャウレイへと移動。 シャウレイ駅とバスターミナルは、歩くと実は10分弱
    掛かる。 しかも、バスの本数が非常に少なく、鉄道との接続が悪い。 更には、
    最寄の『ドマンタイ』のバス停から、十字架の丘までは、約2キロ程離れて
    いる。 このため、シャウレイ駅からタクシーで世界遺産の十字架の丘へと
    向かうことにした。

    実は、この十字架の下には、遺体は一切なく、すぐ隣りのラトビアやエストニア
    にも同様の十字架があるのだが、何故かリトアニアの十字架の丘だけが有名と
    なっており、世界遺産にも指定されている。

    今回、タクシーに乗って、時間を節約したのは、その後、リトアニア第2の
    都市であるカウナスへ移動するため。 実は、シャウレイからカウナスへは、
    鉄道で行くと、一旦ヴィリニュスまで戻って、更にV字に遠回りして行くため、
    1日で両都市を見て回る場合は、乗車時間の短いバスしかない。

    シャウレイからカウナスへは約3時間程度で、高速バスではなく、単なる一般
    バスであるため、距離の割には、妙に時間が掛かるため、どちらも余りゆっくり
    とは見て回る時間がないため、タクシーを使って、可能な限り、行きたい場所を
    限定して見て回るしかない。

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    十字架の丘の歴史
    リトアニアは1795年の第3次ポーランド分割で、ロシア帝国の支配下に置かれる
    こととなった。 ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起を起こした
    (1831年の11月蜂起、および1863年の1月蜂起)が、いずれも失敗に終わる。
    これら2つの蜂起はこの十字架の丘の始まりに関係している。 反乱兵の家族が、
    彼らの遺体のかわりに十字架をこの丘に建てたのである。 1918年、リトアニアは
    独立を回復。 独立期、この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちの
    ために祈る場所となった。 その後、ナチスドイツのホロコーストや、再度
    ソ連の支配下へ置かれたりと、辛い時期を経験したリトアニアだが、この丘には、
    リトアニアの独立を願って、十字架を建てる人たちで溢れた。 1991年末に
    ソ連の崩壊と共に、リトアニアは再び独立を回復。 その当時、この丘には、
    約6万の十字架が建てられていたと言う。 現在は、約20万もの十字架が建て
    られているとも言われている。

    【十字架の数】
    1900年 130
    1902年 155
    1922年 50
    1938年 400 以上
    1961年 5,000 が破壊される
    1975年 1,200 が破壊される
    1990年 約 55,000

    リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、十字架の丘は特別な意味を
    持っていた。 丘へ行き十字架を捧げることで、リトアニア人たちは彼らの宗教や
    遺産への忠誠心を示した。 それは、非暴力による抵抗を表していた。 にも
    関わらず、ソ連は3度に渡りブルドーザーでこの丘にある十字架を撤去しようとした。

    1993年9月7日、教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪れ、ここが希望と平和、愛、
    そして犠牲者のための場所であると述べた。 2000年、フランシスコ会の修道院が
    この丘の近くに完成した。 内部の装飾は、フランシスコの身体に聖痕が現れた
    とされるトスカーナのラ・ヴェルナのものと関連している。この丘は未だいずれの
    管轄にも属していないため、自由に出入りし、十字架を建てることが出来る。

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    第二次世界大戦の歴史を展示している『大祖国戦争博物館』は、ミンスクを
    中心としたベラルーシにおける戦争の歴史を分かりやすく展示した博物館で、
    ミンスクを理解するためには、是非訪れて欲しい観光スポット。

    この博物館では、武器や写真、ジオラマ等による展示が行われており、
    ベラルーシでは『大祖国戦争』と呼ばれている『第二次世界大戦』の歴史を
    伝えている。 当時ミンスク郊外には、アウシュビッツ等に次ぐ第3のナチスの
    収容所があり、20万人が虐殺されたとも言われている。 その収容所の様子を
    伝える展示もあり、他の国では見る機会が非常に少ない貴重な戦争の博物館で
    あるため、改めて平和について考えさせられるミンスクのおすすめ観光スポット。

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    ロシア語では、『第二次世界大戦』のことを『大祖国戦争』と呼ぶが、それは、
    対独戦で100万人以上にも及ぶ多大な戦死者を出したためこう呼ばれている。
    ミンスクの街は、ドイツ軍によって徹底的に破壊され、その後、社会主義経済に
    則り、復興されたため、ミンスク市内は旧ソ連式の大規模な建物が多い。

    戦争とは、幾ら語り継いだとしても、正確には伝わらないため、このような
    目で見て直接確かめることが出来る展示型の博物館が最も効果的。 米軍により
    爆撃を受けた仙台にも『戦災復興記念館』なるものがあるが、館内の展示品が
    少ないため、余り実際の戦争を想像出来ないのだが、この巨大な戦争博物館では、
    様々な展示品を用いて、かなり忠実に戦争を再現している。

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    大祖国戦争博物館は、地下鉄の駅からは若干離れており、全ての展示を見て周る
    ためには、半日程度は必要。 但し、この日は、列車が出るまでの時間が少なかった
    たため、45分程度の駆け足での見学となってしまったが、もっとゆっくりと時間を
    翔けて、色々な事を考えながら見たい設備であった。

    案内に展示していある展示物は、実際に戦争で使用された物も多く、非常に
    生々しく、蝋人形を交えて、更に細かく説明をしているため、非常に分かりやすい
    設備であった。

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    その後、ミンスク駅の1番線の一番奥にある21番線からビリニュス行きの電車に
    乗り、リトアニアの首都であるヴィリニュスへと旅立った。 ロシアから
    ベラルーシへ入国し、リトアニアへ抜ける場合、ベラルーシのビザが絶対に必要
    となる
    。 ビザをを所持していない場合、ここからリトアニアとの国境までは
    行けるものの、そこでビザがないことが判明すると、またミンスクまで強制的に
    連れ戻されるため要注意。

    べラルーシの国境が、実際のロシアとEUとの国境となるため、世界でも出入国
    審査が非常に厳しい場所となっている。 元々は、同じソビエト連邦という国
    だったのだが、体制が急激に変わったため、色々と面倒な手続きが増えた。

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     2018年8月9日、カザフスタンの最大都市、アルマトイで7月19日に刺殺された
    デニス・テン選手にちなんで名付けられた公立財団が設立されることが発表された。
    刺殺現場となったアルマトイ市内の現場には記念碑が建設されるという。

    旧ソ連国内で放送された追悼ドキュメンタリー番組


    デニス・テン選手の母親であるオクサーナ・テンさんは、家族が多大な困難に
    直面している際にも、カザフスタン国民の方々に支えて貰ったことに対して、
    まずは感謝し、デニスの友人、ファン、彼の教え子らに対して、デニスの記憶を
    永続的に残すための今後の取り組みについて語った。 現在、カザフスタン
    国内では、多くのアイデアや提案が表明されており、文化スポーツ省と
    アルマトイ市と共に話し合いと行い、公的資金の調達と今後の活動に対する
    理解を両者から得たと語った。

    denisten

    その上で、既にこのプロジェクトは動き出しており、『デニス・テン特別公立基金』
    が創設され、カザフスタン文化スポーツ省は、デニス・テン記念スケート・
    アカデミーの創設を計画していると言う。 更に、アルマトイ市側は、デニス選手の
    功績を称えて、毎年スケートの国際トーナメントを開催することを約束し、殺害
    現場となってしまった場所には、デニス選手の記念碑を建設するため、彫刻家の
    選定を行っており、デニス選手の生家にプレートを取り付けて、本の出版も
    約束した。 そのため、オクサーナさんは、デニス選手の友人らと共に出版へ
    向けての準備を行っていると語った。 このため、デニス・テン公式Instagram
    では、本に掲載出来るデニス選手の画像を募集している。

    我々は、援助の手を差し伸べてくれた全ての人達に感謝しており、全ての
    プロジェクトの実現に向けて、近々、デニス・テン基金の公式な住所を発表すると
    述べた。

    【カザフスタン】デニス・テン選手の突然の死に5,000人超が彼の死を悼む

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    ドキュメンタリー番組『テンと言う名の星』


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    ベラルーシの首都であるミンスクは、人口約200万人程度のこじんまりとした街で、
    仙台の姉妹都市となっている。

    ミンスク空港からミンスク市内へやって来る際は、宿のおばさんに地下鉄の
    終点駅まで乗せて来てもらったため、空港への行き方が分からなかったが、
    ミンスク駅のお隣り(と言っても、日本の感覚で言うと5件ぐらい隣り)に
    あるバスターミナルから空港行きのシャトルバスが20分間隔で出ている事が判明。
    更に、後で分かった事だが、このシャトルバスは、40分おきに乗り合いタクシーと
    路線バスが交互に出発しているため、空港への到着時間が20分程度異なっている。

    乗り合いタクシーは空港まで40分程度で到着するのだが、路線バスの場合は、
    1時間弱掛かる。 しかも、乗り合いタクシーの場合は、「降ります」の意思表示
    ボタンが付いていないため、降りたい場所に近づいたら、運転手に
    「降ろしてください」と意思表示をしない限り、タクシーから降りる事すら
    ままならないw

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    ミンスクは、こじんまりとした街なので、徒歩で街中にある主要な観光地を
    全て見て周ることが出来るが、要所要所では、やはり、運賃約30円でどこまで
    でも乗れる地下鉄が便利。 外は暑いので、地下鉄の中は避暑地にもなる。
    有事の際には、核シェルターにもなるモスクワの地下鉄とは異なり、ミンスクの
    地下鉄は、そこまで深い場所を走っていないため、エスカレーターの移動も
    さほど苦にはならず。 ミンスクは思っていたよりも綺麗な街並みなので、主な
    観光地を徒歩で丸1日掛けて、ほぼ網羅した。

    「最も社会主義時代の痕跡が色濃く残る国」という偏った情報に騙されて、
    重苦しい雰囲気の街を想像していたのだが、ミンスクは、想像以上に綺麗な街で
    あった。 ドイツ軍に街を破壊されてからは、ソ連式の復興計画に則り、
    街の復興がなされた名残で、多少ソ連式の重厚な建物は残っているものの、
    そこまでの暗さは感じられなかった。 道路の清掃も行き届いており、中途半端に
    アメリカの薄汚い街へ観光に行くよりも、ミンスクの方が断然お勧め。 ロシア語も
    全く訛っていないため、ロシア語留学にも適している。

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    明るい雰囲気のミンスク市内。 この周辺が街の中心部であるため、お土産屋の
    キオスクが軒を連ねていた。 ベラルーシの民族衣装を着た人形やロシアの
    マトリョーシカなど、観光客は少ないなりに、それなりには居るのだと思った。
    但し、皆ロシア語で喋っていたため、旧ソ連邦内、特に、ベラルーシではビザが
    必要のないロシアからの観光客だと思う。

    ヨーロッパにある街の中心部には、必ず教会があるのだが、敬虔な祈りの場で
    あるため、観光地ではない。 写真を撮るのは余りお勧め出来ないが、邪魔に
    ならない程度であれば、特に文句を言われることもないので、主なものだけ
    写真に収めて、教会を後にした。

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    先ほどの教会がある地下鉄の駅からは若干離れているものの、正しい歴史を
    知るために、第2次大戦の記念館に行く事にした。 ミンスクは、ドイツ軍に
    よって破壊された街だが、ビリニュスはソ連軍によって破壊されたもの。
    ヨーロッパでは、至る所で殺し合いをしているので、それを乗り越えてEU
    というものが存在している事を忘れてはならない。

    博物館に行く途中にデパートがあったため、若干寄り道。 地下に食料品
    売り場があったため、ミンスクの生活を垣間見るために、色々と見て回った。
    ミンスクでは、流石にお隣りウクライナ・ポロシェンコ大統領の「アリョンカ」は
    売っていなかった。 物の全くない時代に旧ソ連に住んでいた者としては、
    世界が大きく変わってしまったという感想しか出て来ないのだが、逆を言うと、
    超極貧な地域でも、ものの20年程度で、この様に大発展出来る事を意味している。
    日本の場合は、逆にこの20年間ですっかりと退化してしまったため、
    ベラルーシをはじめ、旧ソ連地域における存在価値を全く見出せなかった。

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    そのお隣りに本屋があったため、日本語の本を物色。 旧ソ連邦では、日本語の
    人気が高いため、日本語の教科書が30種類程度も置いてあった。 ここで
    自分へのお土産として、露和辞典を700円程度で購入した。 語彙数は約2万語
    であるため、基礎的な単語しか書かれていないのだが、用例が多いため、非常に
    勉強になる1冊であった。

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    モスクワから1時間半のフライトで、ベラルーシの首都ミンスクに到着。
    このミンスク第2空港は、中国の資本で建設されたとかで、あちこちに漢字
    表記があるため、日本人には非常に便利。 空港到着後は、ベラルーシの
    厳しい入国審査があるのかと思いきや、一切何もなく、そのまま外に出て
    しまったため、拍子抜けした。 夜中の11時半にミンスクに到着したため、
    タクシーが一切捕まらず、色々と交渉した結果、恐らく、ミンスク市が
    運営している予約制のタクシーを1時間後にようやく予約出来たため、
    夜中の1時過ぎに本日のお宿である健康センターへとたどり着いた。

    【ミンスク】
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    空港から宿までの道には、街灯がひとつもなく、正に漆黒の闇の中を林の
    中へとずんずん突き進んだ場所にこの健康センターがあるのだが、一夜明けて、
    朝になると、素敵な森の中にある施設である事が判明。 日本円にして1,200円
    程度でスウィートルームを予約したため、朝から気分は大金持ちのおぜう様w
    健康センターだけあって、マイナスイオンたっぷりの朝の散歩が気持ち良い。
    敷地内には、サウナやらレストランやら、色々な施設があった。

    ミンスク市内は、ロシア語とベラルーシ語のちゃんぽん表記が多く、周囲は
    皆ロシア語だけで話しているのに、地下鉄の放送は、ベラルーシ語と英語のみ。
    元々、ベラルーシ語は「死語」と呼ばれる程すたれた言語だったが、近年になって、
    徐々に復活をしている模様。 旧ソ連邦の国々では、ロシア語のみが公用語で
    あったため、ベラルーシ語やウクライナ語が激しく規制されていた時代もあった
    影響で、各民族語がすたれたのだが、ソ連から独立の後は、各民族語の復活に
    力を入れている国々もあるものの、ウクライナのように、余りにも強引な
    やり方をして、ロシア語話者の人権を無視している国もあるため、ベラルーシ語の
    復活にも、慎重な体制で臨んで欲しいところ。

    【ミンスク】
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    基本的に、ベラルーシ語はロシア語に非常に似ているため、特にロシア語の
    アナウンスをしなくとも理解出来るのだが、周囲で喋っている言語と、公共
    放送とのズレがあるのには違和感を感じた。 大阪で標準語の放送等、この逆
    パターンは、幾らでもあると思うのだが、道路表記は、話し言葉が追いついて
    来てから変更した方が良いと思った。

    ミンスク駅構内のキオスクでは、溢れるばかりの商品が並べられていた。
    一部の旅行雑誌には、「ベラルーシは、旧ソ連邦の中でも最もソ連時代の面影を
    残している国」との記載があったため、どれほど古めかしい国なのかと思いきや、
    こんな程度のレーニンやらモニュメント的な遺物は、ロシアこくないにもまだまだ
    残っているため、ロシアとベラルーシの決定的な違いは見出せなかった。
    ベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故の影響で、国内を旅行するという
    習慣がないそうなのだが、その現実を後で何気ない場所で見る事となった。

    【ミンスク】
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    ミンスク駅前には、重々しい重厚な雰囲気の建造物があり、社会主義建設の
    象徴となっている。 この日は、このまま夜にこの駅からビリニュスへ向けて
    旅立つため、まずは、駅の下見から。 行き先とホームの番号が記載されている
    ものの、ビリニュス行きの電車は、1番線の最先端部分にある21番線からの出発と
    なっており、非常に分かり辛い。 ミンスク空港から入国し、5日間のビザなし
    訪問でベラルーシへやって来た人達の場合は、鉄道での国境越えは絶対に出来ず、
    今回は、わざわざベラルーシのビザを取得して来ているため、この超難ルート
    での国境越えに挑みます。 ミンスク空港からのビザなし訪問でベラルーシへ
    入国した場合は、絶対にミンスク空港から以外は出国出来ないため、ご注意
    くだされ(出発前にベラルーシ大使館に確認済み)
    。 

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    ノボシビルスク・トルマチョーヴォ空港からモスクワ・ドモデドヴォ空港へと
    移動。 約4時間半のフライト時間で、ノボシビルスクとモスクワの時差は3時間。
    ドモデドヴォ空港は、モスクワに6つある空港の中でも最大規模の空港で、
    日本からは、JALで飛んだ場合のみ、このドモデドヴォ空港に到着する。

    モスクワ・ドモデドヴォ空港からは、30分間隔で運転されているアエロエクス
    プレスに乗った。 モスクワ中心部から3つの空港に向けて、このアエロ
    エクスプレスが運行されているのだが、ドモデドヴォ空港は、そのうちの一路線。
    空港から地下鉄のパヴァレツカヤ駅までは、約45分の旅で、料金は500ルーブル
    (約1,000円)。 エクスプレスと言う割には、運行速度が50キロ前後と妙に
    遅いため、もっとまともな速度で走れば、パヴァレツカヤ駅までは、恐らく
    20分弱で到着すると思う。 全車両2階建てなので、さほど混まずにゆっくりと
    旅が出来るので、お勧め。 逆に、モスクワのタクシーは、交渉性の挙句の果てに、
    極端に高いため、公共交通以外は余りお勧め出来ない。

    ノボシビルスク出発が、案の定40分弱遅れたため、モスクワ観光を全てタクシー
    からの車窓のみにして、そのままタクシーで、シェレメーチェヴォ空港へと
    向かった。 運転手のおじさんが親切なタタール人だったので、パヴァレツカヤ
    駅からルジニキ・スタジアム、モスクワ大学を経由して、シェレメーチェヴォ
    空港まで1,800ルーブル(約3,600円)で行ってくれた。 ロシアのタクシーは、
    基本的に交渉性なので、アプリでタクシーを呼ぶヤンデックス・タクシーの方が、
    先に料金を表示しているため、騙されずに済むと思います。

    【モスクワ・ドモデドヴォ空港】
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    モスクワ・シェレメチェヴォ空港からベラルーシのミンスクへと飛び立ちます。
    ロシアとベラルーシは、関税協定を結んでいるため、実は、『国内』扱いなのだが、
    航空機の出発は『国際』扱いのため、シェレメチェヴォ空港Dターミナルからの
    出発となった。 但し、シェレメチェヴォ空港Dターミナルでは良くある、
    ターミナルを離れてからバスで延々と走って、旧シェレメチェヴォ第1空港
    (国内線用)の方の滑走路から飛び立つというパターンであった。

    前回、このシェレメチェヴォ空港からタタールスタンのニジネカムスクへ飛び
    立った際も同じで、ターミナルからバスで15分以上も延々と走って飛行機に
    たどり着くという意味不明な搭乗方法となっているため、この暗黙のルールを
    知らないと、不安を煽られるというシェレメチェヴォあるあるであった。
    元々、シェレメチェヴォ第1空港の方は国内専用で、シェレメチェヴォ第2空港の
    方が国際ターミナルだった2つの空港が合併して、現在のシェレメチェヴォ空港
    ターミナルDEFとかになっているため、この歴史を知らないと、とんでもない
    目にあうのであった。

    【モスクワ・シェレメーチェヴォ駅】
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    ロシアからベラルーシに向かう際には、必ずビザが必要となるものの、あくまでも
    国内の扱いのため、シェレメチェヴォ空港では一旦出国手続きをするものの、
    ベラルーシのミンスク空港では、一切何もないという意味不明なフライトとなって
    いる。 ロシア出国時に、ロシアの出入国カードを誤って取られてしまうと、
    ベラルーシを出国する際に、死ぬほど困るという、嫌がらせのようなシステムを
    かいくぐって旅をしておりますw しかも、ワールドカップ開催期間中は、72時間
    以内に住所登録を内務省に出さなければならないため、ここで一旦ロシアを
    出国して、時間を稼ぎました。 尚、ここから先は、アエロフロート・ロシア
    国際航空で飛びます。

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    ノボシビルスク郊外には、世界最大規模の学術研究都市アカデムゴロドクが
    ある。 ノボシビルスク市中心部からアカデムゴロドクへの行き方は、大きく
    2通りあるのだが、どちらの行き方も、「行き先」なる便利なものは記載されて
    いないため、運転手か周りの人達にロシア語で行き先を尋ねるしかない。

    第1の方法は、ノボシビルスク中央駅から8番の路線バスに乗って、終点まで
    行く方法。 第2の方法は、地下鉄のレチノイ・ヴォグザール駅から35番の
    乗り合いタクシー『マルシルートカ』に乗って終点まで行く方法。 どちらも
    終点の停留所は同じで、このバス停がノボシビルスク国立大学への最寄のバス停。
    今回は、35番の乗り合いタクシーで行った(この方法が最も一般的)ため、
    地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅で乗り換えをした。 料金は、地下鉄が
    どこまで乗っても20ルーブル(約40円)と乗り合いタクシーが途中の
    セーヤチェリまでが40ルーブル(約80円)、終点のツヴェトノイ・リャート
    までが45ルーブル(約90)であった。

    【アカデムゴロドクへの行き方
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    ロシアの地下鉄は、ソ連時代までは、25コカペイカコインをそのまま自動改札口に
    入れるタイプだったのだが、その後のハイパーインフレの時代を経て、トークン
    (ロシア語ではジェトンと言う)を使用するようになった。 これは、中国も
    同じで、モスクワの地下鉄では、カード式になったが、以前は、モスクワでも
    このトークンを使用してハイパーインフレに対応していた。

    レチノイ・ヴォグザール駅での乗り換えは意外と複雑で、反対方向の出口に出て
    しまったため、バス乗り場まで3回ほど通りを歩いている人達にバス乗り場を尋ねた
    のだが、皆嫌な顔ひとつせずに、親切に道を教えてくれた。 25年前は、
    このルートを毎週通っていたものの、何せ25年ぶりなので、懐かしいを通し越して、
    何も思い出せない状態であったw

    地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅から、乗り合いタクシーで約1時間ほどで、
    アカデムゴロドクのツヴェトノイ・リャートに到着。 そこから、白樺林を
    10分ほど歩くと、ロシア国立ノボシビルスク大学の校舎が見えて来ます。
    私が学んでいた時代は、新校舎はまだなく、旧校舎のみでしたが、すぐ隣りに
    大規模な新校舎が建設されており、度肝を抜かれました。 尚、ノボシビルスク
    大学のレベルは、ロシア国内では、モスクワ大学に次いで第2位、サンクト・
    ペテルブルグ大学よりもレベルが上とされているため、私の学歴は、あの
    プーチン氏を上回っていることになりますw 尚、ノボシビルスク大学には
    人文学部があり、ここに日本語専門コースもあるため、極々稀に日本語で話し
    掛けられる事もあります。

    【国立ノボシビルスク大学
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    ノボシビルスク大学は、理工系が強い理系の大学であるため、現在は、日本の
    東北大学の姉妹校となっている。 世界で初めての学術研究都市となっており、
    日本の筑波の見本となったアカデムゴロドクは、その名の通り、ロシアの頭脳と
    呼ばれており、様々な研究機関が集まった、世界最高峰の研究都市となっている。

    アカデムゴロドクで唯一のメインストリートにあるショッピングセンター
    (ロシア語ではテー・ツェーと言う)。 25年前は、本当に何も物が売って
    いなかったのだが、今では、商品であふれかえっていた。 ノボシビルスクは、
    ロシアの中でも、最も外国から遠い場所にあるため、国内で物を生産せずに、
    ほぼ全てを中国からの輸入に頼っているロシアでは、外国から遠い事は、
    当然ながら、物不足を意味していた。

    2000年過ぎ頃までは、ロシア・ルーブルは、完全に国外には持ち出し禁止の
    時代で、ルーブルが国外に自由に持ち出せるようになったのは、2000年以降
    となっている。 それ以前は、ロシア出国時に税関で財布を開けさせられて、
    残ったルーブルは全て没収、その後、コインだけは見逃されるようになった。

    【アカデムゴロドク
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    ノボシビルスクでは、よくミルクカクテルなる飲み物を飲むのだが、道端に
    あった美人のおねえさん(後姿だけで残念w)が働いているお店で、
    ミルクカクテル(しかもカップが巨大)を作ってもらった。 その後、
    そのおねえさんに食堂がある場所を教えてもらい、午前9時(日本時間午後12時)
    にちょっと遅めの朝食を取る事にした。

    ロシアで主に食べられているのは、じゃがいものピュレー、ソーセージ、
    ブリヌィ等で、この日は、ボルシチが品切れだっため、キャベツスープを
    頂いた。 アカデムゴロドクは、その昔、ノボシビルスクとは別都市とされて
    いたのだが、今では、ノボシビルスク市内のソヴィエツキー地区に分類されて
    いる模様。

    学術研究都市のアカデムゴロドクにあるのは、大学と研究機関のみであるため、
    ここを訪れる外国人はまずいない。 ノボシビルスク大学は、学生以外は一切
    中には入れないのだが、係員と交渉して、強引にトイレだけ借りて、校内へと
    入ってやったw

    アカデムゴロドクの始発停留所であるツヴェトノイ・リャートから1時間掛けて、
    ノボシビルスクへと戻らなければならないのだが、「行き先」は書いておらず、
    「35」としか書いていないため、ロシア語を喋れないと、ほぼ確実にアカデムには
    行けない事となるw

    【お勧めの一冊】


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    時代は移り変わり、様々な品物でごった返すノボシビルスク。 25年が経過しても、
    街の要所部分は変わってはおらず。 当時から地下鉄はありましたが、3駅ぐらい
    しか延伸していなかった。ロシアの地下鉄は、『M』のマークが入り口の印。
    『メトロポリテン』の省略形である『メトロ』がロシア語では地下鉄という意味。
    よって、語尾が『o』で終わっていても、男性名詞。 地下鉄の入り口のドアは、
    どこも非常に重いのが特徴。 手を離すと、凄まじい勢いで後ろの人に
    ぶつかるので、次の人が来るまでドアを持っていてあげるのがロシアでの慣わし。

    基本的に、ロシア人の趣味は散歩なので、皆1日で数キロ程度であれば、平気で
    歩きます。 ノボシビルスクの数少ない観光名所は、全てこの通り沿いにあるため、
    この日は頑張って、かなり歩いた。

    ノボシビルスク
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    ノボシビルスク大学留学中は、学業が忙し過ぎて全く時間がなかったため、
    一度も観光というものをしたことがなかったのだが、今回は余裕があるので、
    ノボシビルスクで見るべきスポットを全て周って見た・・・と言っても、
    ノボシビルスクで見るべき物は、全て赤の大通りにあるため、全て歩いて見て回る
    ことが出来る。

    まず、1つ目は、ロシア国立ノボシビルスク・オペラ・バレエ劇場。 今回は時間の
    都合でバレエを見ることが出来なかったが、その昔、バレエのプロデューサーを
    していた時に、遥々ロシアから呼び寄せたのが、このノボシビルスクバレエ団。
    劇場の規模は北半球一で、南半球のどこかに更に大きな劇場がある模様。

    2つ目は聖ニコラス礼拝堂、3つ目は建築家クラチコフの記念碑、4つ目は、
    アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、5つ目は、革命英雄記念碑。 革命英雄
    記念碑は、大昔に習ったロシア語の教科書に載っていたため、どうしても行きたい
    場所であった。

    ノボシビルスク
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    ノボシビルスクに到着した日は、たまたま、ノボシビルスク生誕125周年際の日で
    あったが、白夜により、夜11時まで日が全く沈まなかったため、夜の11時から
    花火が打ち上げられた。 いつまで経っても日が沈まないため、お子ちゃまも
    夜中なのに、普通に通りを歩いていました。 この晩は、近所のカフェでロシア
    料理を堪能したのだが、何故かデジカメで撮影するのを忘れたため、ロシア料理を
    見たいお方は、Google Photoをご覧くだされ。

    【お勧めの一冊


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